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高原淳プロフィール
高原 淳
1961年北海道帯広生まれ 大阪芸術大学写真学科卒 雑誌・広告を中心にフォトグラファーとして活動 2000年帯広にUターン 2001年、ソーゴー印刷(株)代表取締役就任 2004年、雑誌「northern style スロウ」創刊を機に写真活動を再開 主な写真展 1985年「COMME JE SUIS」(6人展、Gallery・DOT) 1988年「再生」以来、Gallery・DOT(京都)にて定期的に個展開催 ・2005年10月「記憶の中の風景」(Gallery・DOT) ・2006年3月「記憶の中の風景」(弘文堂画廊) ・2007年11月「記憶の中の風景」(Gallery・DOT) ・2009年8月「スロウ20号記念展」(ファインアート器野) ・2010年5月「スロウなまなざし」(Gallery・DOT) ◎月刊しゅん http://shun.tv ◎しゅんプラス http://shun-plus.com ◎northern style スロウ http://www.n-slow.com ◎クナマガ日記 http://www.n-slow.com/blog/index.php ◎ソーゴー印刷 http://www.sogo-printing.com ライフログ
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朝6時半出発。3名で砂川へ。まだ本取材の段階ではなく、プレ取材的訪問だった。が、ここはフォトグラファーとして過去最大級に刺激を与えられた場所となった。炎天下、撮影に熱中した。カメラにも地面にも、汗がポタポタしたたり落ちた。汗をぬぐう気にもならず、ひたすら被写体にレンズを向けていた。何時間いても飽きることのない場所だった。雑誌のための撮影ではなく、自分の気のすむまでシャッターを押し続けようと思った。そういう意味ではプレ取材でよかった。ここには、これから何度も足を運ぶことになるだろう。被写体に秘められた謎について、帰り道の中でずっと思いを巡らせていた。5時35分帰宅。シャワーを浴び、着替える。
6時中小企業家同友会とかち支部へ。経営指針研究会。頭の切り替えに時間がかかるのではないかと思ったが、僕の頭はすんなり経営指針モードになっていた。自社の内部資源分析について。参加者の発表とディスカッション。自社及び自社の属する業界について深く考えるべき時代だ。どの業界も業態変革に迫られている。どんなに恵まれた業界であっても、例外はないのではなかろうか? 差し迫った業界とまだ時間に余裕のある業界があるだけ。差し迫った業界に属する会社は急速に変わらねばならないし、時間的余裕のある業界に属する会社は旧態依然の経営を行っていたりする。どちらがよいかは何ともいえないが、いずれ変わるときが来る。同じように業態変革するのであれば、それは早いほうがよいはず。つまり、環境の厳しい業界に属しているほうが「早くチャンスが巡ってきた」と考えるべきかもしれない。そんなことをずっと考えながらディスカッションに参加していた。9時終了。9時20分帰宅。夕食後、写真セレクト作業。そろそろ眠らねば。 それにしても謎が多いものです。自然界そのものも謎だらけですが、僕は人間なので、誰かが埋め込んだ謎について考えることが大変おもしろい。昼間撮影した場所はよくもこれだけ埋め込まれたものだと思うくらい、大量の謎、しかも複雑な謎が埋まっていて、僕のイマジネーションが大いにかき立てられました。謎というものは解くべきものとそのままにしておくものとがあると思います。僕は写真を撮りながら、どちらかというと後者のスタンスでいるようにしています。謎解きのような写真はあまりおもしろみを感じない。けれども、撮影者としての自分の視点はハッキリ見えるようにしようと思っています。 あと数回訪ねたら、摩訶不思議な世界観の全体像を写真にすることができるような気がします。これは非常に楽しいことになってきました。次回砂川に来るのがとても待ち遠しい。次に来るときは曇りの日がいいな・・・。 自社の持つ世界観も、普通であってはおもしろくない。僕はそう考えています。自分の会社はユニークでなければならない。そもそも「普通」というのはあり得ない。どこかしら、他人・他社と違う部分を持っているからこそ、自分であり、自社であるのだと思います。それを「普通」というようにひとくくりにしてしまうと、自分・自社がこれから何をなすべきなのかが、不透明になる。ぼんやりとしてしまって、何となく同業他社と同じことをやって安心感を得ようとするようになってしまうのです。 ところが、同業他社がどんどん淘汰されていく時代です。違うことをやらねばならない。同業者はみんなそのように思っています。そうして、結果的に同業他社と同じようなことをしてしまっている・・・。ここにあらゆる業界のほとんどの企業の問題点があります。我が社も例外ではありません。 いかに他社とは違ったことをするか? 闇雲に違ったことをしても意味ありませんから、自社の強みと外部環境を認識してから違ったことを行うのです。そのためにSWOT分析が必要なのだと思います。 SWOT分析は普通の分析では物足りないのです。ユニークな視点から分析する必要がある。僕自身も普通の平凡な分析を行ってしまったことがありますが、平凡な分析から得られる結論はやはり平凡なものとなる。もっと果敢に、この世の、そして業界の謎に対して挑んでいかねばならないのです。 今日、砂川で見た不思議な世界。ここには何か重要なものが隠されているような気がしてなりません。経営指針とは一見関係ないように思われますが、自然環境が人生に大きな影響を与えるように、不思議な世界に目を向けることで、自分のパラダイムが大きく変わる可能性もあるのではないか? 今日の体験は、大袈裟にいえば自分の世界観が揺さぶられるようなものでした。本当にビックリしました。 ![]() ▲
by sogopt
| 2012-08-30 23:51
| 写真
午前10時、札幌からお客様が来社。午後6時には江別からお客様。どちらも素晴らしい再会。そして、ありがたい話。その他の時間はミーティング、原稿、取材の準備、企画等。7時頃帰宅。9時頃から作業再開。そろそろ終わろう。
尊敬すべき経営者であるN社長は、よく「正解はありません」という言い方をします。確かに、これが正解と決まったものはありません。学校の試験問題であれば、正解・不正解をハッキリ区別できるかもしれませんが、世の中に出ると正解はない。自分の信じた答はすべて正解であるともいえるかもしれません。信じ切ることができたとすれば、どちらを選択するかは大きな問題ではない。大きな問題となるのは、迷ったあげく中途半端な選択の仕方をしてしまうことです。 僕の考えるところ、就職であるとか、結婚といったものは、「信じ切ること」が何よりも大事なのではないかと思います。自分の選んだ職場、自分の選んだパートナー。どちらも自分で確かに選択したはず。無理矢理あてがわれたということは、まずないでしょう。 ただ、ありがちだと思われるのは、何となく選んでしまった・・・というパターンです。こうした「何となく」とか「どっちでもいいと思って・・・」という選び方はよくありません。甲乙つけがたい場合であっても、明確に選択することが大切といえるでしょう。 自分で明確に選択しないと、後で何かうまくいかないことが起こったときに「あっちを選べばよかった」ということが起こるのです。自分の心の中に逃げ場というか暗闇のようなものをつくってしまうことになる。選択が曖昧だと、後悔と迷いの人生に陥ってしまいます。このパターンにはまってしまうと、元通りにするには相当なエネルギーを費やすことになります。 明確な選択は、日常のちょっとしたトレーニングで習慣化することが可能です。僕が採用しているのは、料理の注文をするとき明確に選び切ることですね。で、選んだ後に後悔しないこと。世の中にはいつまでもメニュー表を眺めている人がいますね。注文した料理が届いて、最高潮においしい状態の料理が目の前にあるというのに、メニューの料理写真をいつまでも眺めている・・・。この不思議さ、滑稽さに僕らは気づかなければなりません。 人生においても、ぼんやりと過ごしていると、これと同じようなことを行ってしまうことになります。今まさに、自分の力を発揮すべき時なのに、「自分にはもっと活躍できる場があるのではないか・・・」などとぼんやり考えていると、ビッグチャンスが素通りしていく。10年くらい年月がたってから、「あれはビッグチャンスだったのだ」と悔しがるのです。そんなようなことが大なり小なり、多くの人の人生に起こっていることでしょう。僕も偉そうなことがいえるような人間ではなく、そういう失敗を何度か重ねて現在に至っています。 だから、自分の直感というものを信じ切らなければなりません。目の前にいるパートナーを選んだのであれば、例え何が起ころうとも信じ切ることが大切。今の仕事に困難なものを感じたり、職場が何となくギクシャクしていたとしても、自分の会社を信じ切って、自分にできることを最大限に行わなければなりません。 信じ切ることによって道が開けてくるわけです。「信じられない」と言っている人は、まわりからの信頼も得られなくなりますから、最終的には自分自身のことも信じられなくなる。自分の選択を信じる→周囲の人や環境を信じる→周囲からの信頼が得られる→自分の力を発揮できる環境が整う。極端に単純化すると、このようなプロセスを経て自己成長していくのだと思います。 順風の時も逆風の時も変わることなく、自分の人生や自分の会社のことを信じ切ることのできる人財。信じ切ったうえで現状を変えるパワーを持った人が、今の世の中ではどの会社でも必要とされています。もちろん、我が社にも! ![]() ▲
by sogopt
| 2012-08-29 23:56
| 経営
朝7時出発。目指すはむかわ町穂別。とても意外なことだが、穂別の市街地を訪れるのはこれが初めてだった。国道274号線は数限りなく走ってきたというのに。9時過ぎ到着。市街地から少し外れたところに取材先があった。ノスタルジックな空間。その中で自然のぬくもりを感じさせる作品がつくられていた。3時間あまりの取材と撮影を終え、再び穂別の市街地を通って帰途につく。この並木道は印象的だ。
余裕で3時過ぎに戻ってこれるはず・・・.そう思っていたのだが、途中でものすごい睡魔がやってきた。たぶん30分以上仮眠したのではないか。自宅に戻ったのは3時40分。急いで着替えて、ベルクラシックへ。中小企業家同友会とかち支部四役会が開かれようとしていた。ギリギリ間に合ったという感じ。続いて幹事会が行われる。本当はさらに7時から例会が行われるのだが、体力を温存させねばならない事情があった。7時過ぎ帰宅。トマトたっぷりのパスタをつくって夕食。前日再会したS氏の著書を読んでから就寝。 さて、穂別の取材では重要な言葉が出てきたような気がします。取材させていただいたのは、あるめずらしいジャンルの作品をつくっておられるYさん。工房では定期的にワークショップも開いているそうです。ワークショップに参加する人たちのニーズは、「その作品のつくり方を知りたい」「自分でつくれるようになりたい」というものでしょう。 ワークショップですから、実際にその作り方を学ぶことになるのですが、「ハウツーよりもその背景にある考え方」を繰り返し伝えているとYさんは話していました。なぜ、この素材をこのように採取して使うのか? つくられたものにはどのような意味があるのか? 制作活動を通じて何を感じ取るのか? 参加者の方々は、ものづくりの工程を学びながら、本質的な意味について考える。師の伝えようとしていることの真意について思いを巡らせるわけです。 このことは僕らが毎日行っている仕事に置き換えて考えてみる必要があるのではないか思います。 新人は、まず最初は誰かから教わるところから始まります。独学で技術を身につけたという人もいるかもしれませんが、我が社の社員であればほぼ全員、誰かに教わって仕事ができるようになっていきます。 しかし、ここで重要な勘違いが発生することが多い。ハウツーを覚えただけで仕事を覚えたような気持ちになってしまう人が少なくないのです。自己成長目標を「仕事力」だけに設定してしまうと、このようなことが起こります。そして、浅いレベルでの仕事力しか身についていかないのです。そのことは何度も形を変えて伝えようとしていますが、伝わる人と伝わらない人とがいます。頭では理解しても、納得・共感レベルに達しない人もいます。このあたり、僕の力不足を感じるとともに、やり方を変えなければならないと思っているところです。 僕らの行っている仕事は経済活動なので、ワークショップでの作品づくりのようにはいかないことが多い。けれども、経済活動を通じて人間的、人格的成長をしていかなければ、仕事に対する充足感を感じることはできにくい。お客様に対して深いレベルでの満足感を感じていただくことも困難でしょう。 仕事には技術やノウハウが必要ですが、その根底に理念がなければなりません。理念は文言として知っているというレベルではいけない。また、我が社の理念、部門理念、編集理念、営業理念を誤って解釈したり、自分の都合のいいように解釈してはいけないわけです。理念をもっと深く知ろう、行っている仕事の意味を深く知ろうという気持ちを持ち続けないと、技術・ノウハウだけが一人歩きしてしまう危険性があります。 社内には語り部が必要です。自社の創業の精神を伝える語り部がいる会社は強い、とよくいわれます。語り部はひとりでは足りない。各部署ごとにいるのが理想的でしょうね。そして、僕自身の語り部としての能力を高め続けなければなりません。 ![]() ▲
by sogopt
| 2012-08-29 06:12
| 経営
朝6時45分出社。7時から次世代幹部養成塾第21講。ゲスト講師はY氏。テーマは「99点の意味」。Y氏が担当する自分史の仕事に関するものだった。こうした経験に基づく話には思わず引き込まれる。淡々とした説得力、いや納得力とでもいうべきものがあった。朝礼後は北海道新聞に寄稿している「気になる店」の原稿を仕上げてメールで送る。字数が多かったようで、少し手直しして完成。他にいくつかの作業的仕事。昼は自宅でランチを兼ねたミーティング。前日つくったトルコ料理+ペペロンチーノ。ミーティングは2時終了。会社に戻ってからは来期に向けての準備。いろいろ変えるべき点がある。5時半からはコア・コンピタンス委員会。7時、市内でS氏と待ち合わせ。学生時代の友人。会うのは20数年ぶりか? フォトグラファーとしての活躍ぶりはもちろん知っているが、ずいぶん長い時間が経過したものだ。だが、空白の時間を埋めるような作業は必要なく、昨日も会っていたかのような感覚。不思議なものだな。10時過ぎ帰宅。
朝の勉強会では「人生の意味」について考え、夜の食事会では「人生の時間」について考えていました。時間というものは非常にユニークなもので、気持ちの持ち方によって長くも短くもなる。ほんの数分が永遠に思えるほど長く感じることもあるし、何10年という時間が一瞬のように思えたりもします。だから、「失われた一瞬は永遠に取り戻すことができない」ともいえるし、「何10年ものブランクを一瞬で取り戻すことも可能」といえるでしょう。自分がどのように思い、どうしたいのかが重要なのだと思います。 自分史という仕事は写真にたとえると「セルフポートレート」(自画像)のようなものでしょう。それも70年、80年という長時間露光によって定着させた自画像ですね。あ、セルフポートレートといえば、名著がありました。マン・レイの「セルフポートレート」。マン・レイの自伝を僕は学生時代に読んで、ずいぶん衝撃を受けたのでした。 僕が次世代幹部養成塾で気づいたことは、「長時間露光は最後にシャッターを閉じなければならない」ということ。シャッターが開きっぱなしだと写真は写らない。シャッター幕を開き、それを閉じることによって画像が記録される。それが通常の撮影であれば数100分の1というシャッター速度。長時間露光の場合は数10分とか数時間に及ぶこともあります。だが、いつかはシャッター幕を閉じる。人生もいつかは幕引きとなるわけです。きちんと閉じることが大事だ。そういう重要な話が昨日はY氏の口から語られていたと思います。 仕事とは何か? それも人生を賭けた仕事とはどういうことなのだろうか? そう考えていくと、ふだん何げなく行っている仕事も人生の壮大なストーリーの中でしっかり位置づけすることが大事なのではないかと考えます。何のためにこの仕事を行っているのか? そこには経済的な意味だけではなく、哲学的な意味を持たなければなりません。経済にも哲学が含まれているので、経済的であることは悪くはないのですが、経済の中の一部である金銭の流れにだけ目を向けてしまうと、自分の仕事の意味がわからなくなってしまうのです。意味を考えなくなると、人は損か得かだけで意思決定するようになる。ここに人生の落とし穴があると僕は考えています。だから、絶えず哲学的な意味について思いを巡らせる必要があるわけです。 昨夜はお酒を飲みながら、そのような写真哲学に発展していったような気がします。ふつうの写真の話だったのですが、お互いの思想・哲学を20数年ぶりに確認し合いました。こういう話は僕がこれまで作品を発表してきた京都でしかできないものと思ってきましたが、帯広で写真の話をしている自分を発見し、ビックリしました。生き返りますね。写真哲学の話をすると。 ![]() ▲
by sogopt
| 2012-08-28 05:34
| 写真
昼頃、とかちプラザへ。「月刊しゅん 美と健康フェスタ2012」が行われていた。こうしたイベントを年1回開催するようになってから6年目。最初の1、2年は大わらわだったが、今ではみんな通常業務であるかのように動いている。経験し、自分のスキルに変えていくことが大事だ。次に向かったのは中小企業家同友会とかち支部農業経営部会が主催する収穫感謝祭の会場。もう23回目になるという。少し雨が降ったというが、僕が到着したときには明るい曇りといった感じだった。入口で大根、トウキビ、牛肉引換券、ビニール袋を受け取る。ビニール袋はジャガイモ、タマネギを入れるためのもの。詰め放題とはいえ、たいたい7割くらい入れたところで十分なような気になってきた。午後2時頃帰宅。
大量のタマネギをどうしよう? やはりトルコ料理をつくることにしよう。最初に着手したのは「レンズ豆のスープ」。レンズ豆は手に入らなかったので、別な3種類の豆を使用。豆が主役だが、タマネギをやや多めに使ってみた。 2品目は「ヒュンキャール・ベーエンディ」。これは「君主(スルタン)が気に入った」という名前の料理だ。主役はナスだが、これにもタマネギを多めに使用。それにしても手間のかかる料理だった。さすがスルタン。ナスを焼いたあと皮をむくのに苦労した。 しかし、できあがってみると、2品とも自分のつくった料理とは思えないような味に仕上がった。4時過ぎ、早めの夕食をいただくことにした。7時頃から原稿を書き始める。9時終了。10時過ぎ就寝。 トルコ料理を作り始めてまだ5品という段階ですが、このペースで1年間続けたらけっこうなアイテム数になるでしょう。腕でも上がっているに違いない。もうすでに、僕の舌には十分おいしく感じられる。自分で料理をつくるようになってから30数年たちますが、もっといろんな料理にチャレンジすべきでした。料理はクリエイティブなものだし、この経験は別な何かにも役立ちそうだ。 月刊しゅんのイベントでは、ふだんの営業や編集業務では味わうことのできない経験をすることになります。ふだん通りの業務だけを行う人とふだんとは異なる経験を定期的に行う人。両タイプの人がいたとしたら、後者のほうが成長する可能性が高い。イベントに限らず、さまざまな勉強会や研修、さらには異業種交流等、ふだんとは異なる経験を時間の許す限り行うべきでしょう。 いかに外部からの刺激を自分の能力・実力に変えていくか? それは日常業務の中でもある程度はできるものだと思いますが、営業職や編集職の場合は、通常の業務範囲だけでは物足りなくなってくることが多い。世の中は今ダイナミックには変化しつつある。僕らが通常見聞きできる範囲では、その変化を的確にキャッチすることは不可能だと思ったほうがよいのです。 したがって、できる限り遠くへ行って情報収集する、できる限り遠い業界の人と知り合いになることが大事なのではないかと思います。 今まで、できる限り遠くへ行くのは僕の役目だと思ってきましたが、その考えはそろそろ改めようかと思うようになってきました。経験の実力の備わった人。とりわけ情報吸収力の高い人に少しずつ任せてみたいと思っているところです。 ![]() ![]() ![]() ▲
by sogopt
| 2012-08-27 05:32
| 我が社
午前9時、ちょっと遅めの出発。目的地は湧別。途中、西興部村に素晴らしい滝があった。行者の滝と赤岩の滝。もうひとつ、最奥部には黒岩の滝もあるのだが、2つの滝を見ただけで十分満足してしまった。次回、ぜひ訪ねてみたい。そうこうしているうちに、湧別での約束の時間が近づいてきた。周囲の景色をよく覚えているところなのだが、なぜか道に迷う。前回来たのは春。建物が植物に囲まれていたため、見落としてしまったようだ。10分遅れで到着。20分ほどで仕事は完了。調査活動を行いながら帰途につく。午後7時帰宅。深夜、パソコンに向かっているとき地震があった。震度4。0時半就寝。
地震はぐらぐらと揺れるものですが、自信を持っている人はぐらつくことはない。だから、自信を持つことは大事。けれども、ちゃんとした人生を歩んでいくためには、自信とともに謙虚さを身につけなければなりません。このあたり、ちょっと難度が高いような気がします。僕も自信と謙虚さを兼ね備えているかと問われると、まだまだですと答えるほかありません。 謙虚さの備わっていない自信は、本物の自信ではないとよくいわれます。自信満々そうに見える人は虚勢を張っている人だったりするものです。その事実に本人が気づいてない場合もある。 他人を攻撃してしまうタイプの自信家は、僕の考えるところ「地震家」なのであって、真の自信家とは言い難い。他人をぐらつかせることで自分の優位性を確認しようとするのは、その自信が偽りであることにほかなりません。 本当の自信を持っている人は、まわりの人に自信を持たせるような言動・行動を行っています。そういう人はちょっと観察していればすぐにわかるもの。 だが、残念ながらすべての人にそれが見えるわけではないようです。地震家タイプの人が自信家なのだと勘違いしてしまう人も少なくありません。真に自信を持った人になることを僕らは目指すべきでしょうし、真の自信家から僕らはよい影響を受けるべきです。そのためには地震家と自信家をちゃんと見分けられなければなりません。 自分はまわりの人にどのような影響を与えているのだろうか? それを冷静に、客観的に考えてみると、自分の自信の持ち具合を把握することができそうです。つまらないところで虚勢を張ったり、持論に執着したりするのは、自信不足である証拠。 出版広告部「今月の言葉」では、今月、ベンジャミン・フランクリンの言葉を唱和しています。 「私は、相手が明らかに間違ったことを主張しても、すぐにそれに反対し、相手の誤りを指摘することをやめた。そして、『なるほどそういう場合もあるだろうが、しかしこの場合は、少し事情が違うように思われるのだが…』という具合に切り出すことにした。こうして今までのやり方を変えてみると、ずいぶんと利益があった。人との話し合いがそれまでよりもよほど楽しく進む。控えめに意見を述べると、相手はすぐ納得し、反対する者も少なくなった。私自身の誤りを認めるのが大して苦にならなくなり、また、相手の誤りもたやすく認めさせることができるようになった」 このような、謙虚さと併せ持った自信というものは、相手を動かす大きな力となるものです。謙虚さが不足していると対立を生み出してしまうし、自信が不足していると地震家の人の言葉に流されたり支配されたりする。 大事なのは、無理に自信を持とうとするよりも、肯定的なイメージを持ち続けることと着実にスキルを高めていくことではないかと思います。スキルとは知識や経験を通して獲得した能力のこと。ちゃんと学び続けている人や仕事で苦労を重ねてきた人には、地震家の人には持ち得ない確信や信仰心のようなものが生まれてくるはずです。だから、攻撃的にならなくても静かに話すだけで真意が伝わる。僕のスキルはまだまだ不十分ですが、そういう人物は世の中を広く見渡すと発見できるものです。発見するだけではなく、ベンチマークしてやがて自分のものにしなければなりません。 今日は「月刊しゅん 美と健康フェスタ2012」の日。昼近くなったら、様子を見に行こうと思います。 ![]() ▲
by sogopt
| 2012-08-26 08:38
| 写真
午前8時帯広出発。12時過ぎ名寄到着。写真を撮りながら北上しようと思っていたのだが、天候が思わしくなく、ひたすら車を走らせていたら目的地に着いてしまった。名寄の天気は上々だった。昼食、プレ取材等。4時から取材。前半は会議、後半は試食会という内容。6時半終了。7時から打ち合わせを兼ねた会食。おいしい日本酒が置いてある店。飲み過ぎないよう、あえて焼酎の水割りを飲み続ける。それにしてもちょっと飲み過ぎたかも。0時過ぎ就寝。
昨夜は刺激的な会食、というより飲み会でした。僕の知らない情報がいっぱい出てきましたし、知っている情報の背景にある情報を知ることによって、全体像を理解することができたような気がします。 「知っている」という場合にも、いろんな深さがあるものです。表面的な事実のみ知っている。背後に隠された事情について知っている。思想や哲学、歴史的意味を含めて知っている。当事者、周囲の人々がどのように感じているかを含めて知っている・・・。いろんな階層、そしていろんな切り口から掘り下げていくと、「知っている」と思っていたものが、実は「ほとんど何も知らない」ことだったりするものです。 僕らは印刷会社で仕事をしていて、我が社の印刷製品や出版物、広告媒体、エリアマーケティングの各種商品について、だいたい知っていると思っています。少なくとも自分が取り扱っている商品については熟知していると思っているかもしれません。 けれども、「知っている」という思い込みはこの際、きっぱり捨て去ったほうがいいでしょう。自分の生み出している商品には、自分の知らない別な真実の姿が隠されている。そう思ったほうがよいのではないかと思います。 月刊しゅんを例に考えるとわかりやすいでしょう。編集担当者にとってのしゅん、広告主にとってのしゅん、読者にとってのしゅん、それぞれ「しゅん」の見え方は異なります。編集者は広告主の立場になろうとしたり、読者の目線から企画を立てようとします。けれども広告主や読者そのものになることはできない。したがって、毎日しゅんのことを考え続けていたとしても、必ず「自分の知らないしゅん」というものが存在する。 同じことが「スロウ」にも「マイステージ」にも「一般印刷物」にもいえるわけです。 それだけに、自分の知らない自社商品の真実の姿を教えられたときには、ハッと目が覚めるような思いをするものです。よい意味でも悩ましい意味でも、ハッとする瞬間が年に何度かある。そして、自分の知っている情報・知識と組み合わせることによって、深く理解することができたり、インスピレーションを得たりすることがあります。 深い理解やインスピレーションはどうしたら得られるのか? それは日頃から自分の持つ情報量を増やすことに務めることが第一。その上で情報を体系化、知識化していくことでしょう。もともと持っている情報・知識が乏しければ、重要な新情報に出会ったとしてもピンとくることはない。つまり、ピントの甘い生き方になってしまうということです。フォーカスを素早く合わせるには、幅広い情報を瞬時に吸収し、それを頭の中でファイリングする技術が必要。昨夜一緒に交流を深めた3人の方々は、みなその方面の達人と思えるような人ばかりでした。 こういう人たちの特徴は、話が論理的かつ具体的。エビデンスが正確なところにあります。固有名詞や数字、物事の順番が正確だと、説得力を増す。このあたりは大いに見習いたいところです。 話の説得力を高めるためには、曖昧な言葉を極力使わないことがポイントになってきます。「何となく」とか「・・・な気がする」といった言葉は要注意です。断定的な言い方を避けるために、つい使ってしまうことはありますが、使いすぎると話の信憑性が薄れる。エビデンスを十二分に伝えてから、「・・・な気がする」と締めくくれば、奥ゆかしい表現になりそうな気がします。 ![]() ▲
by sogopt
| 2012-08-25 23:54
| 写真
事務的作業に明け暮れた地味な日。だが、少しずつ準備は整ってきた。手続き的な業務にずいぶん時間を費やした。午後6時半帰宅。10時就寝。
昨日も文章力について考えていました。僕は「文章を書く」ということではまだまだ不自由な点が多く、スロウの記事のようなある程度まとまった分量の文章を書くことにはずいぶん苦労します。自分の書いた文章の単調さが気になることが多いんです。タンチョウは美しいのですが、単調な文章は美しくない。 それでも、25年近く文章を書くことが仕事の一部になっています。本当に不思議です。写真に近い事業領域にあったため、自然にそのようになったのです。 僕の文章力はたぶん中学校の時が絶頂期で、高校に入ってから文章力と写真力の順位が逆転しました。中学までは新聞をつくっていたため、書くことが当たり前だったし、大して頭を使わずともスルスルと言葉が出てきた。自分の主張したいことが泉のごとく湧いてきた(ちょっと大袈裟?)。高校に入ると、写真のほうに井戸を掘ったため、言葉の泉ではなく写真的イメージの泉に変わりました。ほどなく言葉の泉は枯渇した。 それ以降、言葉の泉は枯渇したまま10年、20年とたってしまいました。仕事で文章を書くようになったのは、言葉の泉が湧いてきたためではなく、天から降り注ぐ雨を効果的に集める方法を身につけたためといえます。ちょっとわかりにくい例えですね。 20数年前、僕が仕事として文章を書き始めたときは、自分の内側(泉)から湧き出してきた言葉ではなく、外からの情報(雨)を集めて文章を組み立てていったのです。したがって、ある程度のセンスと技術があれば書くことのできる文章。非常に苦労したのですが、日本語を話すセンスと技術があればたぶん誰にでも書くことができるはずです。書くことにはずっと苦労してきましたが、その苦労さえいとわなければ必ず書ける。締め切りがある以上、書けないはずはないんです。 状況が変わったのはソーゴー印刷に入社した12年前のこと。自分の考え、思い、感じていることを文章化する必要に迫られたのです。実はそういう文章も20代、30代を通じて書いてこなかったわけではないのですが、人に見せるようなものではないと思って書いてきた。つまり、自分の考え、思い、感じていることを文章化し、それを人に見せるということには大変なプレッシャーを当時の僕は感じたのです。 人前で自分の考え、思い、感じていることを語ること。そして文章によって表すこと。これは日創研の可能思考研修によって、ずいぶん楽にできるようになりました。僕にとって、この研修での一番の直接的メリットはスピーチ力と文章力の向上かもしれません。 そうして、僕の文章力を決定的に方向づける2006年がやってきたわけです(これも大袈裟?)。2006年7月発行の「northern style スロウ」第8号から、僕も記事を担当することとなったのです。つまり、文章表現力を手に入れなければならない。期限は約半年。 僕の考えた作戦は「毎日ひたすらブログを書き続ける」というものでした。社内的な大問題があって、3日ほど休止したことがありましたが、それ以来6年間休まず書き続けています。僕の文章は今でも下手だなぁと自分で思うことが多い。けれども毎日書くと、「必ず書ける」という気がしてきます。 ブログを書くということは、井戸を深く掘るというのと同じ。必ず水脈にたどり着く。深くたどり着いた水脈は、実は写真の水脈とつながっているということもわかってきました。もうひとつ、本当は経営の水脈ともつながっているはずなのですが、これはまだ発見されていないようです。鍾乳洞探検のようなチャレンジが必要なのかもしれません。 それはともかく、人間は必ず言葉の泉を持っていると僕は思っています。あとは井戸をどのように掘っていくのかということ。我が社の人たちには、あちこち掘るよりも一ヶ所を深く掘り下げていくことをおすすめします。 今日は名寄方面取材です。 ![]() ▲
by sogopt
| 2012-08-24 06:16
| 写真
午前中は取材の準備等。午後1半ミーティング。2時半からは自宅で本作り講座のミーティング。ミーティング後も自宅で仕事を行う。6時半頃終了。7時半から夕食。10時就寝。
どうもスピード感が上がらない。これは気温のためか? だが、9月には間違いなくハードな日々がやってくる。今のうちに加速しておかなければ。 「“伝わる”本作り講座」は次回が第3講となります。テーマは「伝わる文章を書く」。本作り講座の中でもっとも重要な回となるはずです。それだけに打ち合わせも入念に行われたわけですが、ミーティングの間、僕は「伝わる文章」の“伝わる”とは何が伝わるのだろうか・・・ということをずっと考えていました。 事実なのだろうか? 思いなのだろうか? 概念なのだろうか? イメージなのだろうか? 文章で伝えたいものはいろいろありますね。 事実を伝える文章と思いを伝える文章とでは、やはり書き方が変わってくるはず。事実と思い、その両方を伝えるにしても、どちらにウエイトを置くかによって文章の組み立てや言葉の使い方が変わります。さらに、「思い」の背景にある思想・哲学を伝えようと思えば、ある程度の筆力が求められるでしょう。この場合の筆力とはテクニカルな意味というよりも、自分の頭の中をまとめ上げる力ということです。 我が社には有能な書き手がたくさんいます。思わず引き込まれるような文章に出会ってビックリすることもある。逆に、書き手は有能なはずなのに、実に退屈な文章と出会うこともあります。 僕が現在得ている結論としては、魅力的な文章を書くための第一条件は、書くための技術力ではなく、魅力的な考えを持つことなのだということです。魅力的な思想・哲学を持った人間になることが大事なのではないかと思います。そして、そのような魅力的な思想・哲学は、本当は誰もが持っている。ただ、魅力的ではない考えや悪しき習慣も併せ持ってしまっているところに若干の問題があります。文章を書く際、こうした魅力的ではない考えが頭に浮かんでいると、当然ながら魅力的な文章にはならないわけです。技術力でカバーしようとすると、ますます困ったことになる。世の中には案外そのような文章が見られます。 出版広告部には800字レポートという課題がたまにあります。これは勉強会や講演会の後に学んだことや感想をレポートにまとめて提出するというもの。この800字レポートの中には必ずといってよいほど哲学的な文章があります。何かに感銘を受けたり、深く考えさせられるようなものに出会うと、自分が長年築き上げてきた思想・哲学と照らし合わせながら、新しい考えを文章で表現しようとするわけです。ここで文章表現された「新しい考え」には、「勉強会等で得た刺激」と「自分の思想・哲学」が背後にあります。そして両者が化学反応を起こしている。そういう文章は読み手に新たな化学反応を起こさせる素晴らしいものです。 読み手にインスピレーションを与えるような文章。「伝わる」にはいろんな意味があるでしょうが、本作り講座ではきっとこのあたりに目標があるのではないかと思います。 たぶん、事実を伝えるだけなら受講生の誰もが伝えられることでしょう。思いを伝えることも、すでに多くの人はできるのではなかろうか? けれども、概念や思想・哲学を伝えるためには文章を書く前の準備段階が重要となる。インスピレーションを与える文章となると、ストーリー性とか文章表現力も必要だ。 2時間のセミナーではとても時間が足りないのですが、できる限りテキストで補足しようと思っています。次講のテキストにはかなり力を注ぐ必要あると昨日わかりました。 今日から着手しようと思います。 ![]() ▲
by sogopt
| 2012-08-23 06:04
| 我が社
朝7時40分出発。苫小牧へ向かう。10時半頃到着。プレ取材的活動。続いて支笏湖へ。夏休み的雰囲気が漂う中、取材&撮影。天気はよいが、高温多湿。歩く速度はふだんの半分くらい。帰り道は2度仮眠し、7時15分帰宅。10時半就寝。
写真を撮るとき、多くの場合、僕には迷いはありません。何をどのように撮るかは体が勝手に反応するようになっています。撮るか撮らないかと決める際には、ちょっと考えることはありますが、撮ると決めたらほとんど迷わない。 迷わないから、撮ったあとに後悔することもほとんどありません。あるとすれば、微妙にタイミングがずれたときか、ピントがほんのわずかずれてしまったとき。そういう場合はやむを得ないと割り切るしかない。僕の撮る被写体ではタイミングやシビアなピントが求められるものはさほど多いとはいえないので、後々尾を引くような後悔は年に1度あるかないかですね。 ふだんの仕事においても「迷いはない」という状態になることができればいいのですが、写真以外の日常業務や経営に関する業務においては迷いが多い。迷うというのはプロになりきっていない証拠ですね。悩むことは大事なプロセスですが、迷いは極力減らしていかねばなりません。 目の前に問題や課題が現れたとき、悩みながらもその解決法を考えます。解決法はこれしかないという場合もありますが、通常はA案、B案、C案といくつか考えられるものです。たぶん、2、3案にまとまる前には無数にいろんな可能性を頭の中で模索してきたはず。A~C案に絞られたということは、数多くの案の中からすぐれていると思われる3案にまとまったということだと考えるべきかもしれません。 しかし、僕らはこれら3案の中に正解と不正解とがあるように思ってしまいがちです。これは子供の頃に受けた試験勉強の影響なのでしょうか? 問題の答には正解と不正解がある。最初からそう思い込んでいるのです。 世の中には当然間違った答えもいっぱいありますが、自分の頭の中で3案に絞られたのであれば、「どれも正解」だと思ってもよいような気がします。ただし、これは成熟した大人の場合であって、成長途中の未熟な人の場合は明らかに間違った案が「絞り込まれた3案」のうちのひとつだったりします。 ちゃんと考え抜かれた3案であれば、そこには正解も不正解もない。したがって、次に行うべきは「ちゃんと選び切る」ということになります。我が社の経営指針の中に「何事も自分の意志で決め・・・」とある通り、自分で明確に意志決定することが重要。意志決定が不明確だと「自分で決めた」という意識が曖昧になり、他人に責任転嫁してしまう素地ができあがってしまう。油断すると、人生においてはこれがちょくちょく起こることになります。本当は自分で決めたことのはずなのに、誰かからやらされていると思い込んでしまう。これはうまくいかない典型的なパターンのひとつといえるでしょう。 選んで決めたら、他の可能性は潔く捨てる。自分の選択に賭けるという姿勢が大事なのだと思います。明らかに間違った選択をしてしまったという場合は別ですが、「もっといい道があるのではないか」と思って別な道を選択し直しても、今の道よりもよいことはあまりありません。人生の中で車線変更はあってもよいのですが、脇道・裏道にそれていくと、結局目的地を見失うことになりやすい。たとえ遠回りのように思えても、あるいは渋滞していても、今走っている道が最善なのだと考えるべきでしょう。そして、どこかのタイミングで高速道路のインターチェンジが見つるのではないかと思います。 ▲
by sogopt
| 2012-08-22 06:16
| 写真
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