カテゴリ
お気に入りブログ
高原淳プロフィール
高原 淳
1961年北海道帯広生まれ 大阪芸術大学写真学科卒 雑誌・広告を中心にフォトグラファーとして活動 2000年帯広にUターン 2001年、ソーゴー印刷(株)代表取締役就任 2004年、雑誌「northern style スロウ」創刊を機に写真活動を再開 主な写真展 1985年「COMME JE SUIS」(6人展、Gallery・DOT) 1988年「再生」以来、Gallery・DOT(京都)にて定期的に個展開催 ・2005年10月「記憶の中の風景」(Gallery・DOT) ・2006年3月「記憶の中の風景」(弘文堂画廊) ・2007年11月「記憶の中の風景」(Gallery・DOT) ・2009年8月「スロウ20号記念展」(ファインアート器野) ・2010年5月「スロウなまなざし」(Gallery・DOT) ◎月刊しゅん http://shun.tv ◎しゅんプラス http://shun-plus.com ◎northern style スロウ http://www.n-slow.com ◎クナマガ日記 http://www.n-slow.com/blog/index.php ◎ソーゴー印刷 http://www.sogo-printing.com ライフログ
検索
その他のジャンル
以前の記事
2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
午前9時半、M&Mのミーティング。午後は来客2組。それ以外はほぼ原稿執筆。非常に追い詰められた状況下にあったが、集中力を持続することができた。夕方までに、ゴールが見えてきた。午後6時半、北海道ホテル共栄会役員会出席。7時から同ホテルで我が社の新年会。
ちょっと遅めの新年会ですが、月刊しゅん2月号発行後の今がベストのタイミングかな。そしてまた、この新年会にはもう一つの重要な目的があった。それは我が社の元常務の慰労会も兼ねていたのだ。兼ねている、というよりも、ほとんどそれが唯一の目的。そのため、ほとんどの社員が集まっていた。 この日のためにスペシャル映像が用意されていた。ビックリした。よく多忙な時間を縫って、こんな作品を仕上げたものだ。感心&感動した。会場は爆笑の嵐だった。また、当社オリジナルの「ありがとうカード」の大交換会も行われた。ずいぶん盛大だ。これも驚いた。さらに、健康マニア(?)の僕には、北海道ホテル特製のスペシャル料理が用意されていた。これには北海道ホテルの皆さまに感謝。 そんなわけで楽しい時間を過ごし、9時過ぎ帰社。さあ、もうひとふんばりだ。8合目までたどりついていた原稿を流し込んで微調整。キャプションを加えて、ほぼ完成。何とか今日の目標地点までたどり着きました。集中すれば、ちゃんとできるんだな、僕も。ひとまず、よかった。明日は日帰り出張なので、ちゃんと寝ておかないと。 帰宅する前にちょっとだけ考える。実は先日、中小企業家同友会の新得地区会で話題提供役を引き受けたんです。僕に与えられたテーマは「社員の笑顔を引き出す方法」というもの。う~ん、これって考えてみたら不思議なテーマだ。こういう話題にニーズがあるのか、僕にはちょっとわからない。 だが、考えてみると、僕は笑顔を引き出そうと思っているということに気がついた。たまにダジャレが出るのはそのためだ。残念ながらダジャレ以外に笑顔を引き出す方法というものを僕は知らない。僕の目には、みんな勝手に笑って、勝手に楽しんでいるようにも見える。「笑顔を引き出す」って、ノウハウなんだろうか・・・。そんな疑問が湧いてきた。社風という観点から考えてみることにしようかな。僕が入社した頃、我が社はちょっと笑顔が不足気味だったような気がする。僕自身も笑顔になれるような状況にはなかった。どのあたりからだったのだろうか? 気づくと、お笑い系・・・じゃないな、笑顔の素敵な人が増えていた。どこからか社風が変化した。 まだよくわからないが、それは「安心感」によって決まるのだと思います。安心感のある空間かどうか。警戒心の働く空間だと、笑顔にはなりにくい。何を言っても許されるかどうか? 認める・許す→安心感→自己表現→笑顔。そんな流れなのだろうな。もちろん、警戒心の強い人もいるので、100%笑顔というわけにはいかない。が、年々笑顔率は高まっている。 しかも毎日朝礼での「笑顔体操」だ。みんな相当、顔の筋肉が柔らかくなってきているに違いない。そういえば、今月は笑顔強化月間だったな。誰が今月の笑顔大賞を獲得するのか、非常に興味深い。 僕の想像するところでは、大昔、笑顔=不真面目といった価値観があったのではないかと思います。もちろん笑顔にもいろんな種類があるので、不真面目系の笑顔で仕事をするのは禁物だ。だが、人に好感を与える、人を安心させる、人をおもしろがらせる笑顔は、モチベーション向上・業績向上にもつながっていく。笑顔は重要な戦略なのですね。こうやってブログを書いているうちに、来月の新得地区会で求められている話の内容を理解することができた。我が社のありのままを話そうと思った。この件に関して、社長はなあ~んにもすることはないんです。むしろ、何か積極的に働きかけようとすると、逆効果になることが多い。みんなと一緒になって笑うことかな。フッ、フッ、フッ(実際は無音で笑うことのほうが多い)。 もう夜中なので、帰ります。 ![]() ▲
by sogopt
| 2009-01-31 00:20
| 我が社
今日は待ちに待った献血の日だ。いやぁ、実は過去2年間、献血したくともできなかったのです。ちょっと引っかかる数値があったので。ところが、昨年秋の健康診断ではそれがすべて正常値になった。それも、ぎりぎり正常ではなく、堂々の正常値。よって、昨日は自信満々で献血に臨んだのです。一番乗りだ、と勢い込んで受付に向かったら、すでに3名の先客がいた。久しぶりの献血はちょっとだけ緊張した。献血車の中ではしゅんの話などで盛り上がっていた。スタッフK氏がこの日できたてほやほやの月刊しゅん2月号をプレゼント。喜ばれた。
さあ、献血で体がいっそう軽くなったし、ばりばり仕事だ。やるべきことはまだまだたまっている。血流がよくなった。仕事の流れもよくなるに違いない。だんだんそのような気がしてきた。 そういえば、何日か前の朝礼でM氏が「頭痛は勘違いかも?」という話をしていたのを思い出した。世の中にはいろんな勘違いが存在する。僕の怪しげな説で説明すると、「誤解・錯覚・勘違い」、この3つを効果的に活用することが人生を豊かにしていく秘訣といえます。 で、その「勘違い」について少し書きます。子供の頃から現在まで、僕らは無数の体験をしています。その中には特定のパターンがいくつもある。こうなると、こうなって、こういう結果になる・・・というパターン。よいパターンも、困ったパターンもある。どちらかというと、困ったパターンのほうが多いかな? 頭痛もそのひとつ。僕の場合は頭痛ではなく、締め切りに追いつめられるパターン。だが、これは実は勘違いではないのか・・・という話です。 過去、何十回も何百回も同じパターンを経て、同じ結果を体験している。プロセス1→プロセス2→プロセス3→同じ結果。これを何百回も繰り返すと、プロセス1か2の時点で、結果をイメージしてしまうんですね。結果をイメージした時点で、パターンにはまってしまったといえるのです。だが、これは勘違いであり、パターン1とか2の時点では、まだ軌道修正できるはず。途中で「これまでのパターンとは違った行動」を行えば、違った結果を得る可能性が高いわけです。 「二度と繰り返したくない」と思いながらも、人が同じパターンを繰り返してしまうのは、実はそれがその人にとって「居心地のいい結果」であるからだ、といわれています。もう何十回、何百回と繰り返している。つまり、自分にとって「慣れたパターン」なのです。「慣れ」というものは、それがたとえマイナスの感情を味わうものであっても、その人にとっては居心地がいいものなのです。なぜ居心地がいいかというと、「自分を変えなくても済む」からなんです。 だが、それは決して幸せな状態であるとはいえない。慣れたパターンを打ち破らなきゃいけないんですね。積極的に幸せになりたい、成長したい、楽しい状態になりたい・・・と思っている人は。自分を変えたくない・・・という怠惰な自分と決別することが、成長・発展・幸福への第一歩といえそうです。 ジェームス・スキナー氏の本やCDの中には、「違った結果がほしければ、違ったことをやれ。何でもいいから~」という言葉が何度も出てくる。そう、「何でもいいから~」というのがポイントなのかもしれないな。自分の常識の範囲内での行動というものは、自分の今までのパターン内での行動ということです。したがって、結果は思った通り、おなじみの結末。「何でもいいから~」とは、違った結果を得るために、まだやったことのない行動、思い切った行動、思いもよらない行動をとるということなのです。 プロセス1、2と進み始めた時点で、結果が決まっていると考えるのは「勘違い」です。プロセス3、4、5・・・でいかに非凡な行動に出るかが、マイナスのパターンを打ち破る決め手となります。 そしてまた、こうなったら、こうなる・・・というマイナスの結果をイメージしないことですね。これは自分に対しても、他人に対しても。言い換えるならば、それは自分の可能性、他人の可能性を認めるということに他なりません。「非凡な何か」をプラスすれば、自分・自社の可能性はどんどん広がっていくはずだ。 最後に記しておきたいことは、「勘違い」はうまく活用すると非常に効果的だということです。それはプラスの方向に勘違いする。「脳はだまされやすい」というタイトルの本もあったと思いますが、うまく勘違いすると、うまい具合に、うまい結果に近づいていく。そんなうまいパターンが得られるのです。勘違いで偶然うまくいった・・・なんて経験、だれもがひとつやふたつはあるんじゃないのかな? これを偶然ではなく、必然的に起こしていく。僕はまだマスターしていないが、もう少しでコツがつかめそうな気がします。 僕は食生活にプラスの勘違いを起こしたら、「健康」という好ましい結果に向かってプロセスが軌道修正されてきた。次は「業績アップ」という好ましい結果に向かって、勘違いをプラスに変えていこうと思います。 ![]() ▲
by sogopt
| 2009-01-30 05:08
| 我が社
真剣に集中したら午前中、それも午前10時に1本原稿が仕上がった。午後、写真セレクト。それから入稿作業。あとはいろんな雑務。いや、雑務といってはいけないかな。それぞれ重要な業務だ。午後5時、役員会。6時、幹部会議。通常は1時間半ほどで終了する幹部会議だが、この日は活発な意見交換が行われた。8時20分頃終了。すごくいいアイディアを聴くことができた。後半は特に濃い中身だった。9時帰宅、10時過ぎ就寝。
一昨日書いた「エネルギー問題」の続きを考えてみたいと思います。世の中、いろんな格差問題がやがては解消されていくのかもしれないが、「意識の格差」は永遠になくならないような気がする・・・と書きました。それがどうもひっかかる。もしかしたら、そうじゃないのかもしれないな。僕らの事業活動にはいろんな意味合いがあるけれど、そのひとつには意識の格差解消という機能もあるはずだ。コミュニケーションギャップも埋めていくことが可能なはず。 「順境よし、逆境なおよし」という言葉がありますが、今読んでいる本の中には「逆境よし、順境なおよし」もまた真なり、と書かれていました。今の社会、これからの社会を考える際、これは重要な言葉だと思います。 多くの場合、どちらかというと逆境をバネにして強い人間になった人のほうが多いのです。順境で育った人が強い人間になった例はたぶん少ないに違いない。逆境というものによって、弱くなったり、つぶされてしまう人間がいる一方、逆境をはねのけて成功する人は少なくない。一方、順境の場合ははねのけるものがないため、大人になってから逆境に出会うと弱い。そもそも、逆境を避けるような生き方になりやすい。その結果、そこそこの人生となる場合多いような気がします。「遅れてやってきた逆境」は、子供の頃の逆境よりも厳しいものがある。 で、僕は何を言いたいのかというと、本にも書いてありましたが、順境の中で強くなるような世の中をつくっていくべきではないかということなんです。世の中というと範囲が広すぎるので、会社としましょうか。そういう会社をつくらねばなりません。「会社」と書くと、順境・逆境にリアリティが出てきますね。「逆境の会社」って、イメージするとちょっと怖いものがありますから・・・。 そう、会社は順境であるべき。もちろん、逆境も避けがたく、それは社歴の長い企業の宿命ともいえますが、できることなら順境でずっと成長していくのがいい。一経営者として考えても、当然ですが、ずっと順境の経営状態が続いていくのがいい。そしてまた、家庭、個人に置き換えれば、平和で幸せな人生がずっと続いていくほうがいい。 そこで考えるべきことは、順境の会社の中で、一人ひとり強い人間、強い職業人になるということです。平和で幸せな家庭、人生の中で強い自分になるということです。 そのキーワードは我が社の中に意外と古くから存在していました。僕の知るところ、明文化されたのは1989年のことです。当時の社是の中にあった「仲良く」という言葉ですね。ひとりの人間、ひとつの会社のままでは当然弱い部分もありますから、「仲良く」とか「まとまる」とか「つながる」ということが必要なのです。逆境の中を強く生きて、残ったのは自分だけだった・・・というのでは、今日的には幸せな状態とはいえません。「仲良く」を企業文化として、自社を順境の状態のまま成長・発展させていくべきなのです。 多くの人は仲良くありたいと思っている。また同時に、「仲良く」だけでは成長しないのではないかという危惧も感じている。そこで、次のキーワードです。 20年前の社是には「仲良く」の前に、「われわれは常に若さと夢を失わず工夫をこらし・・・」と書かれていたんですね。これは整理すると、壮大なビジョン+チャレンジ精神+マーケティング活動。僕の言葉に置き換えると、そういうことになります。この3つの前提条件を共有した上での「仲良く」なわけです。表面だけの仲の良さというものは、いわば「お互いを牽制し合っている」ような仲ですから、本来の「仲良く」とはちょっと違っていますね。本当の仲の良さは、楽しさと厳しさを合わせ持っている。そしてまた、楽しさ、厳しさを共有するためにはビジョンの共有が不可欠だと思うのです。 ビジョンの共有によって、若さ=チャレンジ精神が強化される。このあたりの仕組みについては、サミュエル・ウルマンの詩「青春」を読み返すと、ストンと腑に落ちるものがあります。そしてまた、ウルマンの詩には「仲良さ」の本来の意味が表現されているような気もします。企業経営者の中にはウルマンの「青春」を信奉する人が多いのですが、なるほど納得です。そしてこれは人生を経営する上でも、もっとも重要なことが表されている。 こうして考えていくと、人生にも経営にも、本来「順境」とか「逆境」というものはないんだと思った。それは自分の感じ方次第だ。現象面では逆境に見えることもあるだろうが、自分は常に順境の中にあって、順風を受けて前に進んでいると思っていればいいだけのことだ。企業経営の場合は「仲良く」を社風にすることが重要だ。「仲良く」が自分も会社も強くする。そう思った。 ![]() ▲
by sogopt
| 2009-01-29 06:39
| 経営
午前中は拓成へ。放牧されている豚の撮影。雪の中の豚。豚のいる風景。だいたい僕の中でのイメージはできていたんですが、なかなか一筋縄ではいかない。適度な距離感を保とうと思っても、豚のみなさんはどんどん近寄ってくる。たちまち身動きがとれなくなった。「いやっ、どうも」とか言いながら、道を通してもらう。少し苦心したが、雪を食べているところや笑っているところが撮れた。11時ころ終了。帰りにいくつか用事を済ませ、午後2時帰社。うわうわ、どんどん時間が過ぎていく。写真セレクト等をしていると、あっという間に4時をまわった。
午後5時から市役所会議室で行われた「サスティナビリティ・ガバナンス・プロジェクト意見交換会」に参加。サスティナビリティとは持続可能性という意味。そのための地球システム、社会システム、人間システムをいかに構築していくか・・・ということを各分野の立場から検討していくというものらしい。札幌からは北海道大学教授、研究員の方々、帯広からは行政、農業、企業の立場の方々が参加。むずかしい話になるのかな・・・と思ったが、話そのものはわかりやすかった。 午後7時第一部終了。ちょうどこのとき電話がかかってきた。「えっ?あっ? 今日だったのか?」ある重要な会議がこの日7時から開催されることになっていたのだ。なんと! 今さら中座できない。申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、第二部参加。飲食をしながらの第二部は10時半まで続いた。11時帰宅。それにしても、なぜ見落としてしまったんだろう? 関係者の方々に深くおわびするしかありません・・・。 サスティナビリティ・・・のほうは、基本的な考え方と事例の紹介だったが、興味深い話だった。おそらく誰もが漠然と思っていることかもしれないな。これまでの効率優先という考え方を変えていくべきではないか。生活の質的変化が必要なのではないか。経済システムを再構築すべきではないか。変わるべきものはいろいろありそうだ。 まずどこから変わるべきか。僕個人の考えでいうならば、「生活者の意識」ではないかと思う。しかも、程度の差はあれ、多くの人はすでに気づいている。課題に気づいている。ここまで世界が危機的になると、気づかずにはおられません。混乱が収束し、その後の世の中がどうなるか? 今、人々が不安に感じているのは、ビジョンが見えないからだ。現状の苦しさもあるだろうが、将来どうなるかわからないという不安感のほうが強いような気がする。 実はビジョンはいろんな人・行政・企業が打ち出している。いろいろあるが、大きな違いはないような気がする。無理にまとめていく必要はないが、これをつなげていくとか、整理してわかりやすくすることが重要になってくるのではないか。我が社としてできることは何か。有機的なつながり、共感を呼ぶような場づくり、情報の整理と翻訳(むずかしい話をわかりやすく伝える)・・・。このあたりにある。 印刷・広告・出版・マーケティングという仕事は、ひと言で表すならば「翻訳」なのだといういうこともできそうだ。翻訳とは「ある言語を別な言語に置き換える」という意味もあるが、もうひとつ「特殊な言葉を一般的な言葉に直す」という意味もある。我が社の行っている仕事の本質は、まさにここにあるんですね。専門家が専門用語を使うと一般の人にはわかりにくい。広告とは、一般消費者に伝わるように翻訳することなのだと思います。マーケティングリサーチも同様で、世の中のある特定の層の考え・行動・嗜好をわかりやすく翻訳し、事業活動に応用していくということなんですね。 この「翻訳」という活動の中に印刷会社の大きな可能性が眠っているような気がします。まだまだ、世の中は複雑でわかりにくい状態のままですから。これをわかりやすく表現できる人・企業は、世の中から重宝されることになるはずだ。ただしそれは、すべてをわかりやすくしてしまう、単純化してしまうということではない。複雑な世の中のあらゆる現象や多様な考えの中には、未解決ではあるが魅力的なものも多い。わかりやすい=白黒ハッキリ、ということではない。整理し、翻訳しようと努力しつつも、「謎」「未解決」の部分は含まれている。また、そのほうが世の中はおもしろいに違いない。 僕の考える「いい写真」には、必ずといっていいほど「謎」「未解決」が含まれている。それはどの部分ですか?と質問されると答えに困るが、本来、わかりやすい写真というものはないんです。一人ひとり見え方が違えば、感じ方も違う。謎めいた部分を残しながら、それでも翻訳活動をすることによって、立場の違う人が「近づいた」「つながった」ような気持ちになる。その「つながり感」を生み出すことに、僕らは全力を尽くすことが重要だと思うのです。 ![]() ▲
by sogopt
| 2009-01-28 05:55
| 経営
今週は通常通りの出勤。午前中来客。昼は中小企業家同友会共育委員会。地域教育特別委員会との合同会議。午後2時帰社。それからデスクワーク。何だかやるべきことが山ほどたまっている。先週1週間出張していたから当然か? 原稿を仕上げるという本来の仕事に着手できぬまま夕方を迎える。しかも異常なまでの空腹。いかん、今年は異常なまでに熱意を持って仕事をするはずだったのだが・・・。相変わらず、食欲と睡眠欲に弱い。ハングリー精神に欠ける自分であった。午後6時すぎ帰宅。夕食。8時就寝。9時まで本を読もうと思ったが、あっという間に眠くなった。非常におもしろい本なのだが。
さて、またしてもほどよい感じに追いつめられてきた。このパターンからは一生逃れられないのか? 人間、追いつめられてこそ発想が湧く・・・。そんな話が先週聴いた講演の中に出てきたっけ? だからといって自分で日常的に自分を追いつめる必要はないはずなのだが、どうも僕の場合は自分で自分を窮地に追いやる傾向があるような気がする。水曜日までに決着をつけねば。 日本、世界に目を向けると、世界中が窮地だらけである。やはり、これも自ら招いた窮地かな? ちょっと僕にはわかりません。本当にまじめに地道にいい仕事をしている人・企業が、世界同時不況のあおりを受けている。これを自ら招いた・・・とは、僕には言い難いなぁ。 世の中がどんな状態になろうとも、自分の会社と自分の人生は守っていかねばなりません。こんなとき他人や国や環境のせいにしたりすると、自ら持つエネルギーがどんどん失われていってしまいます。テレビ、新聞、自分の周りの人々・・・。いろいろ観察してみると、自分以外の誰かのせいにしている人がけっこう多い。そんな人は、みな一様にエネルギーを失っていっています。あきらめ、落胆によってエネルギーを失ったり、怒りによって周囲のエネルギーを奪ったりしています。 したがって、多少無理はあっても、あらゆる現象は自分が原因だという考え方に立つしかありません。また、エネルギーは自分の強みに集中しなくてはいけない。集中するためには、現実の向こう側にあるものに意識を向ける必要がある。板割りのコツと同じだ。目の前の障害にとらわれすぎてしまうと、板を割る前に手を痛めることになる。 もう少し現実に即して考えると、今年から来年にかけて得られるものと失うものは何かということを洗い出してみるといいのでしょう。得られるもの→能力、忍耐力、一体感、パートナーシップ・・・。いろいろありそうだな。失うもの→怠惰な心、理念に反した意思決定、無意味な時間・・・。こちらもいろいろありそうだ。書き出してみると、悪いことは何一つなさそうな気がします。 今年に入っていろんな人の話を聴いていると、心ある人は「世の中、地域を何とかしよう」という点でみな一致しています。社内でも社外でも同じですね。したがって、僕らのすべきことはとてもシンプルです。心ある人と連携していく。どのような連携の仕方かというと、自らの強みを生かしながらつながっていく。つながりを強固にするためには、自分・自社の強みを磨く。コア・コンピタンスの強化ということです。それを日常的に行っていくためには、エネルギーをロスしない。すなわち、マイナス思考にとらわれれないということでしょう。もっと具体的に言うと、「怒らない」「ガッカリしない」。この2つを戒めれば、残るものは「楽しさ」と「喜び」です。 この先、まだまだ波乱はありますが、次第に格差社会は大きく軌道修正されていき、やがては格差の少ない世の中になっていくと思います。しかし、歴然と格差が残ってしまうものもある。それは「意識の格差」であって、プラス思考とマイナス思考の人の格差は永遠になくならないような気がします。この課題については、後日改めて書くことにします。 ![]() ▲
by sogopt
| 2009-01-27 04:33
| 経営
ほどよい感じの日曜日。朝、例によってフレッシュなリンゴジュースを絞る。それから、急にカレーが作りたくなった。野菜カレーを作る。が、何か物足りない。トマトが足りない。昼はトマト抜き野菜カレー。原因がわかっているので、納得して食べた。
食後、原稿にチャレンジ。猛然と書いた。8割くらいの出来。う~ん、これでいいかな?という気持ちになっていた。だが、カレーにたとえると、トマト3個分、物足りないような気がする。とりあえず、原稿を書き終える。トマトを買いに行かねばという気になる。トマト缶でいいのだ。午後3時、ドライブがてらトマト缶を買いに行く。途中、すばらしい風景を撮ろうとカメラを向けたものの、バッテリー切れ。そんなこともあります。むしろ、撮影できないことにホッとしていた。なぜだろう? 代わりに、雪の白さを目に焼き付けた。 思った通り、トマト缶を加えるとすばらしい味になった。これで原稿が仕上がりそうだ。原稿作りとカレー作りは同じだ。ただ、ちょっと煮込む時間が必要だ。原稿のほうは月曜日に仕上げるようにしよう。 トマト缶1個分の物足りなさって、日常よく味わうことがあります。僕は原稿執筆時には常々感じています。他の仕事をしているときにも感じる。もうちょっとフレッシュな酸味がほしいなぁ・・・。そんな感じです。 自分の仕事には自分自身で定めたレベルというものがあります。そのレベルの8割まで近づくことは簡単。問題は残りの2割を詰めていって、そこをいかに突破するか? それがわかれば、仕事は非常にスムースに運んでいくに違いない。だが、トマト缶は何なのかがよくわからないことが多い。 撮影の仕事の場合はある程度わかるようになってきた。加熱しない、加工しない、添加物を加えない。基本的にはそんな感じの撮り方に近づいていった。もちろん仕事内容によりますが。一方、原稿作りの場合は、まだトマト缶が何なのかわからない。偶然性に依存した書き方になっているような気がする。文章は理詰めで書いていくこともできるが、理詰めではたぶんつまらなくなってしまう。偶然を必然的に起こしていくような、言い換えれば写真的な原稿の書き方を目指しているのですが・・・。 僕個人の仕事に限らず、我が社においても理詰めで経営するのはおもしろくないなと思っています。かといって、行き当たりばったりではない。偶然を必然的に起こすというやり方が企業を真の意味で成長させるのだと思います。会社の中で誰が急成長するか、誰が頭角を現してくるのか、誰がエモーショナルな仕事をするか・・・。そういったことは計算してできるものでもないし、予測できるものでもない。すべては偶然です。だが、偶然に依存していては経営は危ういものとなる。偶然が必ず起こる、という環境整備に全力を注ぐのが経営なのだろうか? いや、待てよ。料理に立ち戻って考えてみよう。僕は自分の得意料理については、ある程度計算することができるといってよい。素材によって味が変わるという偶然性に依存した部分もあるが、計算しながら理想の味に近づけていく。写真も原稿も経営も同じなのかもしれないな。偶然というものは、実は自分の中では想定内のことなのかも。偶然は「伸びしろ」ということなのだろうか? だんだん、自分で書いていてわからなくなってきました。理詰めで100%にまで持って行くのがよい経営なのだろうか? いや、やっぱり計算できない魅力が企業の強みだと思うなぁ。人間の強みも実はよくわからない部分にある。いろいろ考えていくと、100%というレベルでは仕事人としての自分は満足しない。120%を求めているのだと気がついた。100%までは理詰め、その先は偶然。その偶然はトマトのようなフレッシュな酸味によって引き起こされる。完熟トマトよりも青臭いトマトのほうがいいような気がしてきた。 ![]() ▲
by sogopt
| 2009-01-26 04:59
| 経営
午前中、スロウの原稿。約40%といったところか。昼食後、ハピオで買い物。帰宅すると急に眠気が・・・。こんこんと眠る。気づくと4時半。急いで出社。資料をまとめて、ワシントンホテルへ。7時から帯広経営研究会1月総会・新年会が始まった。総会が無事終了し、さあやるぞという気持ちになった。新年会では、会員一人ひとりが2009年の目標や豊富を述べていった。いい話も衝撃的な話も出てきた。ユニーク&サプライズな新年会だ。
僕は急にあることを思いついた。新発見かもしれない。まだ、まとまっていないけれど、書いてみよう。 「マーケティングの4P」というのがあります。マーケティングに関心のある方ならご存じの通り、プロダクト・プライス・プレイス・プロモーションの頭文字をとって「4P」といわれている。これにパーソンを加えて、5Pといったり、いろいろ加えて6Pにも8Pにもなるわけですが、通常は4P。僕が思ったのは、「なぜプロダクトから始まるのか?」という素朴な疑問です。僕は新年会でウーロン茶を飲みながら、「実はプロモーションから始まるんじゃないだろうか」と思ったわけです。 だって、いきなり何にもないところから商品ができあがるわけではないでしょう? 商品は経営理念が具現化したもの。平たくいえば、自分たちの仕事に対する「思い」を形にしたものなんです。だから、まず最初に「思い」がなければならない。そして、通常は何人かで商品開発や製造をするわけだから、「思い」が共有されていなければならないし、そのような社風・企業文化が必要になります。とすると、プロダクトの前には別なものがあって、それを含めたマーケティングサイクルであるべきだ。僕の頭の中では、それが実はプロモーションなのではないかと思ったわけです。 なぜそう思ったのかというと、プロモーションとは「助長、推進、奨励」と辞書に書いてあるからです。セールスプロモーションだけがプロモーションではない。新しい商品を生み出すのは自分たちだし、製造するのも自分たち。その自分たちのモチベーションを高め、助長、推進、奨励された結果、プロダクトにつながっていくのではないか? 経営理念があって、いきなり商品が誕生するわけではないのです。理念を具現化していく過程で、実はプロモーション活動が非常に重要だと思うのです。自分で自分をプロモーションすることが大事だし、自分が源となって自社をプロモーションすることも大事。 これがうまくいけば、自社に魅力的な商品が誕生する。 僕は社内でも社外でも広報戦略の重要性について話すことがありますが、広報活動は社外に向けて行えばいいというものではないんです。むしろ、社内向け、もっというと、自分向けの広報活動が重要。自分向けだから「広報」という言葉は適切ではないかもしれません。が、意味としてはわかってもらえますよね。自分たちの会社が何を考え、どんな価値観を持ち、どんなビジョンを描いて、どこに向かっているか? それをもっと伝えることが非常に大事なのです。まず、自分自身に伝えることだ。次に社内。そして、それを商品・サービスという形に具現化してから、ようやく社外へ伝えていくべきなのです。 外に向けてのプロモーションと内に向けてのプロモーション。両方大事なわけですが、まず最初に内なるプロモーションから始めなければなりません。僕は今年のスタートにあたって、そこに力を注いでいるわけです。これは語り尽くせるものではないし、ちょっとわかりにくい面があるかもしれない。だが、繰り返すしかないんです。だから、今年の僕はちょっとくどくなりそうな気がします。 プロモーションって、結局何なんだろう? 外に向けてのプロモーションは自社および自社商品の魅力を効果的に伝えて、増販と増客に結びつけていくことに違いない。内なるプロモーションの場合は、自社および自社商品の魅力を社員一人ひとりが自覚して、自信と誇りに結びつけていくことなのだろうな。 そう考えていくと、やっぱりプロモーションが出発点となる。自分・自社・自社商品の魅力がどんどん高まっていくようなプロモーション戦略を立てることがマーケティングの極意に違いない。午後10時少し前、帰宅。僕はひとり納得していた。 ![]() ▲
by sogopt
| 2009-01-24 22:52
| マーケティング
新春経営者セミナー3日目。午前9時から分科会。僕はちょっと迷ったが、第3分科会に参加した。講師は明太子で有名な(株)ふくや代表取締役社長、川原正孝氏。テーマは「人を活かす経営」。創業期から事業継承を経て現在に至るまでの話。やはりそれは平坦な道のりではなく、危機的状況を乗り越えてきていることを知った。味よりもブランド力よりも「人」。これはあらゆる業種にいえることだ。人が育つための出発点は「自ら学ぼうとする意欲」である。そのためには社風と仕組みが重要。僕もそこまではわかっているが、具体的にどうするか? ひとつ重要なヒントを得た。
11時から講演2本。①丸山次郎氏(株式会社アールエフ代表取締役)「夢は必ず叶う」、②三浦雄一郎氏(プロスキーヤー)「生きがい」-75歳、エベレスト登頂への挑戦-。あっと驚く結果を作り出した両氏の講演だった。なるほど、普通に考え、普通に行動していては、普通の結果しかえられないな・・・。まず、そんな普通の感想を抱いた。人と同じことをしない、従来のやり方とは逆のことをする。それも思い切ってやる。しかし、それはただ闇雲にやるのではなくて、ある種の確信を持ってやるのだろうな。だから、これもひとつの王道なのかもしれない。 丸山氏の話の中で、我々印刷業にとってヒントになりそうな話が出てきた。 これから新規参入しようとする場合、一般的には、すでにあるものを改良しようとするわけです。アールエフのような医療機器ならば、すでにある他社の機械を分解して改良を試みるのが一般的。だが、これでは今までよりもちょっと優れたレベルの新製品しかできない。同社の口腔内カメラが世界シェア85%にまでなったのは、別な方法で開発したからだという。あるアメリカの歯科医が描いた絵をもとにして、そこから想像して製品を作り上げていったというのだ。常識で考えるのではなく、素直に考える。簡単にできることではないが、こういう発想が今の印刷業には求められているのだと思う。 三浦氏の70歳からエベレスト登頂2回という話もなるほどと思った。なぜ2回登頂なのか。1度目の登頂の際、曇っていて頂上からの風景が見えなかったからだという。こういう個人の努力を超える状況・現象が、さらなる個人の潜在能力を引き出すのかもしれない。好条件がその人にとっての最良の条件ではない場合もある。これは僕らの人生においてもいえることだな・・・。 午後3時、すべての講演が終了。田舞徳太郎氏(株式会社日本創造教育研究所代表取締役)のまとめの講義があった。肝に銘じておかねばならないなと思ったのは、「雑識」を学問と勘違いすると失敗するという話だった。僕ら(僕というべきか)は学んだことを「知識」と思ってしまうが、知識とは体系化されたものであり、断片的な情報のままでは知識とはいえない。学び続けて情報を蓄積し、それが実体験と結びついて統合され、さらに体系化され、知識となっていく。 思いつきで行動するのは危険だ。小さな失敗はいっぱいすべきだと思いますが・・・。着想→連想→発想→予想というプロセス。いかに着想を「現実」に落とし込んでいくか、という話だった。 他にも重要な話が出てきたが、まとめるには少々時間がかかりそうだ。3日間真剣にノートをとったら右手がしびれてしまった。3色水性ボールペンの青と黒インクを使い切った。 分科会を含めると、3日間で10本の講演。これだけまとまって講演を聴く機会はまずない。特に今回は重要な、しかも具体的な情報があった。これを自分の中で消化できるかどうかが勝負だ。さらに、消化するだけではなく、それを社内に伝えることができるかどうか。話し手のスキルと聞き手のスキル、両方が高ければ価値あるセミナーとなる。聞き手、すなわち僕の力量が問われるな。 松下幸之助が木野親之先生に「なぜ1月は正月というのか?」と質問された話を思い出した。1月は一年の初めの月。だから、正しいことを考え、正しい結果を作る。だから正月といい、その結果を先取りして「おめでとうございます」と言う。「おめでとう」はよい結果を期待して言っているのだそうだ。僕は新春経営者セミナーは毎年参加しようと決めていますが、やはり1月は正しい考え、正しい行動、正しいイメージを持つことが大切なのではないか? 「正しい」とは何か? 「正しい」には、「よい結果をもたらす・・・」が含まれているはずだ。一方が正しくて、もう一方が間違っている・・・というような狭い考えのものではない。これからの世界は決してマイナスイメージのものではなく、人類がかつて経験したことのないような、精神的にレベルアップしたものになるような気がした。 午後5時55分発の便で帯広空港に降り立った。意外にも帯広は雨。1月なのに。K氏の車に乗せてもらって帰社。少しだけメールをチェックしてから帰宅した。 ![]() ▲
by sogopt
| 2009-01-23 20:34
| 経営
新春経営者セミナー2日目。午前9時、「ありがとう卓越経営大賞」の表彰式から始まった。感動的な表彰式。それぞれの会社に感動的なドラマがある。こういう中小企業が集まって、日本の経済は支えられているのだと思った。日本型経営はまだまだ健在だ。
今日の講演は午前11時から4本。①万代栄嗣氏(松山福音センター主任牧師)「夢をかなえる魂の方程式」、②飴久晴氏(コーセル株式会社取締役会長)「人から出発する企業」、③渡邉美樹氏「ワタミ株式会社代表取締役社長)「夢に日付を!」、④三宅久之氏(政治評論家)「混迷する政局と日本の針路」。 すごい講演を聴いた。必死にノートをとった。ノートは2冊目に入った。水性ボールペンのインクが切れた。3色ボールペンでよかった。青から黒にチェンジ。4つの講演を聴いて思ったのは、「これは板割りと同じだな」ということだった。「成功の9ステップ」で体験した「板割り」ですね。なぜかそう思った。板割りのコツは、割ろうとする板の向こう側に焦点を合わせて腕を振り抜くということです。これは少し言い方を変えてみると、「目標の向こう側にあるもの」に向かって意識を集中させるということではなかろうか? 今現在の現象面に焦点を合わせてはいけない。その向こうにあるものが見えていなければならない。 いったい、向こう側とはどのくらいの向こうなのか? 3年先か、100年先か? そこに本物のビジョンはあるか? 会社は2代、3代と熟成させていくもの・・・という話が出てきた。そのくらい時間のかかるような大きなビジョンが必要だ。松下幸之助は、確か250年だったっけ。250年はすごすぎるが、自分が目いっぱいイメージできるギリギリのところに焦点を合わせよう。「良い人は良い倉から良いものを出し、悪い人は悪い倉から悪い物を出す」という話も出た。良い実は良い木に実る。悪い実が実ったとしたら、それは悪い木だということだ。ならば、全力で我が社を良い木にしなければならない。 渡邉美樹氏の話の中で、「なぜ夢がかなうのか?」という話があった。9割は「運」だという。だが、その運にはやはり意味があった。神、創造主、大いなる存在、宇宙・・・どういったらいいかわからないが、仮にそれを「神」だとすると、神様が応援したいと思うような生き方をしていること。それが運を手に入れるコツだそうだ。僕も確かにそう思う。 どんな人を神は応援したいと思うだろうか? それをイメージすれば、たぶん多くの人のイメージ像は一致するに違いない。我が社もそこに向かってイメージを共有していけばいいはずだ。そう思った。 「人類の英知を学ぶ人を神は応援する」と渡邉氏は言っていた。「勉強しない人を神が応援するはずはない」とも。きちんと歴史から学ぶ必要があるな。歴史だけじゃなくてさまざまな分野に関して言えることですが・・・。 神様の応援=運。そう考えると、我が社には強運の人がいっぱいいそうだな。僕もなんだかんだ言って、意外に運がいいほうなのではなかろうか? 何しろ、これまで僕は助からなかったためしが一度もない。そのうえ、年々自分のやりたいと思うことができる環境に近づいている。日本は八百万の神々だから、誰かひとりくらいは自分を気に入ってくれる神様がいるに違いない。だから、たぶん日本人はみんな強運だと思います。特に、我が社では今期から「笑顔の体操」を行っていますから、ますます神様から気に入られるはずだ。 今日のまとめは、「勉強+笑顔」かな? 成長企業は必ずこの2つをしっかりと持っている。我が社ももう一歩で突破できそうな気がします。けっこう、いい線を行っている。うん、間違いない。 ![]() ▲
by sogopt
| 2009-01-22 22:23
| 経営
アメリカではオバマ大統領が就任した。新聞を買った。ネットで就任演説を読んだ。なるほどと思った。新聞の広告欄にはオバマ氏関連書籍の広告が目立った。アメリカではTシャツが売れているという記事が載っていた。「歴史的」という言葉が目についた。新聞では、アメリカも日本も景気の先行きはオバマ大統領頼みのような書き方だ。今、世界で一番重たい荷物を背負っている人なんだろうな。それを考えると、僕の背負っているリュックの中身は空気みたいだ。
そんな歴史的な日の翌日(日本時間的には当日か?)、日創研の新春経営者セミナーが開かれた。今日から3日間、みっちり勉強だ。今日は釧路のT氏のおかげでベストポジションを確保した。真ん中、前から2列目。講師席のすぐうしろだ。これはツイている。 今日の講演は3本。①日野原重明氏(聖路加国際病院理事長)「空に大きな円を描き、勇気をもってその実現への行動を」、②野尻武敏氏(神戸大学名誉教授)「いのちの経営」、③木野親之氏(パナソニック株式会社終身客員)「松下幸之助に学ぶ 指導者の一念」。個々の講演レポートは後日まとめるとして、感想だけ書き記しておこうと思う。 全体を通しての共通項というかベースにあるものは、「何をどう感じるか、どう解釈するか」ということだった。松下幸之助が「好況よし。不況なおよし」と語ったのは有名な話。逆境を乗り越えると、そこには大きな成長が待っている。だから「なおよし」なんですね。とすると、人生も経営も悪いときはないということになる。いつだって悪くない。いつもハッピー。ただし、いつもハッピーという結果を作り出すには、いつも勉強している、いつもチャレンジしているという状態を作り出さなければならない。 野尻氏の講演の中でユング心理学の話が出てきた。人間の潜在能力の大部分は使われていない。使われずにあの世に行くことになる。そして、人間はどんな潜在能力を持っているかはわからない。やってみなければわからない。 ①大部分の潜在能力は使われていない。②やってみなければわからない。この2つから導き出されることは、「人生はチャレンジ」という結論。人生も企業も「まずはやってみる」ように作られているというのだ。 まったくその通りだと思います。ところが、中途半端に賢くなるとそれができなくなる。チャレンジするにはちょっと馬鹿なほうがいいと僕は思う。どうも適当な日本語が見つからないので、馬鹿という書き方になってしまいますが、決して悪い意味ではないんです。キリスト教的にいえば、愚かな人ということかな? ますますわかりにくくなりそうだ。木野氏の講演の中から引用すると、「松下に頭のいい人間はいらない」という松下幸之助の言葉が当てはまりそうだ。器用にやる必要はない。愚直さが必要だろうし、思い込み力も必要だ。 写真を撮るときには「祈り」に近いような心境になることがあるが、あらゆる仕事において、そんな経験をしている人が多いのではないだろうか? 何かに突き動かされるようにチャレンジをし、結果が出るまでの遠い道のりの中には、必ず「祈り」のようなものがある。僕の撮り方は客観的に見るとあっさりしたものだが、僕の中ではいつも「念写」を行っている(もちろん心霊写真ではありません)。とても理詰めではできない。システマチックに行われている仕事であっても、たぶん「祈り」というプロセスがあるんじゃないのかな? それがチャレンジとワンセットになっているような気がします。 75歳から絵筆をとり、やがてアメリカを代表する画家となったグランマ・モーゼスの話もチャレンジすることの大切さを教えてくれる。80歳で初個展。89歳のときトルーマン大統領からホワイトハウスに招かれる。そして101歳で没するまで1500点の作品を残す。人間、いつからでもチャレンジできる。警戒すべきは、中途半端に世の中を知ってしまうことだろうな。未完で生まれ、未完のまま終わる人間は、常にチャレンジし続けなければならない。決して完成することはないが、完成を目指すのが人間なのだ。不思議な生き物だ。 こうやって書きながら、今年はチャレンジの連続だぞと言い聞かせている自分に気がついた。自分で自分をどこまで追い詰めることができるか? そこが課題だ。スロウの原稿に関しては、毎回毎回自分で自分を追い詰めているが、そういう意味じゃないですよ。危機感をどれだけリアルに感じ取って自己変革するかということ。僕には自分自身を追い詰める能力がたぶんあると思う。日常的にもそうだが、中長期的にも・・・たぶん。 ![]() ▲
by sogopt
| 2009-01-21 23:22
| 経営
|
ファン申請 |
||