高原淳sogo-p写真的業務日誌
2018-01-12T07:18:11+09:00
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「月刊しゅん」、「northern style スロウ」を発行するソーゴー印刷(株)社長・高原淳の写真的業務日誌
Excite Blog
ブログ移転しました
http://sogopt.exblog.jp/29184051/
2018-01-10T00:04:00+09:00
2018-01-12T07:18:11+09:00
2018-01-10T00:04:35+09:00
sogopt
その他
文体、中身とも、少し変更しました。
引き続き、お読みいただけるとうれしいです。
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ブログ12年
http://sogopt.exblog.jp/29180401/
2018-01-09T05:01:00+09:00
2018-01-09T05:01:55+09:00
2018-01-09T05:01:55+09:00
sogopt
写真
エキサイトブログに投稿するのは、たぶんこれが最後になるでしょう。もしかすると、2、3日ずれる可能性はありますが、今後は自社サイトの中でブログを書くことになります。書く内容も変わる可能性が大。どのように変わるのか? こればかりはやってみなければわかりません。
ここしばらく、1日2000字を目安にブログを書いてきました。これは僕にとって文章トレーニングといった意味合いがあるものの、読み手の方々にとってはちょっと迷惑だったかもしれません。もう少し、スリム化した文章をお届けできるようにしたいと思います。
毎日書く文章のテーマについても、もっと明確化を図ります。今までも「経営」「写真」「マーケティング」といった大まかなテーマはありました。けれども、曖昧模糊としたところから、何らかの結論に結びつけていく・・・という書き方が多かった。こうした書き方を毎日続けると、文章の質という点で、日によって当たり外れが生まれやすい。体調や心の状態が文章の質にストレートに反映されることになる。この点、僕としてはずっと気になっていたのです。
そんなわけで、リニューアル後は「実用的な文章」が増えていくことになると思います。文体も変わるに違いありません。もしかしたら、真面目すぎておもしろくなるかもしれません。「○○すぎておもしろい」という状態を目指します。ただ、自社サイト内のブログですから、できるだけ品を落とさないようにしようと、現時点では考えています(あくまでも現時点での話)。ある程度、慣らし運転を行ってから、適度に文体を緩くしていくことになるでしょう。
それにしても、エキサイトブログにはお世話になりました。書き始めたのは2006年1月21日。次に書いたのが24日。2006年1月24日以降は、社内で緊急事態が起こった2日間を除き、ずっと毎日書き続けてきました。もうすぐ丸12年を迎えます。ひとまわりした・・・。そんな実感が湧いてきました。
最初の頃のブログは今に比べるとずいぶん短い。このくらいの文章量でよいのかもしれません。2006年当時は、長く書こうと思っても書けなかった・・・というのが真相。僕はこの年からスロウの書き手の末席に座ることとなり、ブログを使って文章トレーニングを開始したのでした。
効果は自分でも驚くばかりでした。東京時代の文章力を取り戻しただけではありません。もっと重要なスキルを僕は手にすることとなりました。
それは「一見関係ないと思えるような情報や出来事が頭の中でつながるようになっていった」こと。大袈裟に言えば、僕の脳内でイノベーションが起こったのです。
それ以前の僕はどうだったのか? 情報と情報がつながっておらず、よくわからない出来事が発生すると、そのたびに一から考え始めなければなりませんでした。ブログを書き始めた半年後か1年後からは、自分の頭の中の何かがつながるようになって、仮説を立てる能力が格段に高まっていったのです(気のせいかもしれませんが)。
これは、「毎朝静かに考える」という習慣を手にしたためでしょう。僕の場合はブログでしたが、人によってはマインドフルネスだったり、ウォーキングだったりするのかもしれません。ひとり、自分と向かい合う時間。これが僕には必要だったのだとわかりました。
そして、習慣化すること。ブログを始めて1年もすると、もうやめられなくなってしまいます。1日でも欠けてしまうことがあると、ものすごく後悔することになるのではないか・・・。そう思って、風邪の日も二日酔いの日も書き続けました。更新の時間にはバラツキがあったり、どうしても電波がなく(離島などの場合)、更新のみ1日ずれたことはありました。そうした例外を除き、12年間続けることができた。まあ、三日坊主になることの多い僕にとっては、ちょっとした成功体験といえますね。
さすがに12年続くと、次の12年を目指すことになるでしょう。今度は自分のためではなく、誰かの役に立つ中身に変えていこうと思っています。役に立つと同時に、おもしろい文章になるかどうか? このあたりが次なるチャレンジといえます。
これまで長い文章を忍耐強く読んでいただいた方々に感謝申し上げます。できましたら、ブログ引っ越し後もご覧いただければ幸いです。移転先は明日お知らせします。
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縦書きか横書きか
http://sogopt.exblog.jp/29175736/
2018-01-08T07:12:00+09:00
2018-01-08T07:12:55+09:00
2018-01-08T07:12:55+09:00
sogopt
写真
昨日本を読んでいて感じたこと。それは「単行本はやはり縦書きがいいなぁ」ということでした。技術書とか料理本といった、横書きのほうが伝わりやすい本もありますが、長い文章を読ませるにはやはり縦書きのほうがいい。横書きで長い文章を読んでいくと、目が疲れてしまうのです。日本語の文章の場合、目は横移動より縦移動のほうが疲れにくい。僕はそう思っています。
インターネット時代に今、横書きのほうが読みやすい・・・という人も増えているに違いありません。昨日読んだ本などは、横書きにする必然性がない本でした。では、なぜ横書きだったのか? 「学生向けに書かれた本」だったのです。読者はデジタルネイティブな人たちだから、横書きがいいだろう・・・と著者、編集者が考えたのでしょう。
世の中、次第に横書きが増えていき、縦書きは廃れていってしまうのか? そんなはずはありませんね。小説もノンフィクションもビジネス書も、圧倒的多数の本は縦書き。英数字が多用される本の場合は、表記しやすいという理由で横書きの本が多い。要は、読みやすいかどうか、伝えやすいかどうかで縦横を選択すればよいのです。
一般に、単行本一冊に収められている文字数は10万~18万字(200~300ページの場合)。これだけの文字数を読むのですから、本の作り手は読みやすさにこだわらなければなりません。
フォント、字間、行間はもちろんのこと、ノド、小口、天地のスペースをどのくらいとるのかも重要になってきます。ページを開いたとき、本の綴じてあるところを「ノド」、外側の両端を「小口」といいます。
ノドのスペースが不足していると、ページを思い切り開かねばならず、読みにくい本になってしまいます。小口よりもノドに十分な余白をとるべき。自費出版物の中には、ごく稀ですが、文字がノドに埋没しそうになっていて読みにくいものがあります。
縦か横かの話に戻ると、去年、僕はおもしろい事実に気づきました。今さら・・・という気づきではありますが、僕は原稿を書く際、横書きで書くことが多かったのです。自分の書いた文章は印刷時には縦書きに変換されるのに、原稿を書く際は、当たり前のように横書きで書いていた。今考えると実に不思議です。
なぜなんだろう? パソコンとはそういうものだという思い込みがあったのかもしれません。少し遠い過去にさかのぼって考えていくと、ワープロ時代、僕は縦書きで原稿を書いていたことを思い出しました。1990年代前半からパソコンを使うようになり(Windows3.1)、なぜか横書きになった。縦でも横でも構わない・・・。当時は若かったということでしょうか。どちらでも違和感なく使うことができた。
以来、当たり前のようにずっと横書きで原稿を書いていました。ただ、スロウ編集部内を見ると、歴代編集者の何人かが縦書きで原稿を書いているのです。実際、僕も何度か試してみたことがあります。漢字変換がちょっとやりにくいというのが正直な感想。
しかし、昨年本を執筆するにあたって、改めて縦書きにチャレンジすると、驚くほど書きやすかったのです。漢字変換も慣れるとまったく問題なし。それ以上に、ワープロソフトは縦で書くものだと確信するようになりました。
パソコンの画面は横長になっていて、横書きだとデッドスペースができてしまうもの。縦書きに切り替えると実に有効に画面を使うことができるのです。僕の執筆した文庫本の1行の文字数は34字。縦書きにすると、34字×40行が楽に画面に収まる。これは書いていて心地よい。どうしてこれまで縦書きにしなかったのだろう・・・。これからは断然、一太郎+縦書きですね。
ちなみに、先ほど1冊の単行本の文字数は10~18万字と書きましたが、おそらくこれから本の文字数は減少していくことになるでしょう。僕の書いた本は2冊とも6万5千字程度。写真を入れずに文字だけの本にしたなら、きっと8万字くらいになったでしょう。
けれども、今の時代、文字だけびっしりという本を読む人は少ない。ある程度は図版、写真が必要です。1ページに収める文字数も、昔に比べてずいぶん減っているような気がします。文字が大きくなった、あるいは行間が広くなっているはずです。昨日読んだ本はB6変型。当然文庫本より大きな本ではありましたが、4万字に満たなかったのではないかと思います。その証拠に、僕は1時間程度で読み終えてしまいました。
どのジャンルの本であっても、くどくどと同じようなことが書かれている本は読まれなくなっていく。同じ中身であれば、文章は短いほうがいい。実用書、ビジネス書はそうした方向へ向かっていくことでしょう。僕の書く文章もできるだけくどくならないよう、気をつけなければなりません。
そんな理由から・・・ではありませんが、近日中に僕のブログはリニューアルすることとなります。今までよりも読みやすくなる予定です(縦書きになるわけではありません)。
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チャンスと意志
http://sogopt.exblog.jp/29170231/
2018-01-07T07:12:00+09:00
2018-01-07T07:12:36+09:00
2018-01-07T07:12:36+09:00
sogopt
経営
昨日はバイオリズムでいうと、身体、感情、知性の3つとも不安定日になる要注意日でした。やはり迷信なのかなぁ。それとも、不安定なほうがいい写真が撮れるということか? ともかく、昨日は車の運転には気をつけるようにしていました。
風景撮影をしていていつも感じていること。それは「ここに駐車スペースがあるといいのに・・・」と思うような場所がたくさんあることです。昨日も、車を止めることができたらすごくいい写真が撮れるのに・・・と思いながら運転していました。そうした「幻の名作」がずいぶんたくさんあります。素晴らしい場所ほど、車を止める場所がない。特に、冬場の路駐は極めて危険ですから、幻の名作が生まれやすいですね。脳裏に焼き付けるほかありません。
ビジネスにも、あるいは人生にも同じことが当てはまりそうです。今このタイミングで行動を起こせば、成果を生み出すことができるに違いない・・・。そう感じるようなチャンスに出合うことがある。20代の頃は鈍かったためか、「それがチャンスだった」とわかったのは数年後のことでした。
チャンスを逃し続けると、次第にチャンスの大きさが小ぶりになってしまうような気がします。必ずしも大物狙いがよいとは思いませんが、乗れるときには乗ったほうがよいと思います。また、小さなチャンスであっても的確に自分のものにすることで、次に訪れるチャンスが少しずつ大きくなっていく。無謀な生き方は避けるべきですが、できるだけチャレンジャーな生き方を選んだほうが、人生は充実したものになるのではないかと思います。
ただ、チャンスにも2種類あって、自分・自社の成長につながるものとつながらないものとがあるわけです。たとえば、「1年前にビットコインを買っておけばよかった・・・」というのも、ひとつのチャンスだったかもしれません。しかし、そういうチャンスは自分の成長には何の関係もありません。自己成長と無関係な報酬には相応の対価を払わねばならないことが多いもの。チャンスに見える落とし穴もたくさんある。
したがって、何かにチャレンジする際には、「成長につながるかどうか?」がひとつの判断基準となるでしょう。
もうひとつは、チャレンジすることによって「人の役に立つかどうか?」でしょうね。経済的側面も大事ではありますが、自分以外の人が喜ぶかどうか、社会貢献につながるかどうか。このポイントを外してしまうと、一時的にうまくいったと思っても、長続きすることはありません。
「人の役に立つかどうか」という判断基準は、「自己成長」の基準よりもちょっとだけ判断が難しいところがあります。どうしてかというと、人の立場になってみなければわからないからです。人、あるいは社会の役に立つということは、自分以外の人、あるいは地域全体の成長や発展に貢献するということ。ものの見方が狭くなってしまうと、適切な判断を下すことができなくなる。
一部の人にとっては好ましい結果をもたらすが、他の人には著しく困った結果となる・・・。そんなケースも起こりうる。すべての人にとって好ましい活動というものは、存在しないのかもしれません。けれども、「自分・自社の行う活動は幅広く人の役に立つものだ」と信ずる必要があるでしょう。基準となるものは人によって、会社によって、違いがあるのは当然のことです。しかし、「自分はこうだ」という基準を持つことが重要ですね。
若手の人の場合は「何が本当に社会のためになるのか」はわからないことが多いものです。ですから、ある程度は「自己成長」に絞って判断してよいのかもしれません。考えてみると、僕にもそうした傾向がありました。
20代の場合は、まだまだ活動領域が狭いため大きな社会貢献を果たすことができない代わりに、大きな不利益をもたらすことも少ない。たくさんの経験をし、その結果を検証してみれば、自然に次の行動が修正されていくものです。
また、会社組織の場合は周囲の人たちからの助言や修正が得られますから、会社員の場合は安心して「思い切ったチャレンジ」を試みるべきでしょう。会社には資源があり、チャレンジの場があり、周囲からのサポートも得られる・・・。本当に恵まれたポジションにあるのではないかと思います。
意志があるかどうか? チャンスに乗ることができるとすれば、クリアすべき点はそこだけですね。
会社員になると、自社の事業がさまざまに移り変わっていく風景を目の当たりにします。自分は窓の外を眺めているだけの存在なのか? そう自問すると、「風景を撮る」とか「風景そのものをつくりかえる」とか「同じ風景を見る仲間を増やす」といった主体的活動に目覚めていくことになるはずです。今年はチャンスがいっぱいやってくる年。自分の意志を明確にすべき年でもあります。
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読書と成長
http://sogopt.exblog.jp/29165242/
2018-01-06T07:21:00+09:00
2018-01-06T07:21:51+09:00
2018-01-06T07:21:51+09:00
sogopt
我が社
忙しさを理由に本を読まずにいることもあるのですが、多忙そうに見える人ほど本を読んでいたりします。自分の中で読書の優先順位を上げていくべきですね。自分の一日の過ごし方を振り返ってみると、意味の薄い時間がたくさんある。毎日1時間程度を読書に充てることができれば、自分に必要な情報をインプットできるに違いありません。
娯楽的な時間、あまり考えなくても済むような時間の使い方に向かっていこうとする自分。その一方、成長したい、問題解決したいという自分もいます。両者の葛藤があって、「成長のための時間」をより多く確保した人が実際に成長していく。読書には限りませんが、成長という観点から一日の時間の使い方を見直すべきでしょう。僕も、新年にあたって2018年は「本をたくさん読む年」にしていこうと思います。
成長意欲はあるものの、自分の知的体力が追いつかないというケースも当然ありますね。今月の次世代幹部養成塾の課題となっている本も、やさしく書かれてはいますが部分的には難解。前半はいいペースで読み進んでいったのですが、後半に入って読むスピードが落ちました。意味はわかるが仕組みがわからない。繰り返し読む必要がありそうです。
全部を理解しようと考えるのは欲張りなのかもしれないな・・・。そんなふうにも思えてきました。リンダ・グラットンの「LIFE SHIFT」についても、全部理解したわけではない。自分の知りたいことがわかったから、「理解した」と思えたのです。もしかしたら、本の半分くらいしか理解していないのかもしれない。それでよいのでしょう。
人と会話をしていても、相手のメッセージの半分しか理解できないということがあります。当然その逆もある。僕の伝えたいメッセージはたぶん半分以下しか伝わっていない。したがって、伝え方を変えて何度も伝える。たぶん、どの会社でも行われていることですし、社外でも、家庭でもそうしてメッセージを伝えようとしている。
本の場合は「紙の本」「電子書籍」「オーディオブック」の3通りしかありませんから、情報の受け手が受け取り方を工夫することになります。通常の場合は、繰り返し読むことでしょう。だが、それでも理解できないことが多い。僕の場合、関連図書の中から比較的やさしそうなものを読むことにしています。
どうがんばっても理解できないジャンルというものもあります。きっと誰にでもあるでしょう。理解できないのだけれど、今の仕事に必要な情報。無理をして習得しようとすると、仕事が嫌いになってしまうかもしれません。
単純な話、分業すればよいのだと思います。得意な人から教えてもらう、または自分の仕事の一部を肩代わりしてもらう。それが比較的容易にできるのが会社組織のよいところ。フリーランスの人であれば、ちょっと苦労する(または費用が発生する)かもしれません。
僕は仕事人生の前半は自己完結型の仕事を目指していたため、分業というのがどうも苦手でした。思い通りにしたいという気持ちと誰かに任せたいという気持ちが葛藤する。人に説明するくらいなら、全部自分でやってしまおう・・・という安易な結論に飛びつく傾向があります。このあたりを軌道修正しながらやってきた10数年ではあるのですが、なかなか直りません。
正しい分業の仕組みを知って、自社に生かせるようにしなければと思っているところです。
会社には「自己完結型の仕事」と「分業すべき仕事」がある。後者のほうが圧倒的多数を占めるはずです。また、自己完結型といっても100%自己完結するはずはなく、他部署の手助けが必要となる。いかに他者、他部署と協力しながら成果を生み出していくか? そのためには正しい分業の仕方を身につけていかねばなりません。
今読んでいる本にはそれを数値化する手法が書かれています。本の中身とは関係ありませんが、10年以上前に札幌の同業者を見学したこともありました。そこでは社内通貨が流通していました。視覚的効果があって、非常にユニーク。我が社にも取り入れたいと思いましたが、やり方が皆目わからない。
年月がたち、今はブロックチェーンの時代です。もっと違ったアプローチの仕方で各部署の生み出す付加価値を見える化できるのではなかろうか? 10日に行われる次世代幹部養成塾の中で、ディスカッションしてみたいと思います。
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全員経営
http://sogopt.exblog.jp/29158893/
2018-01-05T03:06:00+09:00
2018-01-05T03:06:02+09:00
2018-01-05T03:06:02+09:00
sogopt
我が社
年末年始の過ごし方はいろいろあるでしょうが、僕はもう9年間、「年頭にあたって」の作成に心血を注ぐという時間の使い方をしています。M氏から「4日も使っている」と指摘を受けました。確かに、資料・文献を読み込む時間を含めると、たっぷり4日くらい使っていそうです。
それ以前はどうだったのか? 入社した最初の年のことは忘れてしまいましたが、3、4年目あたりは「合宿」と称してホテルにこもって経営計画を立てていました。自宅でもできること。でも、場所を変えることで発想が変わるかもしれないと思ったのです。正月に限らず僕はこの「合宿」が好きなのですが、社内では誰も話に乗ってくる人はいませんね。同友会の経営指針研究会一泊研修会が、僕の考える合宿にちょっと近い。
2004年から2009年までは道内各地の風景を撮影してまわるという過ごし方をしていました。外見的には正月旅行。ある意味、健全な正月休みの過ごし方です。今はどうかわかりませんが、この頃は比較的宿も空いていて、ふだん撮ることのできない冬の風景を撮りまわっていました。
2010年から「年頭にあたって」を作成することになったのは、次世代幹部養成塾の開講と関係がありそうです。自分のことなのに、始めたきっかけをちゃんと思い出すことができません。けれども、2009年11月に第1期次世代幹部養成塾がスタートしていますから、年頭のメッセージを特別なものにしたいと考えたのでしょう。2010年にはどんなことを書いたっけ・・・。忘れてしまいました。9年分の原稿を1ヵ所にまとめておかねばなりません。
ここ数年は国際情勢、国内情勢、地域・業界の現状、我が社の進むべき道・・・といった順番で原稿を書いています。
僕が危惧しているのは世界や日本の現状について把握している人が少ないのではないかということ。そう言われると僕もちょっと怪しいのですが、新聞、テレビに出てくるようなことはある程度インプットしておかねばなりません。このあたり、話が通じる人と通じない人がいる。僕より詳しいと思う人が社内にいる一方、別な世界に生きているのではないかと思うような人もいます。年末年始の新聞には「一年の動き」が載っていますから、丹念に読んでほしいところです。
同じ情報を共有していれば、だいたい同じような結論に至るものです。意見が異なったり、対立が起こる最大の理由は、「持っている情報が違っているため」ではないかと思います。さらにいえば、雑多な情報を雑多なまま頭の中に収納しているか、あるいはジャンルごとに分類したり、関連付けを行っているかどうか。ただ「知っている」というだけでは、情報をうまく活用することはできないものです。他の情報とつなぎ合わせたり、自分・自社の持つ強みと組み合わせる必要がある。
今日のビジネスのキーワードは「イノベーション」です。イノベーションとは何か、わかりやすい言葉に置き換えると、「一見、関係なさそうな事柄を結びつける思考」ということになるでしょう。技術革新だけがイノベーションではありません。既存の技術のまま、用途、デザイン、販路、販売方法を変えるなどして、革新的な商品に生まれ変わった例はたくさんあります。一見関係なさそうなものをいかに結びつけるかが鍵を握るのだと思います。
結びつけるには、多くの情報がインプットされていなければなりません。また、情報を編集したり、分析したり、仮説を立てる能力が求められる。ここが次世代幹部養成塾の目指すところであり、「年頭にあたって」の中で伝えたいメッセージでもあります。あまり効果的に伝えることができていないと思いますが、たとえ数人の人であっても受け取ってもらえれば幸いです。
今読んでいる本のひとつに「全員経営 ハイパフォーマンスを生む現場 13のケーススタディ」(野中郁次郎・勝見明著、日経ビジネス人文庫)があります。野中郁次郎といえば「知識創造企業」で有名。暗黙知と形式知を連動させる経営。これを効果的に行えば組織は成長する。一方、「全員経営」では社員一人ひとりの自立的思考という観点から書かれています。これは知識社会が到来し、全員の知識を集めなければ大きな環境変化に対応できないということなのかもしれません。
知識社会となっている今日、イノベーションを起こすには全員経営が求められる。全員が現状を把握していることと、各自の得意分野を掘り下げて特別な知識を組織に提供すること。現状把握だけでは不十分だし、専門分野への特化だけでは危険なのです。我が社はバランスのとれた成長・発展を目指していかねばなりません。
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キャッシュレス
http://sogopt.exblog.jp/29119359/
2018-01-04T07:04:00+09:00
2018-01-04T07:04:44+09:00
2018-01-04T07:04:44+09:00
sogopt
その他
昨日は一気に書き進めていったため、おそらく入力ミスや日本語的に変な部分があったと思います。今日はそうした箇所の修正と図版を揃えていく作業になるでしょう。ここまでくれば「2018年の年頭にあたって」も完成間近です。
一気に書くメリットは何かというと、文章に勢いが出ることですね。ゆっくり言葉を厳選しながら書く文章もよいのですが、頭の中からあふれ出そうとする言葉を一気に書き留めていくことで、スピード感のようなものが表現できる。やや軽率な言葉の使い方になることもあるのですが、それは修正段階で削ればよいだけの話。僕の場合、一定の速度で言葉が浮かんでくることはなく、急にあふれ出すこともあれば、長い間枯渇した状態になることもある。ですから、何もせずにただぼーっとしている時間も長い。
ここ数年、新年になると資本主義について考えているような気がします。NHKでは去年も放送していましたね。「欲望の資本主義」。昨日見た番組はその続編という感じ。昼間にはたまたま読みかけになっていた本「資本主義の終焉と歴史の危機」(水野和夫著、集英社新書)を読了しました。もう4年近く前に出版された本。今さらという感じですが、koboの中に入っていた。購入したことを忘れてしまう・・・というのは、電子書籍の弱点のひとつですね。
今、世の中が激変していることには誰もが気づいています。情報革命、産業革命、エネルギー革命・・・。「革命」と名付けられるものがいくつもあります。ただ困るのは、「今年から革命後の新しい世界です」といった線引きができないこと。何年、場合によっては何10年もかけて革命が進行していく。このため、革命の真っ只中を生きているはずなのに、この変化が革命なのだと気づかないまま過ごしてしまうことになる。できるだけ、注意深く今起こっている変化を観察しなければなりません。
去年、僕がこのままじゃいけないのではないかと思ったのは、日本人の「現金主義」についてでした。調べるまでもなく、世界は大きく変わっていました。
一昔前(もっと前かも)まで、現金以外の支払い方法といえばクレジットカードでした。クレジットカードの場合、店は手数料をカード会社に支払うことになる。これが代金の4%とか5%といった、けっこうな負担額(業種によって異なる)。客が手数料分を負担する必要はありませんが、店にとって軽くはない。カード利用者が増えれば客単価が上がるというメリットはあるものの、クレジットカード決済はベストな仕組みとはいえないのではないか・・・と考えることがあります。僕の場合、大型店ではカードを使い、個人経営の店ではできるだけ現金で支払うといった使い分けをすることが多い。
昨年、スマホを新しくしたのをきっかけに、Apple PayのSuicaを使うようになりました。決済にはクレジットカードを使うため、結局のところ手数料問題は残るのですが、何しろ劇的に便利。出張時に乗る電車の改札はもちろん、コンビニ等での少額の買い物に使っています。
日本は治安がよいため、多少の不便さを我慢すれば現金でも暮らしていくことができますが、外国の場合はどうなのでしょう? 昨年秋、アメリカでUberを利用したI氏の話では、車を呼ぶのも、支払うのも簡単。相互評価が行われるため、ぼったくりもない。運転手も安心して客を乗せることができる。スマホ上で支払うため、運転手は現金を持ち歩く必要がなく、強盗に遭う心配もほとんどないのです。
キャッシュレス社会がやってくるに違いない・・・。話を聞きながらそう思っていました。
日本は比較的安全な国で、しかもそこそこ便利なインフラが整備されている。ここに案外大きな問題が横たわっている。キャッシュレスに慣れている海外からの旅行者が、日本にやってきて不便に感じているのではないかと思います。元々ものすごく不便だった国では、一気にキャッシュレスに変わっていった。たとえば、インドでは脱税防止という理由から高額紙幣を使えなくしました。この結果、キャッシュレスが広まった。意図してかどうかわかりませんが、あえて現金払いを不便にすることで、支払い方法は変わっていく。おもしろい事例ですね。
仮想通貨についても、さまざまなリスクを抱えながらも普及していくことになるのでしょう。ウルグアイでは国家版の仮想通貨「eペソ」の試験運用が始まりました。他にも導入を検討している国が何ヵ国かあります。
これから資本主義がどのように変わっていくのか、あるいは資本主義ではない別な経済が現れるのか? このあたりよくわからないのですが、もしかしたら貨幣から変わっていくことになるのかもしれません。
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相似形とメッセージ
http://sogopt.exblog.jp/29085591/
2018-01-03T06:20:00+09:00
2018-01-03T06:20:40+09:00
2018-01-03T06:20:40+09:00
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我が社
今日と明日の2日間を使って「2018年の年頭にあたって」を完成させようと思います。僕が「年頭にあたって」を書くようになったのはいつからだろう? そう思って調べてみたら、どうやら2010年からのようです。今年で9年目。ブログは自分の過去の活動を調べる上でも便利なツールですね。どうやら最初の年から出版広告部の800字レポートに使われていたらしい。
最初の頃はA4・12ページで作成してたことも判明。ここ数年は16ページ。いつの間にか字数が増えたようです。書くほうも大変ですが、仕事始めの日にこれを読むのもけっこう大変だと感じる人がいるかもしれません。ちゃんと読むと40分くらいかかるでしょう。でも、現状認識を共有するには読んでおかねばなりません。我が社の社員として、知っておくべきことだけ厳選して書くようにしています。経営計画書とは少し異なる角度から現状、方針について書いています。できる限り、エビデンスも盛り込んである。たぶん「年頭にあたって」のほうがわかりやすいに違いありません。
わかりやすさという点では、僕のブログも今年から一新しようと考えています。仕事始めの後、たぶん1月10日以降になるでしょう。2006年1月から12年間、毎日エキサイトブログに書き続けてきましたが、引っ越しをする時期がやってきました。自社サイト内にブログを開設することになったのです。気持ち的にはアパート住まいから持ち家に引っ越すといった感じでしょうか? ちょっと違うな・・・。社宅に引っ越す気分かもしれません。
それはともかく、僕はメッセージを伝える方法をいくつか用意し、ツールごとに役割を持たせるようにしています。誰に対するメッセージかというと、もちろん我が社の社員に向けてのメッセージが一番多い。社外向けのような体裁で書いている文章も、実は社内向けだったりします。
さらに言うと、特定の個人向けに書いている文章も実は少なくありません。まどろっこしいことをせず、本人に向かって直接話せばよいことでもありますが、文章化するメリットがあると僕は思っているのです。
自分には他人と似た部分がある。同じ人間であれば、たいていの場合共通項を発見することができる。他人の短所や失敗を見て、「自分にも当てはまるな・・・」と感じることが多いものです。
これが同じ会社の同僚、上司、部下であったならどういうことになるか? もっと多くの共通項に気づくことになるのではないでしょうか。意識していなくても、入社後何年かたつと、たいていの人は自然に組織になじんでいくものです。小さな、あるいは少ない共通項だったものが、大きな共通項、たくさんの共通項になっていく・・・。自分とは全然違ったキャラクターであるはずの人であっても、ある瞬間「自分と同じものを持っている」ことに驚くことがある。そんな経験をしたことのある人もいるに違いありません。
僕はしょっちゅう・・・ですね。自分の分身ではないかと思うくらい、みんな僕にそっくりな一面を持っています。特に、自分そっくりな「ダメな部分」を見せられると、思わず「わかる!」と言いたくなってしまいます(実際には言いませんが)。
自分の相似形ではないかと思える人が、社内にはいっぱいいる。そして、ソーゴー印刷という法人もやはり「人」ですから、法人としてのソーゴー印刷も自分の相似形だと感じることがあります。我が社の社風、企業文化には自分そっくりな一面があるのです。
ですから、他社の人に比べると、我が社の社員にメッセージを伝えるほうがはるかに伝わりやすい。同じではないにせよ、通じ合える部分を必ず持っている。ただ、「通じ合える部分」が人によって異なっていますから、一方向から伝えるだけでは効果的に伝わらない。複数の伝え方を組み合わせなければなりません。
僕の場合は文章を多用しますから、読むことに関心の薄い人には伝わりにくいという弱点があります。今後チャレンジすべきなのはビデオメッセージかな? いずれにせよ、記録に残る伝え方を増やそうと思っています。それはさまざまな企業の記念誌を見ても感じることですし、偉人の記録をテレビで見ても感じること。記録されていると今の社員だけではなく、将来の社員にも伝えることができる。
僕が書くブログや社内報等の文章にしても、20年くらい続けることで価値が増すのではないかと思っています。
昨年末引退した、僕の会社用パソコンのキーボード。5、6年使っているうちに、「A」のキーがえぐれてしまいました。
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読みやすいかどうか
http://sogopt.exblog.jp/29075635/
2018-01-02T06:46:00+09:00
2018-01-02T06:46:59+09:00
2018-01-02T06:46:59+09:00
sogopt
写真
昨日読んだ本の片方はいともあっさり読了してしまいました。A5サイズ、120ページほど。軽くて薄い。文字数でいうと5万字に満たないのではないかと思います。これなら1時間半程度で読み終える。中身もちょっと薄いように感じましたが、1冊の本からひとつのメッセージを受け止めることができれば読んだ価値がある。たぶん、僕が求めているのはこうした本ではないかと思っています。
僕は本に対して読みやすさを求めています。読みやすさを優先するあまり中身が薄すぎるのは問題ですが、中身が濃すぎて読みにくくなるようではいけない。難しい中身であっても、読みやすく書き表すことが著者や編集者の務めではないかと思います。読者の知的レベルを試すような書き方をすべきではない。
まあ、僕は自分の知的レベルと照らし合わせながら本を選んでいるため、正直言うと読む気になる本が限定されてしまいます。必要があって、「ちょっとしんどいな・・・」と思う本も読むようにはしています。けれども、本当は読みながらわくわくする本、ページをめくらずにはおられない本を求めているのです。
手前味噌ですが、雑誌スロウの場合は割合いい線行っているのではないかと思います。大体僕の知的レベルに合っているというべきなのでしょうか?
このくらいのわかりやすい文章表現を用いて、ビジネス書を書き表すことはできないものか? そう考えて昨年発刊したのが「クナウこぞう文庫」です。
僕の文章はあまり褒められたものではありません。細かいところを見ると、欠陥をいくつも発見することができるでしょう。同じ表現が何度も出てきたり、文章の流れが悪かったり、唐突に話題が変わったりすることもある。それは僕の頭の構造がそのようになっているためであって、努力してもなかなか治るものではありません。
ただ、幸いなことに、僕の場合はボキャブラリーが豊富なほうではない。自分の頭の中にある辞書には、難解な言葉が載っていない。したがって、比較的平易な言葉で書き進めることができる。これは短所のようでもありますが、僕にとってはこれでよいと思っています。
パソコンで原稿を書き進めていくと、ふだんなら使わない漢字に変換されることがあるものです。「ありがとうございます」で十分伝わるのに「有り難う御座います」と書くこともできる。手書きなら、このようには書かないと思います。日本人がキーボードを使って文章を作成するようになってから、漢字と仮名のバランスが変になってしまった人が案外多い。
自分の書けない漢字を多用する。あるいはちゃんと意味をわかっていないのに自分の文章に使ってしまう。そうした文章を書いているうちに、自分の文章が自分のものではなくなってしまう・・・。そんな傾向が一部にはあるような気がしています。
スロウ編集部内では「漢字で表すか、ひらく(ひらがなにする)か」、ときどき議論されることがあります。これは一見小さな問題のように見えますが、ひらくかとじるかによって、雑誌の印象がずいぶん変わってしまうものです。編集部内では、一応統一表記のルールが定められています。ただ、これはあくまでも「一応」。厳格にルールを当てはめてしまうと、個人の持ち味が損なわれてしまうことがある。ある程度は個人の裁量に任されており、ここがスロウという雑誌の特徴のひとつではないかと思います。
僕自身、どうしても今の統一表記にはなじめないところがあります。たぶん、みんな納得できるところとできないところがあるはず。たとえば、僕の場合「おいしい」と「美味しい」は別物であって、統一させられると違和感を覚えてしまいます。ただ、同じ雑誌で表記があまりにも不統一だと、読者にとっては読みにくいに違いない。できる限り統一表記に合わせる。だが、どうしても譲れない部分は自分の表記にさせてもらうことがあります。
「技術レベルが高いかどうか」「洗練されているかどうか」よりも、「その人らしいかどうか」のほうが大事なのではないかと僕は考えています。
単行本にしても、編集者の手が入りすぎてしまって、その人の人間味が伝わってこない本が多いような気がしています。逆に、矛盾や誤用が各所に見られても、人間的で魅力的な本というものもある。僕はビジネス書であっても、後者のタイプの本を選ぶことが多い。
本は自分の知性を豊かにするものだと思いますが、同時に自分の人間味を増すためのものでもあるわけです。知的すぎる本を読むことに疲れてしまうようなら、人間味たっぷりの本と併読することが望ましい。疲れない本。それでいて、自分の求める情報が盛り込まれている本。それがビジネス書の本来あるべき姿なのではなかろうか?
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500年前と今
http://sogopt.exblog.jp/29071017/
2018-01-01T09:06:00+09:00
2018-01-01T09:06:11+09:00
2018-01-01T09:06:11+09:00
sogopt
経営
本年もよろしくお願いいたします。
大晦日の記録。朝は当社関係者分の住所録をまとめる。住所を移転した人、結婚した人が案外多い。9時、郵便ポストに投函。帰宅後は大掃除。といっても風呂と書斎の掃除を行った程度。僕の書斎は片付け甲斐がある。夕方近くまで活動するが、劇的にきれいになったとは言い難い。5時半、料理を作る。バナナ牛のステーキを焼く。M氏はバナナ牛のハンバーグ。今年こそ起きたまま新年を迎えようと思ったが、11時30分という時点で意識が遠のき、気づいたら元旦の朝になっていた。
元旦とはいっても、いつも通りの朝。これから新聞と本を読んで情報をインプットしようと思います。
今年は明治維新から150年。そして、北海道命名150年でもあります。単に節目の年という以上に、何か大きな分岐点となりそうな年。そんな予感がします。
世界的に見ると、大航海時代が始まったのがだいたい500年前。今朝の日経にも「グローバリゼーションの起源」と書いてありました。今起こっているさまざまな出来事は、500年前の相似形と解釈してもよいのではないかと思っています。
大航海時代の前に何があったのか? それは言うまでもなく、グーテンベルクによる活版印刷術。約560年前に活版印刷による情報革命が起こり、それが4、50年かかってヨーロッパ中に広がり、グローバリゼーションの大きなきっかけとなっていきました。
今は、インターネットによる情報革命。1995年あたりから急速に普及。2007年にはiPhoneが誕生し、情報端末はパソコンからスマホに主導権が移行。これにより、情報発信のやり方も大きく変わっていき、マスメディアからパーソナルメディアの時代になった。
一方、インターネットほど劇的ではないにしろ、交通や物流のほうもどんどん進歩していきました。ちょっと古い話で恐縮ですが、僕の学生時代には「チッキ」がまだありました。鉄道による手荷物輸送。友人の誰かが使っていた記憶があります。それが、卒業の頃(1985年)ともなると、荷物を送るのはヤマト運輸の宅急便に変わっていた。クール便をはじめ、各種サービスが誕生したのはそれ以降のこと。どんどん便利になっていきました。
海外旅行へ行くのも、以前は一大決心しなければ行けませんでしたが、今ではその気になれば誰でも気軽に行くことができます。1990年代は年2回ペースでいろんな国に行っていました。帯広にUターンしてからは北海道内だけでも興味が尽きることはなく、海外へ行く機会は減っています。代わりに、我が社の「Slow Life HOKKAIDO」の関係者が度々海外出張しています。ここではLCCの台頭が大きいですね。国内よりも海外の旅費のほうが安かったりしますから・・・。
そんなわけで、今は500年前の世界と同じような構図になっているのです。「活版印刷による情報革命+大航海時代」だったのが、「インターネット革命+グローバリゼーション」となった。
問題はこのあとなのではないかと思います。そうすると、今後世の中はどのように変わっていくのか? そのあたりについて、これから本を読むなどして勉強しようと思っているところです。少なくとも、今進行していると思われる第4次産業革命について、知っておかねばなりません。
僕は素人なのでいい加減なことを書いているのかもしれませんが、17世紀に科学革命があり、18世紀に第1次産業革命が興った。それは、15世紀の情報革命、大航海時代からずっとつながったものではないかと思っています。
今はインターネットによって瞬時に世界がつながってしまいます。昔なら数10年、あるいは100年単位で変化したものが、今では数ヵ月単位、あるいはもっと早く変わっていく。自分の頭のほうがまったく追いついていないというのに、世界のほうはどんどん変わっていってしまう・・・。したがって、細部だけ見てしまうと、何がどうなっているのかわからなくなる。僕の場合、ブロックチェーンといったものは、説明を聞いてもよくわからない世界です。わからないのに、そこに自分のお金をつぎ込む人の行動心理はさらにわからない。投資している人はわかっているのでしょうか? 不思議です。
情報革命、グローバリゼーション、産業革命。これらがほぼ同時進行しているのが現代。そこにはさまざまなチャンスがある一方、さまざまな落とし穴があると考えるべきでしょう。
500年前の大航海時代の後に訪れたのは、植民地主義の時代でした。昔は武力。今は経済力によって植民地とは呼ばれない新たな支配構造が生まれるのかもしれない・・・。ちょっと前まで僕はそう考えていたのですが、そう単純なものではないらしい。
メディアが「マス」から「パーソナル」に移行したのと同様、さまざまな技術やアイデアも個人が使いこなせるようになってきている。おまけに資金調達の仕方も大きく変わってきました。世界を動かすのは国も巨大企業でもなく、個人のアイデアだったりする・・・。そうしたダイナミックな変化の中で、地域企業はどのように変わっていくべきなのか? これから、たっぷり時間を使って考えます。
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2017年を振り返って
http://sogopt.exblog.jp/29064430/
2017-12-31T06:38:00+09:00
2017-12-31T06:38:47+09:00
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sogopt
経営
エバーノートに保存した名刺を一枚一枚たどっていくと、「あれは今年の出来事だったのか・・・」とちょっとした感慨を覚えます。1年たっていないのにずいぶん遠い昔のことのように思い出すこともあれば、昨日のことのように感じることもある。時間というものは自分の主観によってずいぶん違ったものに感じられるものです。
今年もずいぶんいろいろな方にお世話になりました。一番お世話になったのは、やはり我が社の人たちでしょうね。社外での活動に費やす時間が増えていく中、会社に出社する日がずいぶん減ってしまいました。自宅と会社との間は徒歩40秒だというのに、自宅にこもって原稿を書く日も多かった。僕がいてもいなくても会社はまわっていくわけですが、何となく心理的に距離が遠くなってしまわないか、ずっと気になっていました。来年はもう少し出社日を増やそうかな・・・と思っているところです。
その一方、テレワークにも対応できる会社にしていく必要がありますから、自宅にいながら社内と変わらない働き方ができることを実証してみたいとも考えています。具体的にはスカイプを使うわけですが、そのためには自宅書斎をきれいにしなければならないなぁ・・・。システム上の問題というよりも、僕の場合は5S上の問題が大きい。これも年末年始の課題のひとつですね。
今年、我が社の中では派手な動きも地味な動きもありました。「マレーシアでフリーマガジン発行」といった活動は、やはり目立ちやすいもの。書籍の発行やイベントの開催も同様に派手な動きとして捉えられやすい。
一方、地味な動きにも僕は注目するようにしています。たとえば、我が社の工場では、一歩ずつ環境に優しい製造方法に向けて改善が進んでいます。たとえば、ノンアルコール印刷の実現といった活動。こうした動きはどうやら上司からの指示ではなく、現場サイドで行われているらしい。自分たちで研究し、工夫し、成果を収めている。直接説明を聞かないとわからないことが多いのですが、素晴らしい活動だと僕は思っています。
できあがる印刷物には外見的な違いが見られないため、社内でも知らない人が多いのではないかと思います。AMスクリーン(網点)からFMスクリーンに変わったときも、印刷に詳しい一部の人しかわからなかったに違いありません。比べてみると違いがわかるものの、片方だけ見るとどちらもきれいな印刷物。テレビで言えば、4Kと8Kとの違いでしょうか。どちらも十分きれいに思えます。
これからの時代はノンアルコール印刷など、環境問題を意識した技術や製造工程の改善が進んでいくことでしょう。もうひとつには、「印刷の地産地消」といった考え方を地味に広げていきたいと考えています。
食べ物については、多くの人が地産地消を意識するようになってきています。たぶん、これはここ10数年くらいの間の変化でしょう。安全性と地域の経済循環。両面から地産地消が進んだのだと思います。
ならば、印刷物に限らず「工業製品の地産地消」とか「サービス産業の地産地消」も大いに考慮されるべきではないか? そう思うのです。
僕もネット通販を利用していますから、あまり「こうすべきだ」と主張することはできません。けれども、地産地消を意識することが大事であって、意識すれば行動の一部は変わっていくはずです。地元企業に発注したり、地元の小売店や飲食店を利用することで地域経済循環率は高まっていく。
工業製品についていえば、域外に発注すると製品の運搬に多くのCO2が排出されることになる。地元企業に発注することで、ある程度は排出量が減る。環境と地域経済循環について考えれば、できるだけ工業製品の地産地消を進めるべきではないでしょうか?
話がずいぶん逸れてしまいました。今年、たくさんの方々からいただいたの名刺をめくってみて感じたのは、地元愛の強い人や地域を何とかしようという使命感を持った人が多いということでした。企業経営者は自社を発展させるという使命が第一義。とはいえ、地域企業の場合は「自社だけで発展することはできない」わけです。地域の発展があってこそ、自社の発展がある。ほとんどの経営者はそのことに気づいていますから、必然的に地域貢献的な活動に関わっていくことになる。
社員の人たちも同様です。自分の人生を豊かにするには自社が豊かにならなければならない。したがって、「個人の発展」「自社の発展」「地域の発展」の3つはワンセットで考えるべきでしょう。どうしたら、それが実現できるのか? ずっと考えていて、ある程度は答が見えているけれども、まだ成果を手にすることができずにいる・・・。このことについて、たぶん今夜あたりから深く考えることになるのではないかと思います。
皆さん、今年もお世話になりました。よいお年をお迎えください。
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仕事納めにあたって
http://sogopt.exblog.jp/29050153/
2017-12-30T06:50:00+09:00
2017-12-30T06:50:36+09:00
2017-12-30T06:50:36+09:00
sogopt
我が社
我が社の年内の仕事はすべて終了しました。個人的にはまだいろいろ仕事が残っていますが、10日間あるので何とかなるでしょう。また、ペンキ塗りとカーペット貼りに尽力した人たちは、筋肉痛とともに起床することになるかもしれません。
今年は激動の一年でした。世界的にも国内的にも地域的にも大きな動きがありました。我が社も一部に大きな動きがありました。これが本当に我が社を変える動きになるのかどうか。それは来年の動き方次第。一歩踏み出したのですから、二歩目も踏み出さねばなりません。
激動するということは不安定になるということでもあります。変化を好む人にとってはおもしろい時代。けれども、全体的に見ると変化を好まない人のほうが多い。当然かもしれません。安心とか安定といった欲求を持つのは人間として自然なこと。そうした欲求をコントロールして、あえて一段上の成長した自分・自社を目指していくには高い目標を自ら掲げていなければなりません。成長意欲を強く持つと、変化を好む人となっていきます。
ただ、年末の掃除や社内美化の作業をしながら考えていたのは、安心・安定という誰もが持っているニーズに応えながら、成長・発展していかねばならないということ。その道筋を会社は社員の人たちに提示すべきであるわけです。
通常は経営指針(経営計画)によってその道筋を明らかにします。年1回、経営発表大会の場で発表し、全員で共有する。さらに、幹部会議などの機会を捉えて、確認したり修正を行っていく・・・。
それはそれでよいのですが、ここまで動きが激しいと、やはり不安を抱く人が出てくるのももっともなことではないかと思います。ただ、異業種の中にはもっと激しく変わり続けている企業があります。我が社は自分たちが考えるほど革新的というわけではありません。保守的な部分を残しながら、変わっていこうとしている会社ではないかと僕は捉えています。
そうした変わり方が我が社の場合は合っている。これまで長年働き続けてきてくれた人たちが安心して働ける場を確保しつつ、新しい仕事、新しいジャンルにチャレンジしていく。これまでも、これからもそうした業態変革を行っていくことになるでしょう。だから、安心して正月休みを過ごしていただきたいと思います。
会社で大掃除をすると、「リーダーシップを発揮する人」「黙々と作業する人」「フォローに回る人」「まわりでうろうろする人」のだいたい4タイプに分かれるものです。ちなみに僕はまわりでうろうろするタイプ。あまり戦力にはなりません。
いろいろなタイプの人がいるからこそバランスのとれた組織になる。全員がリーダーシップを発揮したら、たぶん作業は進まないでしょう。全員が共通の目標に向かって、自分にできることを行っていく。そうすれば、組織はちゃんと機能するものです。
これがたとえば、別な色のペンキを塗る・・・といった人が現れたりすると、組織はとたんに混乱することになってしまうわけです。我が社にも過去そうした出来事がなかったわけではありません。能力が高くても、組織全体の目指す方向に沿って力を発揮しなければ、力にならないだけではなく、混乱・対立を引き起こすことになる。能力の高い人ほど、自分の力の発揮の仕方には気をつける必要があります。
多くの人が望んでいるのは、きっとシンプルな働き方ではないかと思います。僕もそれを望んでいます。
それは、笑顔で明るく人の役に立つ仕事をすること。笑顔で明るく働くには、自分自身が明るく前向きである必要があります。そして、人間関係(特に家庭と社内)が良好でなければなりません。人の役に立つ仕事をするには、自分の専門分野における仕事力が欠かせません。そして、仕事を円滑に進めるためにコミュニケーション能力も必要です。
望んでいるものはシンプルなものであっても、それを手に入れるには相応の努力が欠かせません。個人の努力もそうですが、個人が努力しやすくなるような会社組織のあり方をもっと考える必要がある。ここが僕の年末年始に考えるべき最大のテーマといえそうです。昨日の大掃除のように、「全員が共通の目標に向かって進んでいく会社」にしていきたいと思っています。
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「個人の野望」と「理念・ビジョン」の関係
http://sogopt.exblog.jp/29018350/
2017-12-29T06:47:00+09:00
2017-12-29T06:47:03+09:00
2017-12-29T06:47:03+09:00
sogopt
経営
4月から始まった経営指針研究会。今期は3グループ18名でスタート。研究生はもちろんですが、サポーター役を務める経営指針委員会メンバーにとってもハードな年となりました。毎月行われる研究会にすべて参加すると、月3回夜10時まで発表&ディスカッション加わることとなる。
それでも委員の参加率は高い。メンバーの経営指針成文化のサポートをすることで得られるもの。それは異業種の経営者のアイデアであったり、自分にはない考え方が吸収できること。ディスカッションは本音に近いところで行われます。他の会では出てこないような深い話にもなる。
今月はクロスSWOT分析と経営方針の発表でした。発表者3名は後継者という立場。自社分析、外部環境分析という点では、的確にまとめ上げる能力が高い。SWOT分析から自社の採るべき戦略を導き出すのがクロスSWOT分析なのですが、戦略立案という点ではもう一歩大胆に踏み込みたいところ。創業者的な発想が求められますね。
僕も2代目なので、現状分析は的確だが、戦略立案に迷う・・・という心境はよく理解できます。油断すると「保守的な自分」が顔を出してくる。現状維持的な気持ちが強いと、当然ながら現状維持、あるいは現状よりも後退してしまうことになるでしょう。変化の激しい時代ですから、チャレンジし続けなければ現状維持すら危うい。後継者にとってはちょっと生きにくい時代です。
ディスカッションを通じて感じたのは、やはり「ビジョンをしっかり描くこと」が重要だということ。後継者の場合、「自分が本当にやりたいこととは異なる事業を継ぐ」というケースが多い。だから、自社に対する解釈を変えなければ、義務的な気持ちを抱えたまま経営することになってしまいます。社員の生活を守らなければ・・・といった気持ちが先に立つ。
それは間違いではないのだけれど、自分個人の生命力を弱めることになるのではないか? 自社を維持し、社員の生活を守りながら、経営者としての自己実現を果たす。そのためには「経営ビジョン」を明らかにすることが何より大切ですし、自分の「人生ビジョン」をしっかり描くことも求められる。自分の仕事人生では何を実現させたいのか? これが「自社の存続」だけではちょっとさびしい気がします。
僕は中座しましたが、ディスカッションの終盤部分は人生ビジョンの話になりました。結局、自分は何がしたいのか? 「何もない」という人はいないはず。社長でも社員でも無職の人でも、何かやりたいこと、成し遂げたいことがある。「ない」と思い込んでしまっている人は、もしかすると心の深いところで封印してしまっているのかもしれません。
自分個人の欲求を自社に持ち込んではいけない・・・。そんな考え方もあるとは思いますが、個人の欲求(強まると野望になる)を排除してしまうと、仕事が楽しくなくなるのではないかと思います。
業種、職種にもよりますが、自社、顧客、社会の利益につながるような欲求・野望であれば、どんどん自社に持ち込むべきではないか? ちょっと偏った考えかもしれませんが、僕はそう考えています。我が社では、個人の野望大歓迎というスタンスで事業展開しています。
個人的な欲求・野望は、自社の経営理念・ビジョンと照らし合わせてみれば、「やるべきかどうか」が簡単に判別できるのです。理念に沿っていて、それをやることで経営ビジョン実現に近づくと考えられる・・・。そんな新商品、新事業であれば、誰も反対する人はいません。
会社は、個人の持つ「斬新なアイデア」や「たくましい生命力」に期待しています。会社の中で自己表現でき、自己実現できる・・・。そんな会社が「いい会社」だと僕は考えています。ただ、何でもかんでもOKというわけではありません。自社、顧客、世の中の利益につながるものであること。その基準となるのが理念であり、ビジョンなのです。
自社(おもに経営者の役割)が大きな方向性を指し示し、個人がさまざまなアイデアを会社の持ち寄ってくる。そうした中から方針と戦略が生まれる。当たり障りのない業界人的なアイデアからは、新しいものは生まれてきません。
「くだらないアイデア」が飛び交うような社風を形成することが求められるでしょう。くだらなすぎるアイデアが飛び交うようになると、誰でも簡単に却下することができる。つまり、「却下」も飛び交う。そうすると、「却下されても傷つかない自分」になっていきますから、必然的にアイデアを出しやすくなっていくものです。我が社の場合、部署によって温度差があるものの、ある程度はくだらないアイデアが許容される雰囲気にはなっていると思います。会社が元気になるかどうかの秘訣は、そんな単純なところにあるような気がします。
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本の気持ち
http://sogopt.exblog.jp/29001782/
2017-12-28T08:06:00+09:00
2017-12-28T08:06:37+09:00
2017-12-28T08:06:37+09:00
sogopt
我が社
年末になると、時間が滝のように流れ落ちていくように感じますね。あと4日。年内の営業日も2日残すのみ。毎年のことですが、仕事が終わらない。そして、年賀状にはまだ手をつけていない。このまま大晦日を迎えることになるのでしょうか?
昨日は「本好きかどうか」というテーマで書きました。今朝は1文字減らして、「本気かどうか」について述べたいと思います。
我が社は長年印刷業を営んでおり、今後も印刷中心の会社であり続けるでしょう。しかし、これまでの歴史を振り返ると「文字・冊子に強い印刷会社」という伝統があります。商業出版事業を始める前から、出版との関わりの深い会社でした。
事実、自費出版事業に関しては古くから行われてきたはずです。僕の入社するはるか昔から事業化され、数多くの実績がある。そう考えると、本づくりのプロ集団と考えて差し支えありません。
したがって、我が社は全員、「本の気持ちがわかる人」でなければならない。僕はそう考えています。我が社においては、本の気持ちがわかる人=本気の人。そう言ってよいでしょう。
僕が入社したばかりの17年前には、本の気持ちがよくわかっていないという人もいました。今も本気なのかどうか怪しい人がいるかもしれません。
「本の気持ちって何?」と思われる人もいるでしょう。それは「ちゃんと一人前の本に仕上げてほしい」という気持ち。物である本に心はあるかと問われると、僕には怪しい答え方しかできません。けれども、「物にも心がある」と考えれば、物、とりわけ我が社の生み出す本に対して愛おしい気持ちがよりいっそう湧いてくるのではないかと思います。ですから、本にも心や気持ちがあると考えるべきなのです。
「ちゃんと一人前の本に仕上げてほしい」と本は願っています。けれども、17年前、我が社で作られていた冊子の中には、ちょっと疑問符のつくものがありました。文字主体の冊子なのにコート系の紙が使われている・・・。紙がピカピカしていて読みにくい本。あるいは、紙が横目になっている本もありました。紙の繊維が縦に流れているものを縦目(T目)、横だと横目(Y目)というのですが、横目になっている本はページをめくりにくいのです。
本好きな人ならすぐにわかること。17年前の我が社には本好きな人が今よりも少なかったのではないかと思われます。したがって、本気の人も少なかった。一部の本気の人が何とか本のクオリティを高めようと奮闘していた・・・。そんな状態にありました。
しゅんが軌道に乗り、スロウが創刊された頃から大きく変わっていったのではないかと思います。
スロウの場合、一冊190ページ。単行本の多くもそのくらいのページ数。分厚い本だと400ページを超えるものもある。頻繁にページをめくりながら読み進んでいくわけです。印刷のクオリティと並んで、紙質が非常に重要となってくる。横目になっていたらめくりにくい上にページを開きにくい。読んでいてストレスがたまってきます。本の気持ちになれば、そんなことは許されるはずはありません。
今ではそうした初歩的なミスはないはずです。当時より印刷の品質も高まりましたし、製本設備も新しくなりました。仕上がりの品質は十分満足なレベルに到達しています。
今後課題になるのはどのあたりかというと、文章、写真、デザインといったところでしょう。ここ10数年の間に大きく成長したジャンルですが、これから先さらに10年かけて圧倒的なクオリティにまで高めていくことが求められます。
それを求めているのは僕個人というよりも、「本」そのものが求めていると考えるべきでしょう。本というものは、「気」があるかどうかによって、存在価値がまるで違ってくるものです。
先代社長が自費出版事業についてこんなふうに表現していました。
「我々は単に印刷物を作っているのではなく、お客様の宝物を作っているのだ」
出版物の出来映えが悪ければ、単なる紙ゴミになってしまいます。逆に、素晴らしいものができれば、それは宝物になる。あるいはその人の人生を変えるきっかけにもなり得る。
人生を振り返ってみても、一冊の本によって道が開けたという経験を持つ人が少なくないはずです。「気」が込められた本をつくる。それが我が社の使命といえます。
そんなわけで、これから我が社は、普通の人を本好きな人に変えるだけのパワーを持った「本気のプロ集団」を目指していきます。よろしいでしょうか?
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本好きかどうか
http://sogopt.exblog.jp/28980807/
2017-12-27T07:06:00+09:00
2017-12-27T07:06:50+09:00
2017-12-27T07:06:50+09:00
sogopt
我が社
年末年始に読もうと思って本を何冊か購入しました。紙の本3冊、電子書籍3冊。「紙の本」って何だか変な言葉ですね。ただ「本」と書くことにします。電子書籍のほうは「床屋さんで順番を待っている間」みたいなシーンで読むためのもの。年末年始は本をじっくり読めるのがありがたい。ただ、読み始めてみて「はずれだった」と気づくこともありますから、もう数冊必要です。
たぶん、僕と同じように年末年始に本を読むという人は多いでしょうから、この時期に書籍の新聞広告を打つのは有効かもしれないと思いました。僕も気づくと書籍広告を熱心に読んでいる。クナウマガジンが新聞に広告を出すことはなさそうですが、何らかのPR方法を考えたほうがよいかもしれませんね。
こんなふうに書くと僕が読書家のように誤解されてしまいそうです。ハッキリ言うと僕は読書家ではなく、必要があって本を読むというタイプ。読書が好きだったのは小学校から高校にかけて。この時期だけ小説を読んでいました。といっても、ミステリーとSFのみ。読む作家も限られていました。ひとりの作家の本を全部読んだら、次の作家の本を読むといったスタイル。偏った読み方をしていたため、人生に役立ったのかどうかは不明です。
大学に入ると、伝記と写真集を読むようになりました。当時は写真集も読んでいましたね。写真を読む。これは写真を鑑賞する上では欠かせない。近年では、「読む写真」より「眺める写真」のほうが多くなってしまいました。僕の写真も「眺める系」のものが増えていると思います。
40歳以降は読む本の大半がビジネス書になりました。必要に迫られて・・・といった読み方です。本の中に求めている答が書かれていることは滅多になく、ヒントにすらならないことも多いのですが、それでも脳の一部が刺激を受け、ふだんぼんやり考えていることがつながるようになっていく。ですから、どんな本でも読んで無駄になるということはありません。たぶん、今年僕の書いた本2冊も、読んで無駄だったということにはならないでしょう。
僕の文章はできる限り平易な言葉で書くようにしています。なぜか? わかりやすさを心がけているという理由もありますが、それ以上に言えることは「平易な言葉以外知らない」ため。これは僕の弱点でもあります。けれども、伝えたいことを伝えることができるわけですから、さほど問題ではない。僕の本を読んで理解不能になる心配はまずないといってよいでしょう。
我が社には驚くべき読書家の人がいます。僕は詳しいことは知りませんが、何人かから聞いたことがあります。ある書店の経営者からも「すごい!」と聞いたことがある。その筋の人たちの間で有名なのだろうか? そのあたり、僕にはよくわかりません。
また、これとは別に数年前退職した人は、「1日1、2冊読んでいる」と話していました。僕からすると驚愕すべきスピード。ジャンルは小説限定。これがビジネス書だったら、すごいことになったかもしれないと思いました。
社内にはあと何人か、熱心な読書家がいるようです。僕は足元にも及ばない。僕の場合、表紙と前書きを読んだだけで読了(?)してしまう本も多数あります。どうしてこんな読みにくい文章を書くのだろう・・・。そう思ってしまった本の場合、なかなか最終ページにはたどり着きません。
読書家の人はどんな本の読み方をしているのだろう? ちょっと気になります。
「差し迫った必要があって読む人」と「楽しみや好奇心から読む人」の違いなのかもしれません。純粋に本を好きになる。僕の場合、そうした視点がちょっと欠けている。それは先週のクナウマガジン忘年会のプレゼント(本)交換会で気づいたことです。僕は本に対して「必要な情報」を求めますが、本好きな人は「知的好奇心を満たす情報」を求めているようです。
ビジネス書以外のジャンルの本を読んでみる。来年は読書の幅を広げてみようと思います。読んでみたいと思っているジャンルは「伝記」です。本によってはビジネス書と変わらないような内容になるでしょうが、伝記の場合、ビジネスの理論ではなく実践の記録が描かれている。ストーリー性もありますから、興味深く読むことができるに違いありません。
僕の読書量は社内の平均値またはちょっと上くらいでしょうか。仕事柄、できればみんな本好き、または読書家になってほしいと思います。「好き」のレベルが高まれば、自分たちのつくり出す本のレベルも上がっていくに違いありません。
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