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高原淳プロフィール
高原 淳
1961年北海道帯広生まれ 大阪芸術大学写真学科卒 雑誌・広告を中心にフォトグラファーとして活動 2000年帯広にUターン 2001年、ソーゴー印刷(株)代表取締役就任 2004年、雑誌「northern style スロウ」創刊を機に写真活動を再開 主な写真展 1985年「COMME JE SUIS」(6人展、Gallery・DOT) 1988年「再生」以来、Gallery・DOT(京都)にて定期的に個展開催 ・2005年10月「記憶の中の風景」(Gallery・DOT) ・2006年3月「記憶の中の風景」(弘文堂画廊) ・2007年11月「記憶の中の風景」(Gallery・DOT) ・2009年8月「スロウ20号記念展」(ファインアート器野) ・2010年5月「スロウなまなざし」(Gallery・DOT) ◎月刊しゅん http://shun.tv ◎しゅんプラス http://shun-plus.com ◎northern style スロウ http://www.n-slow.com ◎クナマガ日記 http://www.n-slow.com/blog/index.php ◎ソーゴー印刷 http://www.sogo-printing.com 最新のコメント
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朝5時50分、大浴場へ。とても温まる。露天風呂に入ると、頭だけ冷えてシャッキリしてきた。6時40分から30分でブログを書く。朝食後、30分ほど風景撮影。9時15分、全道経営指針づくり推進委員会一泊研修交流会2日目が始まった。2015年度の活動報告と次年度方針。続いて「経営者の責任と対等な労使関係とは」というテーマでグループディスカッションが行われた。グループ報告の後、まとめとして副委員長の立場から話をさせていただいた。12時終了。栗山まで移動し、とかち支部から参加したT氏、H氏とともに昼食。そこで2人とは別れ、僕は夕張経由で撮影しながら帰ることにした。気になる場所を発見した。雪解け後、再び訪ねることにしよう。6時帰宅。10時就寝。ものすごく眠く、目を閉じた瞬間に眠っていた。
2日目のメインテーマ、「経営者の責任と対等な労使関係」についてですが、僕が常識だと思っていることは案外、常識にはなっていないのかもしれない・・・と昨日は感じました。 「経営者と社員は対等ではない」。そう考えている経営者が案外多いという話を聞いたのです。同友会では40年前から「対等」と掲げていますが、現実にはそう考えていない会員企業経営者もいるのです。人間的には対等。それは当たり前のことですが、会社内においても「対等」という価値観を共有しなければ、今の時代には通用しない。今日的にも将来的にも対等であるべきだと僕は考えています。 これが40年、50年前だったら、事情は違っていたかもしれません。働く目的が「生活のため」「物質的豊かさを実現するため」だった時代。自分が贅沢をするためではなく、家族を養わなければ・・・という差し迫った事情を誰もが抱えていた時代であれば、「対等」は二の次でもよかったわけです。経営者は自社を発展させる責任があり、労働者は生活を守るために働いて、給料を得る。会社を発展させるための利益を確保したい経営者と、生活を豊かにするための収入を増やしたい労働者。両者の間で対立が頻繁に起こっていた時代です。 中小企業家同友会はそうした対立が頻発する中で、悩みを抱えた経営者が集まって誕生した組織。労使が対立したままでは会社が潰れる・・・。そんな危機感から、両者の望ましい関係を真剣に考えるようになったわけです。その結論が「中小企業における労使関係の見解」(1975年)という文章にまとめられ、「人を生かす経営」(中同協)に収録されています。「社員をもっとも信頼できるパートナーと考える」。当時としては画期的な内容といってよいでしょう。 経営者が「対等ではない」と考える根拠として、「経営者は自分の財産をすべて投げ打って自社を守っている」と述べる人もいます。万一の時、経営者はすべてを失うが、社員は職を失うだけだ・・・という考え。これは確かにそうなのですが、そういうリスクを承知で社長になったわけですから、「万一」が起こらないように組織づくりに取り組むことがもっとも大事なことであるはずです。責任の大きさが社長と社員との間で違うのは当然のこと。ですから、責任の大きい分、大きな権限も与えられている。自社の万一のことがあれば困るのは社員も同じ。ある種、宿命的な同志関係にあるといってよいのではないか? 僕はそう考えていますから、対等以外の何物でもないという立場をとっています。 「労使」という言葉も今日ではほとんど使われなくなりました。少なくとも我が社でこの言葉を使う人はひとりもいません。労働者という言い方もしませんね。労使という上下関係を表す言葉は、できるだけ社内から排除したいと考えています。 昔は「家族の生活を守るため」が働く最大の理由でした。今もそれは変わらないのですが、加えて、「自分の成長のため」「働き甲斐のため」「世の中をよくするため」と考える人が増えています。もちろんそうではない自己中心的なタイプの人もいっぱいいるでしょうが、全体的な傾向として若い人たちの価値観はおおむね健全な方向へ変わってきているように僕には感じられます。 今日の企業経営者の悩みは、若手の人たちが「なかなか自立できずにいる」という点にあるような気がします。世の中が複雑化・高度化しているというのが理由のひとつ。もうひとつは性格的に優しい人が多すぎて、仕事の場での葛藤が起こりにくいという理由。葛藤がエスカレートすると対立になるのですが、その手前の状態、葛藤は仕事の質を高めたり、自分を成長させる上で必要なプロセスだと思うのです。上司も若手もカーッとなってはいけないと思い、つい言いたいことを引っ込める。ここに一因があるかもしれません。 しかし、社内で「対等な関係」を実現させるためには、一人ひとりが自立していなければならないのです。依存タイプの人というのは、いわば「大人になっていない人」ということになりますから、大人と子供の関係になるわけです。大人と子供は対等ではない(この考え方には異論もあるかもしれませんが)。お互いに価値を提供し合うことができるから、対等になることができるのです。価値を提供せずに給料をもらうという人は対等と認められない。新入社員は猶予期間としてみられますが、2年目からはそうはいきません。 僕の結論としては、対等な関係=大人の関係。自立型の人にとって、対等な社風は働きやすいと感じることでしょう。一方、自立できない人の場合は、対等であることに苦痛を感じるはずです。ひとつひとつ指示・命令されないと動くことができない・・・。そうしたタイプの人は対等ではない職場のほうが向いているのかもしれません。社内のみんなはどう考えているでしょう? 気になりますね。 ![]() ▲
by sogopt
| 2016-01-31 08:07
| 経営
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朝、いくつか用事を済ませてから出発。目的地は岩見沢。十勝は晴れ、道央は雪という、冬らしい天候。12時半頃岩見沢到着。昼食、そしてまたいくつかの用事を済ませる。2時半、生涯学習センターいわなび。3時から全道経営指針づくり推進委員会一泊研修交流会。事例発表2社。続いて、グループ討議。北村温泉に移動後、7時過ぎから懇親会。ビール+日本酒。9時頃から二次会。0時半就寝。
事例発表を聴いて感じたのは、どんな会社にも危機的状況がやってくることがあり、それを乗り越えることによって会社も経営者も大きくなるということでした。当たり前といえばそれまでなのですが、さまざまな会社の事例を耳にすると、「よく乗り越えられたものだ」と思うものが多い。乗り越えられるか否かの違いはどこにあるのだろう? さまざまあると思いますが、ひとつは経営指針の有無にあるのではないかと僕は考えています。 もちろん、経営指針の前に、経営者や社員の意志力であるとか、結束力、自社への愛着心といったものがあるでしょう。けれども、やる気だけではどうにもならないことがあって、自社をどのような方向へ導いていくのか、具体的にイメージできていなければなりません。それを明らかにするのが経営指針ということになります。 研修会の場だったか、交流会の場だったのかは忘れましたが、「ここは思う存分経営指針について語り合える場だ」といった話が出てきました。そう、経営理念、ビジョン、経営計画、そしてそれらをまとめ上げた経営指針というものについて、案外関心の薄い経営者が多いのです。あるいは、関心はあるけれど、込み入った議論をするのは好きではない・・・といったタイプの人も多いような気がします。 経営指針委員会の人たちは、ほぼ全員経営指針について語るのが好きな人たち。それだけに、各支部に戻ると、話がどうも伝わらない・・・といった思いを抱いている人がいるかもしれません。僕も経営指針研究会を人に勧めると「また今度」といった返事をいただくことがあります。当社社内報に外国人社員のK氏がコメントを寄せていました。日本人の「また今度」は「永遠」という意味なのだ、と書かれていました。確かにそうですね。経営指針づくりが「また今度」と思われないようにするにはどうすべきなのか? このあたりは、2日目の今日、議論されることになるでしょう。 経営指針はつくることが目的ではなく、つくった後にどのようにいい会社を創っていくのかが最大のポイントであるわけです。この全道の勉強会では、経営指針づくりを推進する一方、それを自社にいかに浸透させていくのかについても研究を積み重ねていかなければなりません。幸い、経営指針づくりが経営者のもっとも大切な仕事なのだと考えている人たちの集まりですから、事例報告やグループ討議では有益な情報や考えがいくつも出てきます。それをとかち支部に持ち帰り、さまざまな活動に活かしていかなければなりません。 世の中は大変革期にあって、その中でも2014年から2016年にかけての3年間は変化が激しいと僕は見ています。今年一年間は濃密に動いていくべきだと思っています。動きながら計画を立てていく。そんな年になるでしょう。 2月12日の企業展示会「十勝の企業力2016」のように、いくつかの企業とビジネスをジョイントさせていくという動きもあるでしょう。ただ、自社の向かうべき方向が定まらないままジョイントすると、流されることになりますから、方向性を明確にしておかなければなりません。 各地に同友会の経営指針研究会が立ち上がって、一年かけて経営指針づくりに取り組んでいる人たちがいます。具体的ビジネスをジョイントさせていく前に、自分の価値観や世界観をさらけ出し、さまざまな経営者の考えを自分のものにするといった活動が有効ではないかと思います。経営指針研究会の中では「自分・自社に向かい合う」ことと「他の経営者の考えを吸収する」ことが盛んに行われます。 考え方やアイデアをジョイントさせていく。自社の経営指針について考える際、自分の考えだけにとらわれるべきではないな・・・。そんなことを昨日は考えていました。他の経営者の考えも取り入れるべきですし、何より、我が社に強い愛着心を持っている自社社員の人たちの考えを経営指針に盛り込むべきですね。 昨日の岩見沢は大雪でしたが、今朝は晴れています。委員会活動は昼に終わり、写真を撮りながら帯広に戻ろうと思います。 ![]() ▲
by sogopt
| 2016-01-30 07:10
| 経営
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午前中は「記憶の中の風景」。他にいくつかの作業を行ったのだが、覚えていない。とにかく、緊急度の高い順番に進めていくだけだ。午後2時頃、一通り完成した。出社後、校正。スロウ関係はひとまず完了。6時半、当社研修室にて経営指針研究会開催。研究生による3ヵ年経営計画の発表。ずいぶん練り込まれている計画があった。発表&アドバイスは10時半まで続いた。11時帰宅。0時半就寝。
スロウ46号関係はほぼスッキリしました。けれども、すべきことをいっぱい積み残したまま週末を迎えることになりました。しかも、何をすべきなのか、すべてを思い出すことができない。まず、思い出すというところから作業を始めなければなりません。僕の場合はこれが大変。記憶力のある人には考えられないでしょう。ともかく、最近のGメールを手がかりに情報を発掘しようと思います。 とある新年交礼会でH社の会長が「優先順位」について語っていました。「経済的成功を収めた理由として思い当たるのは優先順位がわかっていたから」という話でした。今、一番すべきことは何なのか? いつでも最優先事項がわかっている。そういう生き方をしていれば、確かに仕事も人生もうまくいくような気がします。最優先に行うべきことを行わない・・・。それを何度か繰り返すと、仕事も人生もおかしな方向へ向かってしまうことになる。そういう人を僕は大勢見てきましたし、自分自身にも思い当たる経験がいくつもあります。 優先順位がわからなくなる人のひとつのパターンは、おそらく人生目的と人生ビジョンが不明確であるということでしょう。何のために、そしてどこを目指しているのか? ここがぼんやりしていると、何を優先させるべきかがわからなくなる。 若手の人であれば、これから40年前後、あるいはそれ以上長期間働くことになるわけですから、最優先課題は「仕事力を身につける」ということになります。これ以上明確な課題は僕には見当たりません。明確であり、しかも差し迫った課題でもあります。最初が肝心であることは言うまでもない。社会人生活最初の3年間は、何よりも「仕事力向上」のために自分の時間を使わなければなりません。 非常に簡単なことなのですが、このことがわからずスタートダッシュに出遅れ、残り30数年間を不完全燃焼のまま過ごしてしまう人も多いのではないかと思います。20代前半のうちから優先順位を明確につける能力が身についていれば、人生はきっと豊かなものとなるでしょう。僕の場合、一部うまくいきましたが、いくつか見落としているところがありました。その遅れを取り戻さねばと思ったのは40代に入ってから。したがって、今はハードに過ごすべき時期。たぶん、あと5年はこのペースで仕事を進めていき、その後はもっと違った時間の使い方をするようになるでしょう。 自分の人生のライフサイクルを考えることと並んで、今の時代環境についても十分に考えておかなければなりません。これは畜大の就活サークルでも、あるいは別な場所でも何度か話していることですが、今は大変革期の真っ只中にあるということ。その認識を、できれば若手の人たちに実感してほしいと思っているのです。 明治維新、太平洋戦争に続いて約70年ぶりにやってきた大変化。単に「70年周期説でしょ」という話で終わるのではなく、その後にどんな世界がやってきたのかを考えるべきなのではないかと思います。大きな時代の節目。その前後15〜20年に注目する必要がある。今の日本を考えると、20数年前のバブル崩壊があり、2011年の東日本大震災が大きな転換点となっています。2011年を基準に考えると、2030年前後の日本がどのようなものになっているのか、僕らはしっかりイメージしておかなければなりません。 そう容易にはイメージできない。けれどもイメージできた人は、そこに向けて自分の人生戦略を組み立てることができるはず。 71年前の終戦後、生きていくのがやっとという時期に、数多くの企業が創業しました。それは焼け野原になった、一から再興しなければならなかったという当時の事情があったわけですが、その頃創業した会社のうち、いくつかは世界的企業になっています。十勝においても、社歴60数年という会社が地域経済において重要なポジションを占めている例が多い。 価値観が大転換すると、古い価値観を引きずったままの会社は生き残れません。新しい会社が台頭するか、社歴の長い会社が意識改革を行うかの2パターン。我が社は創業から数えると62年ということになりますので、大胆な意識改革を進めていかねばなりません。変化の激しい今、それを行うべきであり、2030年近くに始めたとしたら、それはもう遅いと考えるべきでしょう。 20代、30代の人は変化の方向性を敏感に察知して、自己変革と組織変革の両面で挑戦し続けることです。最優先課題は人によって異なりますが、「もっとも大切なことは何なのか」を絶えず意識する習慣を持つことが求められているのではないかと思います。 ![]() ▲
by sogopt
| 2016-01-29 07:19
| 我が社
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朝は配付資料の出力、スロウの校正、ミーティング等。11時過ぎ、いったん帰宅。12時10分、ノースランドへ。12時半、帯広ロータリークラブ例会。広報をテーマに卓話をさせていただく。タイトルは「プラットフォームとオウンドメディアを活用した自社の効果的PR法」。限られた時間内で話し切った。2時帰社。事務的作業等。4時、帯広畜産大学へ。4時半から就活セミナー。テーマは「プレゼンテーション力」。過去、次世代幹部養成塾で扱っているテーマだが、パワーポイントやキーノートのデータはなく、ほぼ100%新たに作成したスライドを使用。畜大生向けというわけではないが、ややハイレベルな内容を盛り込んでみた。理解度としては問題ないようだ。最初の40分間は講義。続いて、グループワーク、グループ発表(プレゼン)、講評、まとめを行い、2時間のセミナーを終えた。7時過ぎ帰宅。10時就寝。
昨日行ったプレゼンテーション力のセミナーは、すべて僕の考えに基づくものなので、もしかすると偏った情報になっていたかもしれません。ただ、その点は心配ないでしょう。大学生ですから、ある程度はプレゼン慣れしているはず。特に説明しませんでしたが、グループワークではKJ法に近いやり方でグループメンバーのアイデアを集約させ、発表に臨んでいました。このあたりは非常に優秀だと思います。 アイデア力→論理的思考力→スピーチ力→プレゼン力。僕の考えでは、この4ステップなんですね。この4つを磨くにはどうすればよいのか、かなり具体的に伝えるよう心がけました。ただ、実際に社会人にならないとわからない部分もあるに違いない。わかりにくい部分は謎として記憶に刻まれるとよいのですが・・・。 畜大の学生さんたちはおそらく論理的思考力を持った人が多いに違いありません。我が社から中堅若手3名に手伝ってもらいましたが、帰りの車の中でそんな話が出てきました。僕も同感で、ユニークな世界観と論理的思考力を併せ持った人が多いと認識しています。したがって、プレゼンスキルを高めれば非常に影響力の強い人物になる可能性が高い。 プレゼンには「動機」が必要。そこを起点に「本論」を述べていき、「結論」にたどりつくわけです。ただ、動機、本論、結論だけでは、聴き手は動機付けされない。そこで「思い」と「エビデンス」が必要となります。「思い」のほうは、動機が強烈であれば聴き手に伝わっていく。しかし、思いが強いだけでは、単に感情に流されたプレゼンになってしまいます。 昨日の講義ではエビデンスに重点を置いて話していきました。エビデンスは僕の考えるところ3つあって、それは「客観データ」「引用」「相似形」です。信憑性という点では、客観データ、引用、相似形という順番。ところが、客観的なデータというのはおもしろみに欠けるわけです。データを使用しすぎると、ほぼ確実につまらないプレゼントなる(一部のマニアックな人は別)。おもしろさという観点から見ると、相似形を効果的に使うことがプレゼンには望ましい。僕はそう考えています。 相似形をもとに仮説を立て、その仮説と引用・データを組み合わせていくのです。さらに別な相似形も組み込んでいき、本論を立体的にまとめあげていく。そんなふうにプレゼンを展開することができれば、聴き手はどんどんイメージをふくらませていくことでしょう。 学問の世界ではおそらく真実を探求しているはずですから、「正しさ」が一番重要となるはずです。ビジネスの世界はこれとはちょっと違います。正しさはもちろん大事。それは疑いないのですが、正しい結論はひとつではない。真実はひとつ。そう考えると、ビジネスにはならないわけです。自社の考える真実とお客様の考える真実には若干のずれがある。そして、お客様にもそれぞれ思い描いている真実というものがある。 したがって、正しい話にこだわりすぎると、プレゼンはうまくいかないことが多い。「正しさ」よりも「楽しさ」や「美しさ」にこだわるべきなんですね。楽しさを引き出すためにさまざまな手法を使うべき。何でも使うことができるというのがプレゼンのおもしろいところです。たとえばこれが結婚式のスピーチだったら、「話」がすべて。スピーチ力を磨くのは、プレゼン力を磨くのよりもはるかに大変です。プレゼンの場合、自分のスピーチ力の未熟さをカバーするための方法がいくらでもある。そして、弱点をカバーしながらプレゼン経験を積み重ねていくうちに、いつの間にかスピーチ力のほうも磨かれていく。 そんなわけで学生さんたちも、我が社の若手の人たちも、大いにプレゼン力アップに励んでほしいと思います。 人はみな「やり甲斐のある仕事をしたい」と願っています。ところが、やり甲斐のある仕事というものは天から降ってくるものではないわけです。やりたいことを明確にする→能力を磨く→やりたいとアピールする。この3段階をクリアしなければやり甲斐のある仕事に就くことは困難でしょう。自己主張せずにやり甲斐のある仕事に就く可能性は、宝くじに当たる確率くらいなのではないかと思います。アピールの仕方はプレゼン以外にもありますが、社会人としてはぜひ身につけておくべきスキルといえるでしょう。 ![]() ▲
by sogopt
| 2016-01-28 06:20
| 我が社
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朝からひたすらプレゼン資料作成。1本目を一部手直し。続いて2本目。午前中に、ほぼアイデアは出揃った。あとはスライドを整えていくのみ。いつもそうなのだが、適当な写真がなかなか見つからない。講演用画像というフォルダには使い古した写真ばかり入っていた。こういう写真、もっと撮っておくべきだなぁ。午後6時半頃、ようやく形になった。ひとまず安心。眼精疲労と肩凝りがすごい。10時就寝。
用意した資料は2本とも今日使うためのものです。またしてもギリギリ感を味わいました。昼の帯広ロータリークラブ例会での卓話。夕方には帯広畜産大学で就活セミナーを行います。どちらもテーマとしてはこれまで何度も行ってきたもの。「広報」と「プレゼンテーション力」。既存のスライドを組み合わせれば簡単にできるだろう・・・と高をくくっていました。何事も余裕を持って準備を進めていかねばなりませんね。 しかし、ギリギリ感といいますか、徳俵に足がかかった状態で準備を進めていくと、何かしらの発見があるものです。今回は、2つほど見つかりました。 そのうちのひとつは、中小企業が取り組むべきアウターブランディングに関して、比較的スッキリ説明できそうな言葉が見つかったのでした。取り組むべきことは「プラットフォームに加わりつつ、オウンドメディアを整えていく」ということ。ある程度規模の大きな会社の場合、自前でプラットフォームをつくってもいい。けれども、既存のプラットフォームに乗るほうがコスト面でも心理的にもハードルが低いでしょう。企業展示会「十勝の企業力2016」なら、すぐに出展可能です。卓話のための資料を作成しながら、プラットフォームの必要性を強く感じていました。 それと同時に、オウンドメディアを整備しなければならないということも痛感しました。オウンドメディアとは「企業が伝えたい情報をユーザー目線に合わせて発信するメディア」のこと。近年ではブログ風のwebといったものに力を入れる企業が多いようですが、紙媒体も重要なメディアとなります。自前の媒体を持つこと。広報誌やニュースレターといったものは企業規模の大小を問わず、持っておくべきでしょう。必ずしも印刷会社に発注する必要はなく、手書き&プリンター出力でもOKです。ある程度の部数なら印刷すべきですが。 なぜオウンドメディアが必要なのかというと、商品を売り込むことよりも「顧客との関係性」を構築することが求められるようになってきているため。改めて書くまでもないことなのですが、そのために自前の媒体=オウンドメディアが必要だということになるのです。 昨日の発見は「プラットフォームによる遠心力と、オウンドメディアによる求心力を組み合わせればいい」ということでした。ちょっとひと手間かけるだけでいい。どちらも中小企業が取り組みやすいもの。すでに意識的に行っている企業もあるでしょうが、多くは散発的に思いつきで行っているように思えます。かくいう我が社も、意識的とはいえないような気がします。事例を見るとちゃんと行っているように見えますが、衝動的、または自然発生的なものが多い。このあたり、もう少し合理的に整えていくべきだろうな・・・。そんな感じがします。 もうひとつのちょっとした発見は、再発見というべきものでした。プレゼンテーション力について書いた過去のテキスト。2010年、第2期次世代幹部養成塾のものが非常に役立ちました。社内用に書かれている文章なので、このまま配布するわけにはいきません。けれども、今日のセミナーにそのエッセンスを盛り込んでみました。 2010年10月から11月にかけて。2ヶ月間で4回講義を行っていますが、その中身の濃さに今さらながら驚いています。特に、プレゼンテーションにおけるエビデンスの作り方。ここが一番おもしろいところで、本ブログでも何度か取り上げている「相似形」が核となっています。相似形から仮説を導き出し、それに客観データや引用を加えていく・・・。2010年時点では、その基本的考え方に基づいて4回シリーズで講義が行われました。 昨日、改めて図を作ってみたところ、そこに「相似形による補強」を加えてみたくなりました。相似形→仮説→客観データ・引用→相似形による補強。本当は「仮説→検証」を繰り返せばよいわけですが、「身体はひとつ」なので何でもかんでも試してみるわけにはいきません。仮説の精度がどのくらいなのか、頭の中で検証する必要があるのです。そこで、たいていの場合は客観データであるとか、その道の権威の意見といったものを参考にすることが多い。しかし、データ・引用に引っ張られると、平凡な結論に落ち着きやすい。そこで、新たな相似形を探してみてはどうかと思ったのです。 おもしろいけれど、今日のセミナーの本論から外れてしまいそうだな・・・。畜大では具体的なプレゼンスキル向上法について伝えていこうと思います。 ![]() ▲
by sogopt
| 2016-01-27 05:25
| 我が社
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朝6時40分出社。7時、次世代幹部養成塾第6講。テーマは「行動心理学とプロモーション」。朝礼後、スロウ5ページ分の原稿を入稿。続いて、プレゼン資料の作成。昼までにだいたい形になった。昼食後は自宅で自社HPのための撮影数カット。さらにHPのための写真選び。ずいぶん手間取った。引き続きプレゼン資料作成。1本はできたが、2本目は未着手のまま仕事を終える。夕方、買い物へ。10時頃就寝。
ずっとパソコンの調子がおかしい・・・。そう思っていたのですが、何のことはない。不調だったのはマウスのほうでした。調べてみたら、マウスにも寿命があると知りました。さっそく買い換え。1000円ちょっとの出費で回復。 ここ20年間、マウスもずいぶんあれこれ試してみました。その中には比較的高額なものもあったのですが、「人間工学に基づく・・・」みたいなコピーが書かれたマウスは僕には合わなかった。結局、今は「えっ、この会社マウス作ってたの?」と思うようなメーカーのものを使っています。僕の使うパソコン3台、これで揃えることにしよう。 身体の不調にもそんなところがありますね。頭痛の原因は肩凝り、肩凝りの原因は眼精疲労。これは僕のもっともわかりやすいパターンですが、もう少しわかりにくいものもあります。症状と原因との関係。これがすべてわかったら、症状が発生する前に対処できるに違いない。 不調に原因があるように、好調にも要因があるものです。不調の場合、僕らは「なぜそうなのか?」を考えますが、好調だと「ラッキー!」といって何も考えずにやり過ごしてしまうことがある。ここがちょっともったいないですね。よい結果が生まれたとき、「なぜそうだったのか」について深く考えると、別な仕事においても、その考え方を応用することができる。よい結果を導き出しやすくなる。好結果の要因分析が欠かせません。 好調も不調も、必ず何らかの理由があってそのようになっていると考えるべきでしょう。たまたまそうだったのだということもあるかもしれません。それでも「なぜ」を追求すべきですね。原因を特定し、それを可能な限り数値化する。うまくいったのは、訪問件数という「量」だったのか、訪問時期という「タイミング」だったのか、企画内容という「質」だったのか? 質については数値化不可能だと思われるかもしれませんが、そこでも数値化を試みてみる。 僕の場合、原稿の質は考える時間と書き出すメモの枚数によっておおよそ決まります。時間は長ければよいというものではなく、自分の知的体力がちょうどいい具合になるタイミング。スポーツ競技の前にウオーミングアップするようなものです。長めの原稿の場合は2、3時間。そして、書き出すメモは50枚を超えると書けそうな気持ちになってくる。「できそうな気持ちになること」ができるようになるための第一歩なのかもしれません。曖昧な気持ちで書き始めると、最初の数行でつまずいてしまう。最初につまずくと、それが後々まで尾を引くことになります。先日、ビデオ取材出てきた話にもつながりますね。「最初がいかに肝心か」ということです。 原稿の質も、写真の質も、結果の要因を考えていくと、ある程度は定量化(数値化)できるものです。結果に対して喜んだり悲しんだりすることも必要ではありますが、その後に分析することが重要ではないかと思います。社内で自分は幹部、リーダーなのだと自覚している人は、必ず要因・原因の分析をするようにしましょう。 数値に基づく分析を一通り行って、それでおしまいというわけではありません。そこから真因分析が始まることになります。行動計画の未達が目標未達の原因であったとすれば、「なぜ行動計画通りに行われなかったのか」を分析する。これは非常にわかりやすいので、すでに各部署で行っていると思いますが、それを何段階にも渡って深めていくのです。 そうすると、おそらく数値化不可能な真因にたどり着くような気がします。たどり着いた結論は新発見であることもあれば、最初から気づいていたことである場合もある。「最初から気づいていたこと」だからといって、ガッカリすることはありません。何となくわかっていたことに対して、確証を得ることができた。ここに収穫があります。自信を持って対処することができるわけです。 人間は感情に流されやすい生き物なので、結果によって、その後の行動が大きく変わってしまうものです。自分に与えられた職務を着実にこなしていかねばならないとわかっていても、感情に引きずられてしまう人もいることでしょう。特に、ネガティブな感情が尾を引かないように、注意せねばなりません。 もっとも確実な対処法は分析をしっかり行って、きちんと納得することです。結果はともあれ、常に最善を尽くしていると確信できるような状態をつくり出すことでしょう。努力の方向性とやり方とタイミング。このあたりの調整が大切。部下の中にはよくわかっていない人が多いので、上司からの適切なアドバイスが不可欠です。 ![]() ▲
by sogopt
| 2016-01-26 05:39
| 我が社
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午前10時過ぎから原稿を書き始める。昼頃、本文部分ができあがった。午後は3時から活動再開。インデザインに流し、字数調整。さらにキャプション、タイトルを加える。ほぼ完成か? 出力してみる。夕食後、次世代幹部養成塾の準備。少し時間がかかった。9時半準備完了。まだすべきことはあるのだが、このくらいにしておいたほうがよいかもしれない。10時半就寝予定。
僕は性格的に「共感力が乏しいタイプの人間だ」と思っている人が多いかもしれません。しかし、そうではありません。それは表現の仕方にちょっとした課題があるだけの話で、実は十分すぎるほどに共感のスキルを持っているのです。僕と一緒に仕事をしているとあまり感じられないかもしれません。けれども、実際にはそう断言することができます。 どうしてそう断言できるのか? それは雑誌で記事を書いているからに他なりません。スロウで書くようになる前には、東京で10数年にわたってタイアップ広告を書いていました。広告というものは、共感力の乏しい人にできるものではありません。 東京で広告を作っていた頃、僕の共感力は頂点にあったといえるでしょう。僕が携わった広告では、魅力的な商品もあれば、どうみても魅力を感じない商品もありました。正直な感想です。でもひとたび、メーカーや代理店から借りてきた商品をまじまじと眺めると、魅力的ではないと思っていた商品の中にも必ずウリがあるものです。さらに観察すると、「ちょっと好きになってきたぞ」という瞬間がやってくる。そうしたプロセスを経て、原稿を書き始めるわけです。これは共感力の乏しい人にできる芸当ではありません。おわかりいただけるでしょうか? 文章を書く仕事、写真を撮る仕事は、共感力がなければできないものなのです。コミュニケーション力と共感力を混同してしまうと、コミュニケーション力の低い人は共感力が乏しいと誤解してしまう。ライターでもフォトグラファーでもとっつきにくい人がいると思いますが、共感力とは別の話です。また、話がおもしろい人であっても、共感力が高いと決まっているわけではありません。この点にも注意が必要ですね。 僕は仕事を通じて共感力を身につけてきたところがあります。たぶん売れないだろう・・・。そう思う商品であっても、必ずその商品のいい部分を見つけることができました。そこを最大限に活かして文章を書く。思い切り共感していますから、僕としては100%真実の言葉です。そして、観察する前には売れないだろうと思っていた商品でも、雑誌が発売されると売れるようになっていた(ハズレることももちろんありましたが)。 今、僕は直接広告に携わることはほとんどなくなり、原稿を書くのはほぼ100%取材記事です。雑誌の取材の場合は、訪ねてみたい、体験してみたい、会ってみたいと思う人や場所、商品が対象となります。したがって、よほどのことがない限り、ハズレることはありません。最初から共感していますし、取材を通じて深く知ると、さらに共感度が増していく。自分の中にある共感スキルをさらに高めてくれる仕事。これ以上ありがたいと思う仕事は僕にとって他にありません。 僕の場合は写真と文章が現場仕事の2本柱ですから、この仕事が心底ありがたいと感じるわけです。他の職種の人であれば、それぞれ自分の職業領域において、やはりありがたいと思っていることでしょう。僕は写真と文章によって共感力を高めてますが、デザイナーはデザインを通じて、営業はお客様との関わりを通じて、印刷オペレーターは製品づくり、製品との対話を通じて共感力を高めていることでしょう。 共感というのは「感情を共有すること」。相手が人物とは限りません。僕は広告を作っていた頃、モノに共感していました。正確にいうと、モノをつくった人たちに対しての共感だったというべきでしょうか。モノそのものなのか、作り手なのか、ちょっとわからなくなりそうです。いずれにせよ目の前に商品があるだけで、誰かと会話するわけではない。それでも十分に共感できるのです。 風景撮影をすると、目の前の被写体に共感します。写真は被写体との共同作業なので、共感力が乏しいといい写真は誕生しません。相手が人物であれ、風景であれ、共感レベルが写真の質を決定づけることになる。 したがって、仕事においてプロを目指す人、さらに上を目指そうとする人は、自分の共感スキルを高めていかなければなりません。共感というと、相手の顔を見てうなずいたり、微笑んだり、ときには一緒に涙を流したり・・・。そんな光景を思い浮かべるかもしれません。それもひとつの表現であり、人として大切なことでしょう。けれども、仕事のプロとしてはもっと本質に迫らねばなりません。 自分が記事として取り上げようとしている題材は、本当のところ、どこに価値があるのだろうか? どこに自分との関わりがあるのだろうか? どう表現すれば取材相手にとっても読者にとっても有益な記事となるのだろうか? そんなふうに考えていくと、僕の場合は自分の個人的感情などどうでもよくなることがあります。 共感とは、感情だけではなく、「感性を共有すること」なのではなかろうか? 今日、原稿を書きながらそのような感想を抱きました。 ![]() ▲
by sogopt
| 2016-01-24 22:14
| 写真
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午前10時半頃から原稿を書く準備。音声データを聞くが、工場内の録音であるため聞き取りにくい。昼過ぎから書き始める。夕方までに1800字。ペースは遅いが、だいたいメドはついた。6時20分、ふく井ホテルへ。6時半、帯広経営研究会新年総会。7時半から新年会。新年会では全会員が今年の抱負を述べるのが恒例となっている。僕はその時間を企業展示会「十勝の企業力2016」PRに使った。お酒は飲まず、ノンアルコールビールとノンアルコール梅酒。10時半帰宅。11時半就寝。
中小企業家同友会とかち支部40周年記念事業として開催される、企業展示会「十勝の企業力2016」。募集締切日を過ぎていますが、まだ申し込みは間に合います。迷っている方がいらっしゃいましたら、ぜひ申し込むか問い合わせをお願いします。また、当社営業職の方は声かけをお願いします。 2004年のスロウ創刊号のときのような手探り状態を僕は感じています。これは吉兆ですね。その6年前、僕が入社する前のことですが、月刊しゅん創刊の頃も同じような状態だったと思います。これまでなかったものをつくろうとすると、何をどうしたらよいのかわからないということになりやすい。 しゅんの場合は「全国ぷらざ協議会」という組織があって、すでにフリーマガジンを発行している会社の勉強会に参加していました。したがって、発行する側としてはだいたいイメージができていました。とはいえ、広告によって成り立っている媒体なので、広告主となるお客様のイメージが曖昧だと出稿していただけないということになる。創刊からしばらくの間はイメージのギャップに苦しむこととなりました。しゅんの場合は、作り手のイメージギャップも大きかった。態勢が整うまで、4、5年を費やすこととなりました。 スロウの場合は広告依存度が極端に低いという理由もあって、作り手のイメージをまとめることに専念できた点が大きかった。創刊号はイマイチでしたが、2号において現在のスロウにつながるレベルに到達。こういうのをクオンタムリープと言ってよいのかどうかわかりませんが、突然すごい本ができてしまった・・・と驚いたのでした。 「十勝の企業力2016」もそうした形で発展していくことになるのかもしれません。僕としては言葉を尽くして話しているのですが、なかなかイメージをつかみ取ってもらえないというもどかしさを感じています。逆に、イメージできた人はすごく積極的。細かい質問はなく、即答という感じです。うまくいくかどうか、本当のところは誰にわかりませんが、とにかくやってみる。それ以外にないようです。僕はうまくいくと確信していて、スロウのように2回目でブレイクするような気がします。 同友会とかち支部は企業連携によって数多くの成果を生み出している組織だと思います。僕は遅ればせながら、シンガポールミッションの際に気づいたわけですが、実にいろいろな連携がありますね。ずっと勉強や研修、ときどきは地域貢献の場として捉えていたわけですが、企業連携によって自社の新しいマーケティング手法を試す場でもある。単なる自社商品の売り込みではなく、勉強・研究と結びつけながら、新たな実験やチャレンジを行っていく。ここにとかち支部の活動のユニークさがある(他の支部もそうだとは思いますが)。 自社単独の経営資源だけに目を向けると、中小企業はどうしても限界を感じてしまうものです。自社だけでできることは限られている。発想は無限ですが、行動範囲は有限(思い込みかもしれませんが)。大競争時代の今、僕らがすべきことは「まとまる」「強みを集約する」ことではないでしょうか。 シンガポールミッションの成功のポイントは、「十勝をまるごと売り込む」という考え方でした。その概念は他のプロジェクトにも活かされています。我が社も少なからず影響を受けている。当社で制作させてもらった「十勝農業の本」や「ワークワークとかち」なども、十勝まるごとという発想が根底に流れていると思います。 十勝の中小企業は同業種、異業種さまざまな形で連携し合いながら発展していくことになるのではないか? すべてが成功するわけではありませんが、ジョイントビジネスが活発化することによって、業態変革や事業革新が進んでいく。そんなイメージを僕は持っています。世の中がダイナミックに変わっているのですから、自社が持つアイデアだけではとうてい追いつかないのです。 先週、新事業を始めるT社の方々とブレーンストーミングを行いました。1時間半話しただけなのに、お互いのアイデアを出し合うだけで、すいぶんイメージが広がっていきました。「十勝の企業力2016」でも同じような現象が起こるのではないか? 出展者と来場者、あるいは出展者同士のジョイントビジネスの可能性が広がっていきます。十勝という場所は地理的にも市場規模的にもまとまりやすい。まとまってから、道外、国外に広げていくべきではないかと思います。 「十勝の企業力2016」は、そのための有力なプラットフォームになり得るイベントです。 ![]() ▲
by sogopt
| 2016-01-24 08:24
| 経営
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朝は写真のプリント作業。次の原稿づくりの準備。午後1時20分出社。急いで写真の額装を行う。2時に間に合った。北海道新聞さんに写真5点、写真集などを手渡す。3時来客。お客様4名、当社4名でブレーンストーミング。おもしろいことになりそうだ。5時アパホテル。北海道印刷工業組合十勝支部の幹事会。6時から新年交礼会。8時半帰宅。10時就寝。
スロウの原稿はあまり進みませんでした。けれども、レイアウト作業は比較的スムースにできました。僕はデザイナーではありませんが、80%くらいのところまで自分でデザインを行います。編集者が作成するラフレイアウトと本当のデザインとの中間といったところでしょうか。インデザインでつくるので、完成度が高ければデザイナーは微調整レベルで仕上げることができる。 しかし、僕の考えるところ、最後の20%が大変なんですね。アマチュアでも80%までは進むことができますが、残り20%はプロの領域であって、おいそれとは近づけない世界が広がっている。DTPが普及したおかげで、アマチュアでももう10%くらい攻め込める人もいるでしょう。けれども、やはりプロとはちょっと違うものがある。雑誌の場合、特に文字組みにそれが現れますね。 もちろん、プロといってもその中にはレベルの違いがありますから、みんながみんな100%というわけではありません。誰に中にも、ちょっと物足りないと感じる部分があるもの。ですから、98%くらいにまで高い完成度を感じると、いたく感動します。そういう記事に過去何度か出合ったことがあります。 いずれにせよ、100%、つまり完璧ということはあり得ません。だが、100%にどれだけ近づくことができるのか、ギリギリまで突き進んでいくことが職業人の役割なのだと思います。プロの領域が80%から100%の間にあるとすれば、本当に厳しい世界は90%を超えたあたりに待っている。安易なところ、たとえば91%くらいで妥協してしまうのか、あるいはほとんどの人が気づかないようなところにまでこだわるのか? スティーブ・ジョブズの言葉にこのようなものがありますね。 「偉大な大工は、たとえ見えなくてもキャビネットの後ろにちゃちな木材を使ったりはしない」 これはコンピュータの中の基盤の美しさにこだわった理由について語ったときの言葉だそうです。気づかないだろうからいいだろう・・・と安易な方向へ流れてしまうと、自分のつくり出すものはどんどん安易なものになっていく。レベルの違いはあるにせよ、現時点の自分にとってベストなものを生み出そうと執念を燃やさなければなりません。 現時点ではこれが自分の最高レベル。我が社の人たちは誰ひとり例外なく、そこまで攻め込まなければなりません。社内にはやさしい人が多いので、「攻めないことによって責められる」ということは少ないでしょう(皆無ではないと思います)。しかし、ギリギリまで攻め込まず、完成度の低い状態で次工程にまわしてしまうと、職業人としての自分の心は傷んでしまうことになる。安易な妥協が次の妥協を引き寄せる。そこにちょっとした落とし穴がありますね。納期や締め切りとの兼ね合いがある中で、常に最高、最善を追求しなければなりません。 一昨日から昨日の朝にかけてプリントした写真はわずか5点ほど。それでも、ずいぶん苦労しました。どうして苦労したのかというと、写真集に使った印刷データの色になかなか近づくことができなかったのです。印刷データはCMYK。そのうえリサイズしていますから、そのままプリントするわけにはいきません。元データから画質調整していきました。 2014年に制作した写真集は、どれも自然な色合いで印刷されていますが、同じものをつくれと言われても二度とつくることのできない作品に仕上がっています。2016年現在の僕は、現時点での最高レベルでプリントすることになりました。同じでなくてもよいのだ。そう頭を切り換えて、途中から印刷データを見ずに仕上げていきました。どちらかのレベルが高いということではありません。作品づくりにおいては、今の自分に忠実になるしかないのです。 20代の人は心して仕事に取り組むべきでしょう。出版、広告、印刷の仕事は後々まで残るものです。たとえ現物は残らなくとも、自分の記憶には残るはず。91%まで仕上げて終わるのか、98%まで攻め込むのか。他人はわからなくとも、自分はちゃんと知っています。その記憶が将来の自分に何かしらの影響を及ぼすこととなる。20代に98%、99%という仕事(または作品)を成し遂げる。そんな記念碑的な作品(変な言い回しですが)を生み出すべきでしょうね。それがあるかないかによって、その後の人生が変わってきます。 ![]() ▲
by sogopt
| 2016-01-23 07:39
| 写真
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前日の続き。朝、予定通り2時間で原稿が完成する。11時半、とかち館。FMウイング番組審議会。午後1時帰社。1時半来客。2時半ミーティング。4時帰宅。入稿作業。6時半いったん仕事を終える。夕食。8時から作業再開。9時半関係者に送る。続いて、写真のプリント作業。どうもプリントの設定がうまくいかない。1時間ほどの作業で力尽きた。11時過ぎ就寝。
目を酷使しています。僕は原稿執筆とレイアウト作業で。M氏はおもに校正作業。どちらも目を使います。今、目にいいかもと思って使っているものがあるのですが、効果のほどが判明するのはしばらく先のことでしょう。実際に効いたら報告します。 試してみて、すぐに効果を知ることができたなら、どんなによいことでしょう。何事もそうですね。一日みっちり勉強したからといって、すぐに頭がよくなるわけはない。一冊本を読んだから、すぐに仕事に役立つというわけでもありません。継続的に勉強したり、トレーニングを積んだり、チャレンジし続けるからこそ、何かしらの結果が生まれる。当たり前の話ではあるのですが、多くの人はあきらめてしまうタイミングがあまりにも早い。 僕にもそういう傾向があります。すぐに結果を求めたがる。すぐに求めたがる結果というものは、おそらくは「本当は求めていないこと」なのだと思います。本当に求めていたとすれば、結果が出るまで必ず続けるはず。つまり、飽きっぽい人、継続力のない人というのは、「継続する能力がない」わけではなく、本当は「求めているものがない」のかもしれません。本当に求めているものは何なのかを特定する。そうすれば、自分でも驚くほどの継続力が発揮できるような気がします。 僕は性格的にかなり飽きっぽいタイプだと自覚しています。けれども、2つの分野に関しては継続的努力を続けることに成功しています。まあ、30年以上続けることができているのですから、継続力という点では合格と認定してもよいでしょう。本当のところ上達したといえるのかどうかはわかりませんが、おそらく一生続けていくことになるに違いありません。2つあってよかった。僕は本当に飽きっぽいので、ひとつだけだと心配だったのです。これが5つ以上だと多すぎるでしょうが、2つなら僕にはちょうどいい。 さて、本当に求めているものは何なのか? なりたい状態を思い描く人もいれば、ほしい能力を描く人もいることでしょう。どちらもアリではあるのですが、社会人経験の浅い人はまず「ほしい能力」に絞り込んでほしいと思います。自分の身につけるべき能力を特定しなければ、何かを始めようと思っても何も始まらない。どんな分野であってもよいので、「自分が一番」と思えるものを手に入れようとすることです。 昨日と今日、コア・コンピンタンスに関連する原稿を書いていました。具体的な強みを持っているからこそ、さまざまな事業展開の可能性があり、将来が楽しみな会社となるのです。個人の場合も同様で、はっきりとした能力を持っているかどうかによって、長い仕事人生の質が決まってしまいます。「自分は○○○の分野で卓越した能力を有している」。そう断言できるような能力を身につけるべき。 具体的に語ることのできる能力がないと、「元気がいい」とか「あいさつできる」とか「楽しい」といった性格面の長所をウリにしようとする傾向が出てきます。20代半ばまでなら、性格のよさで通すことも可能かもしれません。けれども、社会人3、4年目ともなってくると、「結局何ができる人なのか?」が問われるようになってきますから、具体的な能力がないと次第に苦しい立場に追い込まれる。社会人3年目まで、長く見ても5年目までには確たる何かを手にしていなければなりません。 それは継続力とか忍耐の初歩。ごく当然のことといえます。継続的努力が本当に実を結ぶのは10年目以降のことでしょう。中には20代にして多くの果実を手にする人もいますが、そうした人はたぶん10代から何か具体的なものに的を絞っていたのだと思います。まあ、一部の天才の場合はこの限りではありませんが・・・。 努力家の人は世の中に山ほどいます。単なる努力では「本当にほしいもの」は手に入りにくい。やはり、コア・コンピタンスの考えを持つことが大切です。自分の持つ中核的な力、断トツだと思えるものを徹底して伸ばしていく。そのためには、自分のコア・バリュー、周辺バリューを特定する必要があります。つまり、自分を客観視するという能力が求められる。 ひとつのことにとことん打ち込んでいるという人、何かに熱中しているように見える人は、案外、自分を客観視している人なのかもしれません。熱中している姿だけを捉えて、情熱的、感性的だと勘違いすることがありますが、案外打ち込んでいる人は冷静なのだと思います。自分のたどり着くべき地点を知っているから、あきらめることなく、そこへ向かって一歩ずつ近づくことができるのです。 ![]() ▲
by sogopt
| 2016-01-22 05:18
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