高原淳sogo-p写真的業務日誌:未分類
2017-11-20T05:55:33+09:00
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「月刊しゅん」、「northern style スロウ」を発行するソーゴー印刷(株)社長・高原淳の写真的業務日誌
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文章力アップのコツ
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2017-11-20T05:55:00+09:00
2017-11-20T05:55:33+09:00
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未分類
さすがに長距離ドライブの疲れがたまっていたせいか、昨日はほとんど仕事を進めることができませんでした。雪道の走行はやはり体力を消耗します。
体はさほど動かさなかったものの、頭のほうは次のプロジェクトに向けて活発に活動しつつあります。必要があって、次に書く本のテーマを変更することにしました。本当に書き上げることができるかどうかわからないのですが、「本を一冊執筆したい人のための・・・文章力&編集力アップのコツ」といった本を書こうと思っているのです。
数年前、社内用のテキストとして書こうと考えたことはあるのですが、我が社ではそれほどニーズはないようです。次世代幹部養成塾で文章力を扱ったことがありますが、僕の秘伝の文章作成術を公開しても、さほど驚きもリアクションも伝わってこない。すでに、社内の多くの編集者が僕よりハイレベルな文章力を身につけているのだろうか? 真相はわかりません。今度は文庫本で僕のノウハウを公開し、世の反応を問いたい・・・などと大袈裟なものではありませんが、とにかくこれを一冊にまとめようと思っています。
2012年、「伝わる本作り講座」というセミナーを開催したことがありました。それ以前には「自分史講座」も毎年行われていた。ところが、この5年間というもの、そうした「本作り」や「文章力」に関する一般向けの講座を開設せぬまま過ごしてしまいました。十勝には大してニーズはないだろう・・・。そんな思い込みが僕の中にはあったのです。
ところが、案外そうでもないらしいとわかってきました。自分史を含む自費出版のニーズは5年前、10年前と比べて着実に高まっているのではないか? 最近、そう思うようになってきました。僕の耳にそうした情報がいくつも入ってきています。
自分史を書こうと考えるのは、年配の人と考えてよいでしょう。10年前であれば、「パソコンに不慣れ」というネックがありました。今はそのハードルが確実に低くなってきています。あと10年もすれば、パソコンの使えない高齢者のほうが少数派となるはず。つまり、自分史を書く環境は整いつつあるということ。
ただ、年齢に関係なく横たわっている大きな問題があります。それが「文章力」。不思議なことに、ほとんどの人が日本語を話しているというのに、日本語の文章を書くことを苦手としているのです。これは学校で英語を6年以上勉強しているのに、片言の英語すら話せないというのと同じくらい不思議な現象ですね。ここを何とかしたいというのが本を書く理由のひとつです。
自分の英語力のなさを思い出して、気づいたことがあります。それは「間違っていたらどうしよう?」といった不安感があって、うまく言葉が出てこない・・・というもの。そうした体験を何度かするうちに苦手意識が強化されてしまう。同じような現象が文章を書く際にも起こっているのではなかろうか? 変な文章だったらどうしよう? そんな不安から、「できれば書かずに済ませたい」という気持ちに傾く人もいるのではないかと思います。
話し言葉の場合は、「話すと同時に消えてなくなる」と多くの人は考えています。だから、たとえ変な日本語であっても、不安を感じることなく話している。聞き手のほうも、一瞬「変だな」と思っても、すぐに忘れてしまう。変な言葉がたくさん飛び交っても、全体としてはコミュニケーションが成立している・・・。ここが話し言葉の特徴のひとつ。
文章のほうは、さすがにちゃんと考えなければメッセージは伝わっていきません。けれども、「細部にこだわりすぎない書き方、伝え方」があってもよいのではないか、と僕は考えています。日本人の多くは几帳面なため、細部にこだわりすぎて全体的なメッセージが伝わらないという傾向がある。
ちょっと変だけれど、「わかる」「おもしろい」「ユニーク」という文章が求められています。学者でも専門家でもないのですから、多少の間違いがあっても許されるのではないか? もちろん、プロの編集者、ライターには日本語としての正確さが求められます。けれども、本を書きたいと思う一般の人がそこまで突き詰める必要はありません。
むしろ、いかに楽しく書くことができるか? それが本の魅力に直結する。文章作成技術よりもコンテンツの魅力のほうが重要なのです。文章力はほんのちょっとしたコツをいくつかつかむことで、劇的に向上するはず・・・。
来年、これを文庫本にしてから「文章講座」または「自分史講座」を開講しようと考えています。
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思い込み力強化戦略
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2017-09-27T07:12:00+09:00
2017-09-27T07:12:04+09:00
2017-09-27T07:12:04+09:00
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僕の本のタイトルが「経営指針」となっているため、演題もそのようになりましたが、講演の中では「経営計画」という言葉を使うようにしました。同友会の経営指針と日創研経営研究会の経営計画はほぼ同じ意味。経営理念、ビジョン、方針、計画、すべて含まれています。基本的な考え方もほぼ一致しています。自社に合うようにアレンジすればよいのではないかと思います。
「激訳・キャリアデザイン」(25/50)
第3章 キャリアデザインを考える
思い込み力強化戦略
「思い込み」という言葉は、どうもマイナスの意味で使われることが多いような気がします。思い込む。僕は素晴らしいことだと思っているのですが、どうでしょう?
思い込みとは「深く信じこむこと」ですよね。間違ったことを深く信じ込んだのであれば、その思い込みは正されるべきでしょう。けれども、正しいとも間違いともいえないような思い込みはどうなのでしょう?
たとえば、「自分は偉大なフォトグラファーになる」。僕は高校1年生のとき、そのように思い込んだわけです。その可能性はゼロではないはずですから、他人から正されたり、諭されたりするようなものではありません。今も「偉大なフォトグラファー」を目指しています。死の瞬間までは可能性は残っているはず。
僕の場合、2回ほど写真の道から外れそうになりましたが、高校1年生のときの強い思い込みによって、今のところ写真中心の人生が続いています。それは僕の人生にとってはよいことでした。
人生における多くの事柄は「正しいか間違いか」といった単純に二分できるものではありません。強いて言うならば、「自分の選択した道が正しい」のです。僕の経験では、他人から言われてしぶしぶ行ったことでうまくいった試しはほとんどありません。きっかけは他人からの勧めであっても、自分で選択するから、正しい道に進んでいくことができるのです。
自分の選択に正しいも間違いもない。真摯な気持ちで取り組むことで正しくなっていく。そうであるならば、真摯な、あるいは本気になれるように「深く信じ込む=思い込む」ことが大事なのではなかろうか? 僕は40年前にそう思い込んで、今も思い込み続けています。
ただ、ひとつだけ注意しなければなりません。
「思い込みの激しい人」と「思い込み力の強い人」は違うのです。僕の考える思い込みは、「力」になっているかどうかが重要なのです。自分の人生を力強く引っ張って行ってくれるもの。思い込みが激しい人の場合は、衝動的で軌道修正が効かないタイプ。思い込み力のある人は、思い込みを理性でコントロールすることができます。流されるか、流れに乗るかの違い……といったらよいのでしょうか。
僕の考える思い込み力には3段階があります。「誤解」「錯覚」「勘違い」です。
誤解とは「誤って解釈してしまうこと」。ですから、本当はよいことではないのかもしれません。けれども、最初のきっかけは幸運な誤解によって誕生するのではないかと思っています。僕の場合は、最初にプリントした写真を見て「自分は写真の天才だ」と思ってしまったことですね。誤解した結果、写真の世界に深く入り込むことになったわけです。
錯覚は「実際とは違って見えること」でしょう。これは自分の能力を伸ばしていく上で非常に大切なことです。同じものを見て、他人と同じように見えるのであれば、平凡な仕事しかできないということになります。自分には違って見える。これはフォトグラファーにも大事なことですが、他の職種にも当てはまることでしょう。
最後は勘違いですね。これは「間違って思い込むこと」と辞書には書いてあります。けれども、前述の通り、間違いかどうかは誰にもわからないのです。僕はあえて、勘違いの幅を拡大するとよいのではないかと思っています。段違いの勘違い。これが人生には何度か必要ですね。
自分にはできる。そう思い込んで無謀と思えることにチャレンジできた人。その中から頭角を現す人物が出てくるのです。チャレンジした人には成功も失敗もない。自分の思い通りの結果にはならなかったとしても、チャレンジすることで得るものが必ずあります。
思い込み力に頼らなくてもチャレンジャーな生き方のできる人もいます。僕はそこまで理性能力が高くはないので、思い込み力を今でも活用しながら生きています。
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1-2 とんでもない新入社員
http://sogopt.exblog.jp/28111852/
2017-09-01T06:55:00+09:00
2017-09-02T07:38:39+09:00
2017-09-01T06:55:19+09:00
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全体会の問題提起は、中同協幹事長の中山英敬氏。「人を大切にする会社は競争優位に立つ」という話が印象に残った。2時20分からは分散会。僕は第2分散会に参加。報告者は(株)常盤の湯浅厚二社長。「京都同友会における経営指針成文化の取り組み 自己姿勢の確立からはじまる持続可能な企業づくり」という演題だった。京都同友会では会員企業の経営指針成文化率が30%を超えており、これを60%にまで引き上げるという目標を立てている。経営指針づくり推進の先進地。ここから学んで北海道同友会会員の経営指針研究会参加率を高めようというのが、大きな参加目的のひとつ。簡単ではないが、ヒントをつかんだ。6時、分散会終了。懇親会には参加せず、M氏と夕食。9時半就寝。
「激訳・キャリアデザイン」(3/50)
第1章 経営者、採用担当者から見た学生たち
とんでもない新入社員
今も昔も、人間そう変わるものではないと思いますが、僕の知る限りでは今の新入社員のほうが健全で、しかも優秀ですね。心が病んでいるな……と思うような人もいるのは確か。けれども、それは健全さゆえなのかもしれません。
僕の新入社員時代はというと、ちょっと事情が異なります。病んでいたのか、単なる不良社員だったのか。おそらくその両方でしょう。
1985年4月、入社式にスニーカーを履いていったという失態を皮切りに、僕は数々の失敗を重ねていくことになります。
自衛隊での新入社員研修の後、新入社員は各部署に配属されていきました。僕の所属はクリエイティブ系の部署。背広にネクタイという人はごく一部で、大半の人は襟のあるシャツとチノパンといった組み合わせ。
シャツは襟付き。ジーンズは禁止。清潔感のある服装というのが一応のルールとなっていました。そんな自由な職場でしたが、その当時、僕は「アイロンをかける」という生活習慣を身につけていなかったんですね。毎日しわしわの服で出社。最初から問題児扱いされていたようです。
入社時の僕の肩書きはプランナー。何の説明もなく、名刺をもらったら、そこに「プランナー」と書いてありました。プランナーはプランナーでも、「企画を立てる人」ではなく、「これからどうしたものか計画中の人」という意味だったのでしょう。
初仕事はスタジオ撮影の立ち会いという、写真家を目指す僕にとっては格好の勉強の場でした。
にもかかわらず、撮影中に僕は大胆にも熟睡してしまっていたのです。黒壁のスタジオに薄明るいストロボのモデリングライト。何の変哲もない被写体の商品。眠くなる要素は確かに揃っていました。すぐそばにいたコピーライターからは「大物だな」との評。この頃から、僕は「プレッシャーがかかればかかるほど眠くなる」というパターンを繰り返すことになります。
配属部署のプランニングセンターでは、撮影の仕事はほぼ100%外注。たまにあっても、複写とか記録のための撮影といった仕事でした。自分の人生ビジョンから大きくかけ離れた仕事内容。仕事の大半はデザイナーのアシスタント。不良社員ではありましたが、根は超真面目ですから、ストレスがたまっていきました。毎日8時か9時に仕事が終わり、終電ギリギリまで飲んで翌朝8時半出社。そんな毎日が続きました。よく飲み代が捻出できたものです。
朝まで飲んでそのまま出社した日もありました。部署内では、いよいよ放置できないレベルの問題社員となっていたに違いありません。結局、1年で退職することとなり、次は小さな出版社兼編集プロダクションに勤めることにしました。そこには撮影の仕事もありましたが、半年ほどで退職することに。組織になじめない性格だとわかりました。「いよいよ、橋の下かぁ」と思ったものです。
その後、パートナーとして今も一緒に仕事をしているM氏の手ほどきにより、少しずつ仕事を覚えていくようになり、僕の仕事運は好転していくことになりました。
僕の場合は非常に幸運な偶然が重なり、今に至っています。けれども、僕以外にもいっぱいいるはずの不良社員や病んだ社員に対して、会社はどのような手を差し伸べたらよいのだろうか……。いつも考えてしまいます。
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1-1 「就職=人生の終わり」だと思っていた学生時代
http://sogopt.exblog.jp/28108241/
2017-08-30T18:30:00+09:00
2017-08-30T18:30:37+09:00
2017-08-30T18:30:37+09:00
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新シリーズ「激訳・キャリアデザイン」、いよいよ本文スタートです。自分史っぽい書き出しになりましたが、あくまでキャリア教育の本を目指して書いています。ちゃんと話がまとまるのでしょうか? 余計なことを書いて、肝心なことを忘れそうな気もしますが、文庫本化されるときには、きっちり修正されていることでしょう。
第1章 経営者、採用担当者から見た学生たち
「就職=人生の終わり」だと思っていた学生時代
当社では一次面接も二次面接も、僕が面接官を務めます。
応募者が30人、40人と集まっていたときでも、一人ひとり面接するようにしています。一度だけグループ面接を実施したこともありましたが、やはり一人ずつその人の価値観や考え方を聴くほうがよいのではないかと思っています。今は超売り手市場ですから、一度に数10人も集まることはありません。時間をかけて面接できるというのは、応募者にとっても当社にとってもよいことです。
僕が社会人になったのは1985年春。もう32年前のこと。昔の話になってしまいました。
通っていた大学は大阪芸術大学芸術学部写真学科。就活に熱心な学生は僕の見るところ、ほとんどいませんでした。それでも4回生(関西では「○年生」ではなく「○回生」と呼ぶことが多い)の夏ともなると、就職活動をしているような雰囲気が伝わってきました。
一方、僕のほうはというと、「自分が勤め人になる」という意識はまったくといってよいほどありませんでした。高校1年生の8月に「写真家になる」という人生目標を掲げていたのですが、どうすれば写真家として生きていくことができるのか、見当もつきませんでした。
通常は、「弟子入りする」「新聞社、出版社に就職する」「スタジオのアシスタントになる」といった進路が考えられます。僕にはどれもピンときませんでした。
ピンとこないのに、卒業というXデーが刻々と迫ってきている……。きっと、その頃に撮った写真はピント外れのカットが多かったのではないかと思います。ネクタイを締める人が増えていく中、僕は相変わらずTシャツ+短パンかジーンズ姿でした。
「Xデーが過ぎたら、自分は橋の下に住むようになるのではないか?」
今から考えるとバカバカしい発想ですが、当時は真剣にそんなふうに思っていたのです。就職=人生の終わり。そんな考えがいつも頭の中でぐるぐるしていました。
そんなわけで、4回生になっても作品づくりのペースはまったく落ちることなく、撮影日、フィルム現像日、引伸し日(プリントする日)の3日ワンセットを基本に、来る日も来る日も作品づくりを行っていました。不安と恐怖に支配されそうになりながらも、幸せな日々でしたね。今となっては貴重な、写真漬けの毎日でした。
卒業の年、1月に6人展「COMME JE SUIS」(ギャラリーDOT・京都)を開催。写真展が終わったあたりから、急速に不安が膨張するのを感じました。しかし、弟子入りやスタジオアシスタントになった自分というものをイメージすることができません。かといって、橋の下で暮らす度胸もないことを自覚していました。
観念し、そして意を決して、あるルートから紹介してもらった(株)廣済堂出版の面接を受けることにしました。ゴルフや釣りの雑誌を出版している会社。面接でどんな話をしたのか、僕はほとんど覚えていません。だが、決定的なひと言を言ってしまったため、同社に入社することはありませんでした。
「君は体力に自信があるかい?」
「いいえ、ハッキリ言って体力だけは自信ないんですよ。ハハハ……」
正直というよりも、バカでしたね。ただ、コネがよほど強力だったのでしょう。フォトグラファーとしては不採用でしたが、親会社、(株)廣済堂の企画・デザイン部門であるプランニングセンターに就職することとなりました。
余計なひと言によって、ずいぶん人生の進路が変わってしまうものです。このとき、身にしみてわかったはずの僕ですが、その後も余計なひと言が人生の要所要所で漏れ出してしまう……。それが災いを招くことも、幸運を呼び寄せることもありました。自分でコントロールできるものではないようです。
1985年1月、6人展「COMME JE SUIS」に展示した作品のひとつ
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コンセプト
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2014-01-14T09:52:00+09:00
2014-01-15T06:12:54+09:00
2014-01-14T09:50:44+09:00
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ビジネスというものにはコンセプトが大事だなぁと改めて思いました。新しい事業をスタートするときは、当然ながらコンセプトを明確にします。しゅんにせよ、スロウにせよ、マイステージにせよ、部門理念や営業理念を明確にし、商品のコンセプトをしっかり考えます。現状把握につとめたり、ビジョンを共有化したり、組織化やスケジューリング行ったりします。最初はけっこうしっかり行うことができるものです。
しかし、数年たってみると、最初に打ち立てたコンセプトから少しずれているのではないかと感じることがあります。最初は計画通りに物事を進めようとしますが、進めていくうちに計画外、予想外の出来事が起こるようになるからです。また、スタート時のメンバーのままではなく、設立メンバーが離れていったり、新メンバーが加わったりします。そこでもちょっとしたずれが生じやすい。ときどき修正や再確認の機会を持つのですが、ずれや溝が埋まらないことも多い。これはやむを得ないことでしょう。
設立時や創刊時のコンセプトからずれてしまうのは当然のこと。けれども、コンセプトが変質して無意味なものになったり、霧散してしまうのは避けなければなりません。このため、ビジュアリゼーションのような作業をチームで行うことには重要な意味があります。自分たちのやっていることは何なのか、何を実現させようとしているのか、どのような結果や感情を得たいと思っているのか? そのために、誰が、いつ、どこで、何を、どのように、どれだけのコストをかけて行うのか? 一番大事なのは「なぜ」ですが、なぜを含む5W2Hを明確にすることが求められます。ここを不明確なままにしておくと、人は「やらずに済ませてしまう」からです。かくいう僕自身、やらずに放っていることがいくつもあるのです。明確化しなければ自分は動かない。だから、自分の手で自分のビジネスコンセプトを明確にすべきですね。
昨日までの取材、本吉でも札幌でも明快でぶれることのないコンセプトを見つけることができました。だから、そこに動機付けされる人が現れたり、客数の増加という結果に現れたりするのです。思い通りの結果になっていないときには、コンセプトの変質や霧散といった現象が起こってはいないか、点検してみる必要があるでしょう。1年前と現在との差はわかりにくいかもしれませんが、5年前や10年前と今とであれば、その違いを発見するのはたやすいことです。そして、過去と同じに戻すのではなく、スタート時の精神を今の時代に合うようにアレンジすることが重要なのではないかと思います。
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徳俵3
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2011-10-01T18:48:57+09:00
2011-10-01T18:48:56+09:00
2011-10-01T18:48:56+09:00
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とりあえず、行動の記録のみとさせていただきます。]]>
不自由感
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2011-04-10T07:01:00+09:00
2011-04-12T22:19:59+09:00
2011-04-10T07:01:35+09:00
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この土日から札幌でPSV研修が始まりました。東日本大震災のため1ヶ月スライドして行われることに。我が社からは期待の若手3名が参加。これから60日間、計画性と継続力が試される研修です。
さて、今日は何を書こうか?
そうだ、新入社員研修の中で反応があった「若干の不自由感」について補足しようと思います。
「不自由感」に反応するということは、みんな不自由さを感じていると考えて間違いありません。これは新入社員ばかりではなく、先輩社員も感じているだろうし、僕も日々感じています。不自由感というものはほとんどの人が持っている。仮に、「自分は持っていない」という人がいたならば、その人はちょっと扱いにくい困った人、傲慢な人ということになります。僕の分類法では・・・。
自分自身を鼓舞するために「私にできないことはない!」と言ったりすることはあるとしても、実際にはできないことがいっぱいあるものです。「自分にはできないことが多い」と自覚することが重要。しかし、現実の仕事の中では自分にできないことであってもやらなければならない。そんな場面が多いものです。そして、チャレンジしてできるようになったり、他の人に助けてもらって何とか仕事を完結させたりします。その過程の中で必ず不自由感を味わうことになるはずです。
不自由感は「やらねばならないこと」と「やりたいこと」に取り組んでいる以上、必ず感じる感情といえるでしょう。自分が成長するために必ず通過するものですから、不自由感を感じないのは人間として不自然。研修中、「800字レポートで自分の思っていることをうまく書けない」とか「3分間スピーチでスラスラと話せない」とか「質疑応答の時間、質問が浮かばない」といった現象から感じる不自由感は、ごくごく自然なものです。僕も立場が逆であったら、当然感じることでしょう。そして、そこに僕らは挑戦しなければなりません。
僕らはさまざまな制約の中で仕事をしています。限られた予算の中でいい仕事をする。これも制約です。また、「雑誌づくり」というのは、「印刷技術を使って二次元の中で表現活動を行う」という制約を受け入れた結果生み出されるものです。不自由感はいたるところにあります。
ところが、僕はこんなふうに思うのです。
不自由感があるからこそ、自由を感じることができるのではないか?
たとえば、写真というのは非常に制約の多い表現手段です。まず、被写体がないと写真にはならない。被写体は撮影者の自由にはならない。同様に、光がないと写真にはならず、光は撮影者の自由にはならない(人工的にライティングをすれば別ですが)。そして、被写体は立体物なのに、写真は平面で表現しなければならない。被写体は時間とともに変化していくのに、写真は一瞬の時間を記録しなければならない。「~ねばならない」がどんどん続いていくことになります。
しかし、ひとたびカメラを手にして写真を撮ると、とっても自由な気持ちになるのはなぜなんだろう? それはある限られた範囲の中で、自由に表現することができるからなのでしょう。まったく制約のない自由というものを十分に使いこなして、自由を感じることができる人はいないのではなかろうか? 僕らはわざわざ制約の多い表現手段を自ら選択し、その不自由感の中から可能な限り自由を求めて表現活動を行っているのだと思います。写真も、仕事も、日々の生活も、きっとそのようなものでしょう。
我が社の人たちはみんな「何かを伝えたい」と思っています。それは、我が社の経営理念のキーワードである「価値ある情報」でしょう。しかし、なかなか伝わらない、受け取ってもらえない・・・といった場面も多いものです。それでも「伝えたい!」という思いを強烈に持つことが重要です。その情熱が人を動かすことになる。不自由感を持ちながら情熱的に行動する人は、不自由感を持たずにスマートに行動する人よりも、断然強い。それだけは間違いありません。
不自由感については2年前にも書いていました。やはり新社会人向けのメッセージでした。よければご一読ください。
http://sogopt.exblog.jp/10688710
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等価
http://sogopt.exblog.jp/2201868/
2006-05-17T23:04:23+09:00
2006-05-17T23:04:27+09:00
2006-05-17T23:04:27+09:00
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そう考えると、目の目に起こる出来事はすべていいことなのだという結論が導き出されてきます。でも、そう感じることができないのは自分の心の狭さだったり、自分の弱みを刺激する出来事であったりするためでしょう。
そんなようなことを今朝からぐるぐる考えながら、ふと気がつくとこの時間。
夜、しゅんの商品撮影を数点行って、データを渡して本日の業務はほぼ終了。何ともホットな一日でした。
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1.26倍の努力ならできそう
http://sogopt.exblog.jp/2131611/
2006-05-12T06:42:57+09:00
2006-05-12T06:42:57+09:00
2006-05-12T06:42:57+09:00
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1.4倍の密度で仕事をし、1.4倍これまでより時間をかける。これならできそうな気がする。実際、僕の仕事の仕方はどうも密度(濃度か?)が低いなぁと感じているのだ。ここを改善しなければ、ただ漫然と長時間働くだけになってしまう。仕事は結果がすべてなので、長時間仕事をした自己満足感では何の意味もない。
待てよ。仕事=結果・成果と考えるなら、もっと立体的に考えられるかもしれない。密度と時間だけではなく、価値とか意味とか共感とか、ちょっと数値化しにくいエモーショナルな部分である。効率性だけではなく、効果性を考えるともう少し違ったことになるぞ、きっと。
そうすると1.26倍の価値ある仕事を1.26倍の密度で1.26倍の時間をかけて行うことができれば、2倍の結果・成果を生み出すことができるはずだ。
1.26倍ならすぐにでもできそうですね。カンタンカンタン。
たぶん世の中には、こうしたことをもっと賢く、しかも当たり前のようにして、人の何倍も結果・成果を生み出す人がいるのでしょう。僕も2倍の成果を生み出すことができたら、その次はその2倍をめざす。そうやって人も企業も自己成長していくのでしょうね。
昨日は夕方からマイステージのミーティング。4時間。会議にしてはえらく長かったけど、かなりやるべきことが具体化してきた。今日もその続きを行う予定。]]>
ビール+冷や奴+山わさび
http://sogopt.exblog.jp/1976087/
2006-04-29T23:15:50+09:00
2006-04-29T23:15:50+09:00
2006-04-29T23:15:50+09:00
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僕はやはり撮影以外は仕事が遅いということがハッキリしました。やはりプロにはかないません。
そんな理由で休日出勤していたら、山わさびの差し入れあり。すり下ろしてかつお節と醤油をつけ、冷や奴に乗せるといいとアドバイスを受ける。ちょうど自宅には冷蔵庫に豆腐があったっけ。今日は気候的にも冷や奴日和なので、ビール+冷や奴に決定。そそくさと帰宅する。
帯広の豆腐はほとんどどれもおいしい。東京で豆腐を買うと豆の味のしない豆腐が多いが、北海道のものは違います。絹ごしでも手のひらの上で包丁を使って切ろうとすると、少し緊張します。硬いから。豆をいっぱい使っているのかな?
ともかく、ビール+冷や奴。ちなみにビールも麦芽100%にすべきでしょう。ドイツのビール純粋令がわかる気がします。ちょっと前までは発泡酒でもいいか・・・みたいなところもあったのですが、やっぱり味が違いすぎる。僕も今では350ml缶1本で満足という人になってしまったので、味にはもっとこだわるべきでしょう。注ぎ方には細心の注意を払っているので、クリーミーな泡が立ちます。並のビヤホールよりうまいはず。
休日の土曜日はやっぱりゆったりしすぎてしまいますね。いいんだけど・・・。]]>
スンドゥプチゲ(ただし和風)を作る
http://sogopt.exblog.jp/1896471/
2006-04-23T21:56:00+09:00
2006-04-23T22:00:42+09:00
2006-04-23T21:56:18+09:00
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しかし、現実には本場の味を再現すると、我が家のパートナーは一口も食べられないと予想されます。会心のスンドゥプチゲを作ったら、えらく不評でした(10数年前の話)。そこで、今では妥協して味付けを和風にアレンジしています。
ここでちょっと断っておきますが、僕の料理は超自己流&お手軽。料理名人だと誤解すると、ひどくガッカリすることになります。僕が自分の料理自慢をするときは話1/4で聞いてください。さらにいうと、僕はどんな料理にも30分以上時間をかけません。平均10分。料理を作っているときは空腹状態なので、一分一秒を争います。まったくムダな会話もムダな動きもありません。仕事もこんな風にできればいいのですが・・・。
自己流といいましたが、チゲに関しては本場韓国の李さんに習いました。
もう18年前。ソウルオリンピックの年の春でした。当時、宙ぶらりんな仕事の仕方をしていた僕は1ヶ月ほど韓国を旅しようと思い、ひとりでソウルの安宿に滞在していました。当時で一泊800円くらい。ソウル市民にとってもその宿は安宿だったようで、「こんなところに泊まる日本人は貧乏に違いない」と思ったのか、何度もソウルの人たちからビールや料理をごちそうになりました。
中でも特に親しくなったのが李さん夫妻。韓国は夫婦別姓ですが、夫婦そろって李さんでした。李さんは「イ」と発音しますが、外国人には「リー」のほうが通りがいいということで、お互いに「Mr.リー」、「Mrs.リー」と呼び合っていました。
それはともかく、親しくなったついでに李さんの家に泊めてもらうことになり、そこで教わったのがチゲなわけです。したがって、一応は本場仕込み。ただ、僕に難しいことを教えてもムダだと思ったのでしょう。「とにかく材料を次々入れればいいのよ」とMrs.リーは教えてくれました。Mrs.リーはサムスン電子に勤めている人で、とっても忙しそうな人だったのですが、なぜか夜遅くまで僕と遊んでくれました。僕の生涯の中でこれほど貧弱な英語力を駆使したことはありません。李さんに限らずいろんな人と飲み歩いていて、かなり込み入った会話もしました。政治、歴史、文化等、僕も一応は日本の立場も説明しなければという思いがあって友好的かつ真剣な議論の日々が続きました。予想外で、不思議で、愉快な毎日。それにしても不思議な人たちだったなぁ。
チゲを作るときは、いつもそんなことを思い出しながら作るわけです。そして、最後に味噌とコチュジャンを入れて仕上げます。この最終工程が僕にとっては日韓友好を表しているんですね。少し味付けのスタンスが日本寄りになっていますが、コチュジャンなしではさびしい。適度に異文化が混ざり合った方が味として豊かな感じがするんです。あくまで僕の場合ですが。
これでマッコリがあったら最高ですね。
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蒸します
http://sogopt.exblog.jp/1858497/
2006-04-20T23:33:00+09:00
2006-04-21T09:04:08+09:00
2006-04-20T23:33:08+09:00
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雨といえば蒸します。蒸すといえば、「蒸し暑い」ですよね。「蒸し寒い」とはあまりいいません。したがって、僕の感覚では、雨の日は「暑い」。なのに、寒いという人が多くて驚かされます。今日はとても会社の中が蒸し暑い。暖房が入っている。仕方ないので扇風機を回しました。ひとり用の小さなやつが机の後ろにあるのです。大変便利な代物で、僕はこれを年中使っています。購入価格は1500円前後と思われますが、これほど重宝している快適グッズはありません。なぜかわからないけど、社内は年中暑い。
僕が暑がりなのか、まわりが寒がりなのか。ただハッキリしているのは、一般に寒がりな人の主張のほうが通りやすいという事実です。
このほか、主張の通りやすいパターンとしては「人より声が大きい」「態度がでかい」「演技力がある」「感情に訴えかける」「論理的に主張できる」などがあります。いずれも僕とは無縁のスキルです。僕も自分の主張が通るような武器が必要かもしれません。
夕方、「とかちタンポポの会」という学びの会に参加しました。モラルハラスメントについての勉強会。う~ん、奥が深いのですね。勉強になると同時に、自分の勉強不足を認識しました。テーマは深刻ですが、楽しい学びの会です。
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待ったなしになってきた
http://sogopt.exblog.jp/1831064/
2006-04-18T23:54:27+09:00
2006-04-18T23:54:26+09:00
2006-04-18T23:54:26+09:00
sogopt
未分類
9ページ分、一気に終わらせたら、やはり目がしょぼしょぼしてきました。
明日は当社の新事業「マイステージ」のミーティング。次の月刊しゅんには情報が掲載されるから、待ったなしの緊急課題です。GW前にやるべきことは山ほどあります。少しも気を抜くことはできません。
新しいことを始めるときに期待感と不安感のどちらが強いか? 当然期待感が不安感に打ち勝たなければ能力はあってもうまくいかない。新しい世界へ飛び込むときには、何よりプラス思考でなければ。月曜日の幹部会議後半で見たDVDでは「ゾーン」という言葉を使っていたが、最低目標と最高目標の設定が必要。目標設定の精度を高めて新事業を軌道に乗せようと思っています。
目標達成の決め手は、僕の考えるところ、当事者全員がビジョンを共有できるかどうかです。言葉の上ではほぼ共有できている。が、イメージまでは共有できていない可能性があります。そこをビジュアライズしなければならない。GWをはさんでビジュアリゼーションをやってみようと思います。きっとうまくいくに違いない。]]>
大掃除始まる?
http://sogopt.exblog.jp/1733446/
2006-04-12T06:26:00+09:00
2006-04-12T06:30:43+09:00
2006-04-12T06:26:39+09:00
sogopt
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さあ、今日からは新事業の準備をしっかり進めていかねばならない。まず、場所を確保することだ・・・というわけで、机を並べるための準備が始まった。場所は旧社長室。今は時折閉じこもって文章を書いたり、打合せに使ったりする部屋だが、ここがマイステージ事業部(仮称)となる。
ああ、それにしてもいらないものがいっぱい置いてある。僕は知る人ぞ知る、というかみんながよく知る片付け下手なのであります。
その理由は、
1.物が捨てられない
2.何が必要で何が不要かわからない
3.片付けているうちに頭痛がしてくる
その結果、誰かが片付けているそばで、ウロウロするだけの人間になってしまうのです。
こういうときは、血液型でいうとO型の人が向いているのかもしれない。我が社だけの話かもしれませんが・・・。
昨日はメモ用紙(段ボール2箱分・これは捨てたくなかった!)や新商品の試作品、資料等が捨てられていました(もうすでに僕の出張中にけっこう捨てられた形跡もあり)。「捨てないと気が滞るのよ!」と叱咤されながら、僕は言われるままに、台車で段ボール4箱を再生紙置き場に運んでいきました。さようなら、推定5年分のメモ用紙くん。
アウトプットしなければインプットできない・・・と言い聞かせて、この際、きれいさっぱり大掃除です。
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そして今日は昨日となった・・・
http://sogopt.exblog.jp/1716036/
2006-04-11T01:15:20+09:00
2006-04-11T01:15:20+09:00
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sogopt
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ただ、写真の整理に労力を費やしたため、他の業務がおろそかになってしまっています。やるべきことが滞っていて、だいじょうぶなのか?って感じになっています。そんなときは「やり続ければいつかは終わる」と自分に言い聞かせるしかありません。それにしても、やるべきことのチェックリスト8項目のうち、まだ4つしか終わっていないぞ。それなのに今日1日は終わってしまった。もう日付は変わって、今日は昨日になってしまった・・・。
こんな風に書くと、僕が忙しい人のように勘違いする人がいるかもしれませんが、全然そうじゃないんですよ。けっこうセカセカ感を楽しむだけのゆったりした心境でいられるし、そもそも僕の業務処理能力が貧弱なんです。頭のCPUが旧型なのだと思います。みんなよく3月の繁忙期を乗り切りましたね。みんなの頭はペンティアム4か?
僕の場合、どこかでムダな時間を使っているのかもしれない。熟考しているフリをして、意識が飛んでしまっているとか、ものを探している時間が一日の20%くらいを占めているとか、そんな根本的な欠陥があるのかもしれないぞ。
ただ、そうはいってもどこかで時間のつじつまは合うようにできている気がします。最善を尽くして、淡々とやるのみ。スロウではあっても、目標に向かって一歩ずつ近づいているという感覚がある限り挫折することはありませんね。
でも、1時を過ぎたので帰って寝ます。
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