ずっと長い間気にかかっていたものにようやく取りかかりました。ずっと気にかかりすぎていたのか、単に忘却力が発揮されたのか、ともかく、ついうっかり数ヶ月。1999年頃の作品の再プリントなのですが、別に面倒なことでもないのに本当にうっかりしていました。すみません、京都のIさん。
今日は土曜日ということもあって比較的平穏な一日。執筆の準備と写真セレクト、だいぶイメージはできてきた。もう一歩で、一気にアウトプットする態勢が整いそうだ。明日が勝負か?
気にかかることはいろいろあるものです。これを2つに分類すると、「身から出た錆」系と「降りかかる火の粉」系があると思います。僕の場合は前者が圧倒的に多いのですが、社内の他の人を見ていると、けっこう後者も多かったりします。そして、後者への対処の仕方によって、その人の人間性とか感性を垣間見る思いがします。いかなる状況でも前向きで謙虚さを持った人には尊敬します。僕からすると、本当に頭の下がるような感性の豊かさです。一人間として勉強になりますね。
そんな人生勉強をさりげなく社内でさせてもらってるわけです。きっと僕の知らないところで、いっぱいドラマがあるんだろうな・・・。
実は今日、東京の自費出版ライブラリーというところに一冊の本を返却した。借りていた本は「花発多風雨」というもので、大学時代の恩師の遺稿集。もう10数年前のものだが、なぜか読みたくなった。写真というものは結局、感性や人間性を磨くことに究極の到達点があるわけで、それをとことん教えてくれたのがK先生だった。その教えは片時も忘れていないつもりだったが、それでも現実世界の中で不純物がいっぱい混じってしまっていたようだ。不純物は定期的に濾過しなければならない。それが僕にとっては写真であり、原稿を書くエネルギーにつながっている気がする。
きっと、仕事に対して燃えている人は、仕事を通して感性や人間性を純化しているんだろうな、きっと。僕はそんなふうに確信しています。