高原淳sogo-p写真的業務日誌:経営指針2017
2017-04-18T06:18:59+09:00
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「月刊しゅん」、「northern style スロウ」を発行するソーゴー印刷(株)社長・高原淳の写真的業務日誌
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「激訳・経営指針成文化」完成間近
http://sogopt.exblog.jp/27735172/
2017-04-18T06:02:00+09:00
2017-04-18T06:18:59+09:00
2017-04-18T06:02:31+09:00
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経営指針2017
新入社員と19日、21日の講演。両方の資料をプレジで作成することに追われています。プレジは非常に便利なツールですが、まだ使い慣れていないところがあって、ときどき変な操作を行ってしまいます。まだ、キーノートを使っていた頃の癖が抜けない・・・。
さて、昨日までのブログはほぼ毎日「激訳・経営指針成文化」の文章でした。最後までたどり着きましたので、今日からは再び、毎朝2000字書き続けることになります。次の執筆テーマが決まったので、もしかしたら同じような形式で本の一部をブログに掲載する日々が続くことになるかもしれません。
文庫本「ある日突然社長になった人のための 激訳・経営指針成文化」ですが、昨日からどうやら製本作業に入ったようです。今日あたり、完成した本が見られるのでしょうか? 気になります。
この本の執筆は2月21日にスタートし、1ヵ月ちょっとで書き上げました。といっても、ずっと書き続けたわけではなく、10日間くらい書く暇のない期間があったり、1日で1万5千字書き進む日があったり・・・とまちまちでした。ちまちまよりはまちまちのほうがいいですね。仕事は他にもありますから、こうした書き方になるのはやむを得ません。できるだけ時間をブロック化すれば、執筆速度は上がっていくものです。
ビジネス書を書こうと思ったのは、実は7、8年ほど前の話。ずいぶん長くかかってしまいました。ちょうど次世代幹部養成塾が始まって1年くらいたってからのこと。毎回作成するテキストを一冊にまとめることはできないだろうかと思ったのです。
当時、テキストは毎回小冊子形式で配布していました。これにはものすごく労力がかかります。とても今の僕にはできません。毎回、人数分手作業で製本するうちに右手首がおかしくなる。1年分のテキストを一冊の本にまとめることができたら・・・。そう思ったのでした。
我が社の次世代幹部のために書いたテキストですが、一部手直しすれば一般向けのビジネス書になるのではないか? そんなふうに感じたのですが、実際にはすべて書き起こさねばならないと気づきました。次世代幹部養成塾はぜんぜん「一般向け」ではなかったのです。ただ、第1期から3期までのテキストは、何らかの形でまとめ上げて書籍にしたいと考えています。
そうこうしているうちに、僕は中小企業家同友会の中でとかち支部の経営指針委員長となり、昨年からは全道経営指針委員長になってしまいました。僕は根がスペシャリストタイプであるため、1テーマを掘り下げていくような役職には向いているようです。昨年から今年にかけて、同友会の中では経営指針成文化運動のスペシャリストとなりつつあります。気づくと、経営指針に関するブログの文章も多い。そんなことから、本にまとめようという気持ちになったわけです。
ブログやSNSでも情報発信はできるのですが、書籍という媒体が廃れるようなことは当面ないだろうと思っています。ビジネス書のようなものは電子書籍に置き換わるかもしれないと思っていた時期もありましたが、紙の本の価値は損なわれていないとわかりました。
数10冊の電子書籍を読んでの僕の感想は、「紙のほうが読みやすいな」ということでした。今後劇的に電子書籍端末が進歩するのかもしれませんが、紙と電子媒体とでは当分の間、紙の本が優位な状況が続くのではないかと思います。
その中でも、僕の場合は文庫か新書ですね。前にも書きましたが、僕が本を読むのは移動中が圧倒的に多い。ハードカバーの本は持ち歩く気になりません。軽ければ軽いほどいい。そして、1時間半で読み切ることのできるボリュームが最適。1時間半というのは帯広から羽田までの搭乗時間。飛行機の中が一番読書に向いているのです。次が帯広・札幌間のJRかバス。片道で1冊読むことができれば、有意義な時間の過ごし方といえるでしょう。
どんなにSNSが便利でも、「体系的にまとまった考え」をインプットするには、インターネットは向いていないような気がします。断片を自分の頭の中で再構成することは可能でも、筆者のメッセージが意図通り伝わらないことが多いのではなかろうか?
その点、書籍の場合、まとまった考えを伝えやすい。これは実際に一冊まとめてみて感じたことです。メッセージの断片を毎日伝え続けるのがブログやSNS。情報発信という点では同じであっても、求められる機能が異なるのです。
地方発の雑誌はずいぶん増えてきました。雑誌全体が低調である中、地域雑誌が台頭しつつあることを感じています。一方、書籍のほうはどうかというと、観光関連を除けば、東京の出版社から発行される本が大半を占めています。自費出版を除けば、地方発の本は非常に少ない。
それゆえに、地方発の書籍には大きな可能性が秘められているのではないかと僕は考えています。
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57.「労使見解」の今日的意義について考える
http://sogopt.exblog.jp/27732089/
2017-04-17T04:48:00+09:00
2017-04-17T04:48:54+09:00
2017-04-17T04:48:54+09:00
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経営指針2017
新入社員に限らず、学生にも若手社員の人たちにも繰り返し伝えていきたいメッセージがあります。それは「働くことの意味と価値」というテーマ。社会人になった際(あるいはなる前)、誰しも一度は考えること。ところが、一度さらりと考えただけで、考えることを深めないまま現実に自分を埋没させてしまう人が多いのではないかと想像しています。
それで十分に力を発揮できるようならOKだと思います。けれども、僕の場合はそうではなかった。「何のために働くのか?」「自分の仕事にはどんな意味があるのか?」といったことを考えずにはおられません。誰かから指図されたから働く・・・というのでは、力を発揮することができないのです。
我が社に入社する人の多くは、「何かを作りたい、生み出したい」と思っているはずです。新たな価値を生み出すことで自分を成長させていきたいという欲求を持っています。そうした人に考えてほしいことは、「その本質的な意味は何なのか」ということ。一般的な答えを求めるのは簡単ですが、ぜひ「自分だけの答え」を発見してほしいと思っています。
一人ひとり与えられた才能には違いがあるものです。同様に、我が社には我が社にだけ与えられた特別な使命や役割がある。自分の才能を特別な使命のために発揮することができれば、かつて味わったことのないような充実感が得られることでしょう。会社と個人とのマッチングを図っていくことも、新入社員研修の目的のひとつです。
57.「労使見解」の今日的意義について考える
釧路で全道経営指針委員会道東ブロック会議が行われた際、委員のひとりから「労使って言葉、あまり使いたくないなぁ」といった発言が出てきました。僕も心情的には同感。労使という言葉にはどうしても上下関係意識を感じてしまいます。当時としては他に置き換える言葉がなかった。それだけの理由でしょう。そのことは「労使見解」全文を読むとよくわかります。
労使見解(中小企業家同友会全国協議会)
https://www.doyu.jp/material/doc/roushi1.html
1975年に発表された労使見解から40年以上たつというのに、世界はまだまだ「対等」にはなっていません。それどころか、バブル崩壊以降、「一億総中流」といわれた日本社会で「格差」が拡大。中間所得者層が減少し、貧困層が増えていくという困った現実にぶつかっています。
大企業と中小企業の格差については労使見解の中でも触れられています。40年前も今も、中小企業の抱える問題の本質は変わりないのです。
そんな中、ひとつの希望を見いだすとすれば、人々の価値観が大きく変わってきたことでしょう。2011年の東日本大震災がひとつの転換点だったと思います。一人ひとり、自分の生き方を真剣に見直すようになっていきました。
大企業の中で経済的豊かさを手に入れても、満ち足りない思いを持つ人が増えてきました。経済的豊かさから精神的豊かさへ。以前であれば、精神的豊かさを得るために「旅行」や「ボランティア活動」を行うのが普通でしたが、さらに一歩踏み出し、移住や起業という道を選ぶ人も現れています。年収が大幅にダウンすることを覚悟の上での行動。少しずつではあるものの、「古い価値観にとらわれないユニークな人」が地方に増えつつあるようです。
ある講演会の中で、「中小企業は中小なのではなく、地域企業なのだ」という話を聴きました。規模の大小は別として、地域の発展のために事業を営み、地元の精神、経済、文化の発展に貢献しようとするのが地域企業です。これは一部の大企業を除き、味わうことのできない「働く喜び」ではないかと僕は考えています。
帯広にUターンし、社長になってからというもの、毎日のように「仕事とは何なのだろう?」と考え続けてきました。仕事は単なる「労働」であるべきではないし、ましてや「苦役」であってはなりません。自分がこれまで仕事を楽しんできたように、「楽しい」「おもしろい」という感覚を社員にも味わってほしいと願っています。
当然、仕事には厳しい側面もあります。困難や逆境も含めての「楽しい」です。仕事の本当の楽しさやおもしろさ、そして自分や自社の本当の価値に気づくこと。
そのきっかけとなるものが経営指針であり、その成文化と実践をこれからも多くの経営者に伝えていきたいと考えています。
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56.「対等」という価値観
http://sogopt.exblog.jp/27729203/
2017-04-16T04:40:00+09:00
2017-04-16T04:39:59+09:00
2017-04-16T04:39:59+09:00
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経営指針2017
今年の4月はいつもとちょっと違っています。気温がやけに高い。窓全開で仕事をしていましたが、それでもホットに感じ、半袖に着替えたほど。もう一つの違いは例年よりも仕事に追われているという点。4月も半分過ぎているというのに、まだ社内での新入社員研修が始まっていません。明日から開始予定ではありますが、ずいぶんイレギュラーなことです。
明日からの新入社員研修では、我が社の価値観から伝えていくことになるでしょう。我が社の価値観には創業当時から脈々と受け継がれているものと、僕が跡を継いでから加えていったものとがあります。僕自身、自社の価値観に自分の価値観をなじませようと努力してきました。しかし、なじむだけでは組織の発展はないと思い、新たな価値観を加えようと10数年取り組んできたわけです。
なじみながら付け加え、融合させてきた。その結果、どれが「脈々」で、どれが「加えていったもの」なのか、わからない人が多いかもしれません。違いはわからなくてもOK。今の我が社の価値観をそのまま受け入れてもらうことが大切です。
人間はそれぞれ個性を持った存在ですから、価値観も一人ひとり異なっています。自分の価値観を無理に変える必要はありません。けれども組織の一員のとして働く限りは、組織の価値観に自分の価値観をなじませる必要がある。これは自分の信条を曲げて働くという意味ではなく、自分の新たな能力や可能性を発見するために、価値観が一部異なっていても柔軟に受け入れてみるということ。このあたり、ちゃんと伝わる人と伝わらない人とがいます。
価値観が根本的に異なっているという人が入社しないよう、面接の場では「それぞれの価値観」について話し合うようにしています。我が社の価値観については、入社前に説明していますが、それをさらに深く伝えていくのが新入社員研修の場。6つある基本的価値観のうち、もっとも重要な「対等」については、新入社員に限らずあらゆる場面で伝え続けなければなりません。
56.「対等」という価値観
もう一度改めて「対等」という価値観について考えてみたいと思います。
本書のテーマから外れる部分もあるかもしれませんが、僕個人としては経営指針と密接に関係しているのではないかと考えています。
そもそも、会社組織を上下関係として捉え、上司の指示命令によって社員を動かしていこうと考えたならば、経営指針の成文化も実践も不要といってよいのではないかと思います。単に、目標と達成の道筋を示すだけでよいのです。
経営指針は「経営理念」「10年ビジョン」「経営方針」「経営計画」の4つで構成されています。全社員が共有し、力を合わせることでビジョンに近づいていき、個人の成長や自己実現にもつながっていくという考え方。
経営者が幹部を従わせ、幹部が部下を手足のように使うような組織には経営指針はなじみません。経営指針は「対等」という価値観がベースに合ってこそ、有効に機能するものなのではないかと思うのです。
しかし、「経営者と社員は対等ではない」と考えている経営者も少なくありません。また、社員の中にも「対等とはいえないのではないか」と考える人がいることでしょう。
対等ではないと考える人の理由のひとつは、「社長は社員とは比較にならないほど大きなリスクを背負っている」というものです。心情的には理解できます。しかし、程度の差はあれ、社長も社員も自社がなくなったら大きなダメージを受けるという点で変わりはありません。覚悟を決めて社長になった以上、大きな責任を背負うのは当たり前と考えるべきであって、責任の大きさの違いを対等ではない理由にすべきではありません。
対等ではない状況がひとつあるとすれば、「依存タイプの社員」の存在でしょう。新入社員はしばらくの間、「依存」というレベルから少しずつ成長してきます。成長のスピードには個人差がありますから、会社としてはある程度長い目でみるようにするのが普通です。ところが、5年も10年も依存レベルであっては困りもの。会社は「自立した人の集まり」だからこそ、成果を生み出すことができるのです。
たまに、「対等という価値観はいいですね」と面接した学生さんから好意的に評価されることがあります。そんなときは「対等とは厳しいもの」という現実を伝えるようにしています。社会人、仕事人として自立していなければ、組織の中に自分の居場所はない。自分は「補助的な仕事ができればいい」という人は、残念ながら当社社員になることはできません。
今後、よくも悪くも仕事がロボットに置き換わっていくでしょうから、単純労働者は次第に減少していくことになります。会社はできる限り教育の場を提供しますが、それ以上に個人が高い自己成長意欲を持っていなければなりません。
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55.教育の機会を自分にも社員にも与える
http://sogopt.exblog.jp/27726544/
2017-04-15T06:15:00+09:00
2017-04-15T06:15:51+09:00
2017-04-15T06:15:51+09:00
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経営指針2017
昨日はとある老舗企業の取材でした。長い歴史を持つ企業からは学ぶべきものが数多くあります。経営理念や家訓のようなものに目を向けることが多いのですが、昨日は少し違った観点から話を伺っていました(取材したのはK氏でしたが)。
一番商品とそのデザイン。ここに圧倒的な強みを持つ会社でした。一番商品が創業以来ずっと変わらない。この事実ひとつをとってみても驚きです。飛び抜けた商品力。今日のパッケージの原型ができたのは戦後のことですが、卓越したデザイン力があって、時代を超えて人々を引きつける何かがある。こういう商品というものは、これから先、生まれることがあるのでしょうか? 僕には考えられません。
オリジナルのデザインに圧倒的なインパクトがあるため、その後は微調整レベルの変更を重ね、今日に至っています。ここが老舗企業らしい。表現が適切なのかわかりませんが、ゆとりのようなものを感じさせます。商品に自信がなければ、ガラリと変えてしまうのではないかと思うのです。
雑誌の世界でも、たまにありますね。創刊号から何年かたつとガラリと変わってしまう雑誌。近年、そうした雑誌は見かけませんが・・・。
老舗企業ともなると現社長でもわからないような謎をたくさん抱えることになります。その謎を解明するのが実は古参の社員だったりすることもある。昨日はそのような話も出てきて、非常に興味深く聴いていました。本当はすべて資料として残っているとよいのですが、資料を残すことが仕事ではありませんから、どうしても埋もれてしまう事実がある。数多くの謎は、商品を引き立てるための隠し味のようなものなのかもしれません。
B to Cのビジネスの場合はパッケージデザインが重要な意味を持つわけですが、B to Bの場合はどうなのか? 僕は「会社の見え方」がデザインと同じくらいの重要度を持っているのではないかと考えています。
会社の見え方の最たるものは、「人の見え方」。会社にはそれぞれ独特の雰囲気がありますから、長年ひとつの会社に勤めていると「その会社の人らしさ」というものが身についてくるものです。ちゃんとした会社であれば、ちゃんとした人になっていく(例外もあるでしょうが)。ちゃんとした人になるには教育が欠かせません。つまり、会社の見え方は「教育システム」と「人が育つ社風」にかかっているのではないかと思います。
55.教育の機会を自分にも社員にも与える
もしも、社員が自分の子供だったとしたらどうでしょう。
「最高の教育の場を与えたい」
そう思いませんか?
会社と社員の関係は「超契約関係」であり、理屈を超えた疑似家族関係を築いている……。そう考えるならば、会社としてできる限りの教育を行いたいと考えるのは自然な結論といえるでしょう。
そんな考え方を持つ会社ですから、「超契約関係」を望んでいない人が入社すると、たまに困った事態に発展することがあります。
「なぜ、外部研修に行かねばならないのか?」
「なぜ、仕事でもないのに会社の食事会に参加しなければならないのか?」
そんなふうに考える社員もたまにいるのです。超契約関係の「超」の部分は就業規則に載っていませんから、かたくなに拒否されてしまうと、それ以上何ともいえません。
それでも、親が子供の成長を願ったり、家族関係を大事に考えるのと同様、経営者は社員の成長と良好な人間関係を願っているものです。個人の成長の場と好ましい社風。両方が揃ってこそ、充実した仕事人生を送ることができる。何を持って自己実現というのかは人それぞれでしょうが、僕は会社に勤務しながらでも十分に自己実現することができるのではないかと考えています。
会社組織があって、実際に会社員になる人が多い。それには理由があります。会社に勤めることで生活が安定するという消極的理由だけではありません。
成長の場が提供される。よき師匠や先輩と出会うことができる。切磋琢磨して成長し合える同僚がいる。仲間と協力しながら、自分ひとりでは実現できない仕事を成し遂げられる。組織のリーダーになれば、より大きな仕事にチャレンジすることができる。他にもさまざまなメリットがあるでしょう。
誰もが大きな期待を選んで自社に入社してきます。社員に対して「利益を生み出す道具」という意識を持った経営者がいたとしたら、その会社はブラック企業といってよいでしょう。
やる気のある人には等しくチャンスがあり、どの社員にも教育の場が用意されている……。そのことを経営指針書には明記すべきですし、経営者が率先して教育活動に取り組んでいくことが大切です。
中小企業家同友会では、「教育」ではなく「共育」という言葉を使います。教育に熱心になればなるほど、経営者も育てられていくものです。
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54.「写真=経営」と知って自由を得る
http://sogopt.exblog.jp/27723724/
2017-04-14T05:01:00+09:00
2017-04-14T05:01:34+09:00
2017-04-14T05:01:34+09:00
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経営指針2017
やはり、ここでも我が社と同じようなことが起こっていました。数10年前のことなのに、詳しいことを知る人がいない、当時の記録が残っていないという現象。数10年前の人にとっては、数10年前の「今」が一番大切であるわけです。後世の人々のために記録にとどめておこうと考える人は少ないのが当たり前。ですから、わずか数10年前であっても、事実関係の確認に苦労することが非常に多い。
記録に残す。これは非常に重要な仕事です。今、目の前の仕事を成し遂げる。これが第一の仕事ではありますが、それと同じくらいの重要度と考えるべきでしょう。人の記憶は曖昧なものですし、記憶を持つ人がこの世から去ってしまうと、あとは記録だけが頼りとなります。
我が社の経営理念の通り、「記録する」という仕事を大切にせねばなりません。記録が残っている、歴史がわかるということは、紛れもなく「心の豊かさ」につながっていくのです。これを自分、家族、会社、地域、日本、世界と広げていくことができれば、相当な豊かさを手に入れたことになる。
記録にとどめる努力と歴史を掘り起こす努力。この両方が求められますね。我が社の場合は、さらに歴史を伝える努力が求められているはずです。
個人のコア・コンピタンスについても、「今の能力」を見つめるだけでは不十分なのではないかと僕は考えています。自分史年表を作るのが一番よいのですが、年表を作るまでもなく、ずっと自分の中で中心に位置し続けている「核となる能力」があるのではないか、と考えてみるとよいでしょう。僕の場合は、それが写真でした。40年間ずっと不動のポジション。
近年では写真を撮るより、文章を書く時間のほうが圧倒的に長いのですが、中心は写真。そして、僕の思考のプロセスは撮影の手順とほぼ一緒です。写真的思考を持ち続けていることが、僕にとっては写真がコア・バリューである最大の理由といえます。
自社のコア・コンピタンスにしても、社史が大きく作用していると考えるべきです。自社が今の能力を持つに至った背景には、必ず過去の歴史や伝統が存在しています。急に身についた能力はコア・バリューにはならない。例外もあるかもしれませんが、僕はそのように考えています。
54.「写真=経営」と知って自由を得る
僕の個人のコア・コンピタンスを図に表すと、次のようなものになります。中心にあるのが「コア・バリュー」。それを取り囲むように「周辺バリュー」があります。
僕のコア・バリューはここ40年間、ずっと一貫して「写真力」でした。写真表現力といった具合に言葉が加えられることもありますが、とにかく「写真」以外の要素が入り込む余地はありません。
ところが、あるとき自分でも驚く発見があったのです。
もう10年以上前のこと、ふと「写真の定義」について考えていました。僕が気に入っている定義は、こういうものです。
「写真とは、混沌とした世界の中から秩序を見いだすこと」
僕は40年間、そのような視点から世界を見て、カメラを向けてきたのです。
「これって、企業経営とまったく同じではないか?」
そう気づいた瞬間、ぱっと目の前が明るくなるのを感じました。風景が自分のまわりに360度広がっているのと同様、自社のまわりにも360度広がっている。そんなイメージが湧いてきました。
個人には職業選択の自由があって、それで僕はフォトグラファーになった。誰かから無理強いされたわけではありません。同じように、ソーゴー印刷も好きで印刷業を始めたわけです。360度広がる世界の中から、「印刷」という一事業に焦点を合わせ、今は「出版」「広告・マーケティング」という事業にフレームを合わせているのです。
これはフォトグラファーがファインダーをのぞいてフレーミングするとほとんど同じこと。何を見るか、どの範囲で風景を切り取るか? それによってビジネスという名の作品の出来不出来が決まってくる。
僕は勝手ながら「写真力=経営力」という個人的定義付けを行い、コア・バリューに掲げることとしました。それによって、何を得たか? 一番大きかったのは「気持ち的に自由になった」という点。もう、二足のわらじではなくなったのです。
個人のコア・コンピタンスには不思議な力があります。人材育成には会社ごとさまざまなやり方があると思いますが、当社は「個人のコア・コンピタンス」をメインに据えて、キャリアプランを立てるようにしています。
(「53.「いかに恵まれているかを知る」は書籍版にのみ掲載します)
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52.忍耐力と超法規的解釈
http://sogopt.exblog.jp/27720773/
2017-04-13T01:38:00+09:00
2017-04-14T04:22:34+09:00
2017-04-13T01:38:33+09:00
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経営指針2017
というわけで、働き方改革とは真逆をいくような一日となりました。せめて往復のJRで眠ることができればよかったのですが、僕の場合、列車の中でちゃんと睡眠を確保できたためしがない。座席の形状が僕の体にマッチしていないようなのです。無理に眠ろうとすると筋を違えたりします。
乗り物の中で睡眠を確保できるのは、乗用車、飛行機、フェリー、バス、列車という順番。座席の形状とやわらかさ。あとは揺れ具合も影響します。
企業経営においても、うまくくつろげなかったり、筋違いと思われるようなトラブルが発生するものです。ときには社内が大きく揺れるようなこともある。
「激訳・経営指針成文化」の中では「超法規的解釈」という言い回しを使ってしまいました。もちろん望ましいことではありませんが、何年かに一度はそのような解釈が求められるようなことが起こりうる。
エゴグラムで言えば、ルールに厳格なCPの高すぎる人には理解できない解釈かもしれません。僕はAとACが高いタイプ。中長期的に損か得かを考えると同時に、相手の身に置き換えて物事を判断することが多い。そのことにより個人的にものすごく苦労することになっても、あるいは個人的に損失を被っても致し方ないと考える傾向にあります。会社的には許されませんが、今のところ、自分個人としてカバーできる範囲であればよいのではないかと思っています。
「今のところ」と書いたのは、超法規的解釈をしなくても済むような組織にしていかなければならないと考えているからです。未熟な組織のまま、次世代にバトンタッチするわけにはいきません。ここ数年のうちに、しっかり整備しなければ・・・。眠るに眠れない列車の中でぼんやりとそんなことを考えていました。
52.忍耐力と超法規的解釈
僕はソーゴー印刷の社長になって16年たちました。本当は企業文化の完成に向けて仕上げに取りかかるべき時期なのかもしれません。けれども、実態としてはまだまだトライ&エラーの繰り返しです。困った出来事もときどき発生しますし、ビックリするほどいい出来事が起こることもある。浮かれたり騒いだりしていては身が持たないというのが正直な気持ち。僕は感情表現力の乏しいタイプであるため、何となく冷静沈着であるかのように誤解されることがありますが、実は日々心は揺れ動いています。
最近わかったことは、「おおらかな心にならなければ、オーラが出ない」ということですね。僕を見てオーラを感じる人はきっと少ないでしょう。まだまだ忍耐力が足りないのです。
ただ、そのような僕に超法規的解釈を行うという能力があるようです。普通であれば許されないようなことを許してしまうことがある。これは企業経営者として正しいとは思えないのですが、人間として正しいかどうかを優先して考えるようにしています。
経営指針原理主義(そんな言葉はありませんが)にとらわれてしまうと、過度に社員を追い詰めたり、個人の特殊事情を無視するようなことがたまに起こります。繰り返し述べてきた通り、経営指針に完成はなく、どんなにリニューアルを重ねても「永遠に不完全なもの」と言えます。
ですから、経営指針は会社にとって憲法や法律のようなものではあるのですが、その運用にあたっては杓子定規であってはいけないのではないかと思うのです。このあたり、きっと異論があるでしょう。あくまでもこれは僕の個人的な考えです。
こうした僕の考え方は、当社経営計画書「経営目的」の中に少しだけ触れられています。
「会社と社員との関係は、単なる『雇用契約』による関係なのではなくて、『超契約関係』なのです。理屈を超えた疑似家族関係を築き、ある種の同志的・運命的な関係をつくりだしています」
家族も「勘当」すれば家族関係を断ち切ることはできるでしょうが、よほどのことがない限りは家族であり続けます。我が社もよほどのことがない限り、会社側から縁を切ることはありません。このため、どうしても超法規的解釈が増える。そして、「おおらかな心を持つ」ことが求められる。きっと当社社員も同じように、僕のことを許してくれているのでしょう。社長らしくない社長の会社に勤め続けるには、それなりの忍耐力が欠かせないはず。少しだけ同情します(笑)。
(「51.「いかに恵まれているかを知る」は書籍版にのみ掲載します)
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50.重い車輪が回り出すと軽くはなるが……
http://sogopt.exblog.jp/27718130/
2017-04-12T05:15:00+09:00
2017-04-12T05:15:26+09:00
2017-04-12T05:15:26+09:00
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経営指針2017
ともかく下版にまでこぎ着けました。本のタイトルは「ある日突然社長になった人のための 劇訳・経営指針成文化」。僕としては初めて執筆したビジネス書。写真集以外の出版物としても、電子書籍を除けば初となる。過去に「月刊しゅんのエリアマーケティング」という小冊子を出したことはありましたが・・・。
今年の2月21日から書き始め、1ヵ月ちょっとで書き終えました。校正作業に10日ほど。デッドラインを決めると何とかなるものですね。「この日までにできていなければ大変なことになる」という日を設定すれば、たいていの場合、仕事のスピードは上がっていく。
ビジネス書を書くのも初めてなら、1冊の本を書き下ろすのも初めて。今期期首に立てた個人目標はこれで達成されることになります。「ビジネス書の出版」という目標。今期はあと半年残っていますから、目標を上方修正する必要があります。もう1冊つくってみようと思っています。今度は僕の執筆ではなく、誰かの出版のアシスト。誰に書いてもらうかが課題ではありますが。
本を書き上げるのは大変なことのように思えますが、書き終えてみると「ふだんの仕事に少し負荷をかけるだけ」だとわかりました。僕の中では「重い車輪がひとまわりした」という感覚。15年前、初めて経営指針を成文化したときに近いものがあります。この感覚が残っているうちに、2冊目に着手せねばなりません。
50.重い車輪が回り出すと軽くはなるが……
経営指針成文化の1年目は「重く感じる」かもしれません。成文化するのも大変ですし、それを社内で発表するのも一苦労です。PDCAを回すの楽ではないでしょう。
そうして、経営指針成文化の2年目がやってきます。2年目はどう感じるのかというと、「1年目の半分くらいの重さ」と感じるのではないでしょうか? 僕の場合はそんな感想を抱きました。1年目に安易につくった人は、むしろ2年目のほうが苦労するかもしれません。けれども、3年目、4年目と繰り返し見直していくにしたがって、少しずつ軽く感じることに気づくでしょう。
どんなに重い車輪であっても、ひとたび転がり出すと力は数分の一で足りるようになっていくのです。
しかし、「ここで力を抜いてはいけない」と気づくことが大切です。経営指針を少し手直しする程度であれば、経営指針づくりどんどん楽になっていくもの。しかし、世の中は留まることなく変化しています。自社の採るべき道も1年前とは違っているかもしれません。
僕は「軽さ」のようなものを感じつつ、「このままではいけない」と思うようになりました。
当社の経営指針が自社らしくなってきたと感じ始めた2009年、僕は思いきって「次世代幹部養成塾」という社内勉強会をスタートすることにしました。それまでも社内勉強会はさまざまな形で行われていて、僕もときどき講師役を務めていたのですが、もっと目的を明確にした勉強会の場をつくろうと思ったのです。
文字通り、次世代の幹部を養成するための勉強会。しかし、それ以上に重要な目的がありました。それは「後継者候補を育成する」というもの。これまで通り、経営指針を成文化し、PDCAを回していくだけでは、後継候補は育つものではない。経営者の視点、ものの見方や考え方を伝えていかねば……。僕自身、経営者として未熟であることは重々承知していますが、タイミングは今しかないと思ったのです。
月2回の早朝勉強会。毎回テキストを作成し、経営者・幹部に必要な知識とマインドを伝えていく。これは僕にとってとても「重たい車輪」に感じられました。
経営者や幹部が行うべきもっとも重要な仕事は、「できる人財を育成する」ことです。経営者や幹部が自ら仕事を片付けていくようではいけない。それは部下の成長を妨害しているのと同じ。幹部は部下の指導とサポートにまわるべきですし、経営者は「自社はこの方向でよいのか?」と自問自答するのが仕事。もちろん、プレイングマネージャーとして現場に立つことも必要ですが、部下から仕事を奪うのは厳禁です。
僕はまだまだ現役で働き続けるつもりです。しかし、10年かけて交代可能な状態をつくりだそうと考えるようになりました。
(「48.全員参加型のお祭りにする」「49.経営発表大会後に行うべきこと」は書籍版にのみ掲載します)
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47.大事なのは「正論」よりも「ストーリー」
http://sogopt.exblog.jp/27715187/
2017-04-11T05:50:00+09:00
2017-04-11T05:50:41+09:00
2017-04-11T05:50:41+09:00
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経営指針2017
ストーリー性が大事・・・というのはよく言われることだと思います。ストーリー性のある商品とない商品とでは、品質、性能が同じでも付加価値に大きな違いが生まれるもの。
このため、かなり無理をしてストーリーを作っている商品も世の中には存在します。消費者の立場でそうした商品を見ると、無理なストーリーにはあまり魅力を感じないものです。
ストーリーの中でもっとも強力なものは何か? 人によって違いはあると思いますが、僕の場合は「人生」と深く絡み合ったストーリーにもっとも惹かれます。この場合のストーリーは必ずしも波瀾万丈である必要はありません。時間の経過とともに変わっていく自然な姿。それを知るだけでも、十分にストーリーを感じ取ることができる。無理に語らなくても伝わってくるのです。
取材者である僕らは、それを自然体で受け止めて自分の人生観と照らし合わせながら言葉や写真に表していけばよいのだと思います。時間というのは不思議なもの。「素材」がよければ、無理に力を入れなくても魅力的なストーリーを生み出してくれるものです。
一昨日、我が家で昨年漬けた梅漬けを初めて味わいました。市販の梅漬けでは味わえない特別な味。自宅の梅から収穫された実を使っており、しかもこの木には特別なストーリーがあるからです。今年も昨年同様、実をつけてくれるだろうか? 気になります。
企業の社歴にも当然ながらストーリーがあるものです。組織の場合、ストーリーは重層的に絡み合っていて容易に語ることができないこともある。それでもストーリー化して次世代に伝えていかねばなりません。全体の流れを経営者は知っていなければなりませんし、さまざまなエピソードについては、知っている人が記録にとどめておくべきでしょう。
エピソードはいつの間にか消えてしまうものもあるのですが、できれば社内報などに記録しておくことが望ましい。社史に残すほどではない小さな出来事であっても、我が社らしいエピソードというものが山ほどあるものです。そうしたエピソードが積み重なって「我が社らしさ」がつくりあげられている。全体としてのストーリーと細部のエピソード。どちらも大切です。
47.大事なのは「正論」よりも「ストーリー」
僕は、指示命令系統がしっかりしていて統率がとれているだけでは、会社組織は発展しないのではないかと考えています。
世の中が急速に変化し、科学技術も消費者ニーズも人々の価値観も激変してています。そんな中、企業が成長・発展していくためには、「個人」にもっと目を向けるべきです。社長のアイデアだけでユニークな事業活動を行うことはほぼ不可能。ベテラン、中堅、若手、新入社員、至るところからアイデアが湧いてくるような組織が理想です。
個人のアイデアを尊重する企業文化を形成していく上で、何より重要なのが「経営指針の浸透」でしょう。自社は何を大切にし、どのような方向へ向かっていくのか? それを全社員共有することができれば、経営指針に沿った有用なアイデアが湧いてくるものです。個人のアイデアを表に出しやすい社風に変えていく。経営指針発表会はそのことを推進するために行われる、企業最大の行事といえます。
ですから、経営者がいかめしい顔をして経営方針を説明し、社員が「いかにも」とうなずくふりをするような発表会ではまったく意味がありません。みんなで仲よくイカめしを食べるほうが100倍意味がある。
難しい顔で正論を述べるのではなく、「楽しい発表を行う」というのが経営指針発表会の第一条件です。楽しさの中に価値ある情報を埋め込んでいくのです。
次のポイントは「ストーリーを伝える」ということです。
ここは経営者がもっとも力を注ぎ込むべきところ。創業の精神、創業時または事業承継時のエピソード、伝説的な出来事、奇跡的な逆転劇……。そうしたものをストーリー化するのです。これは経営者またはごく一部のストーリーテラーにしかできない仕事。
経営発表大会では先に述べた通り、さまざまなプログラムが組み込まれています。コンテンツが豊富であればあるほど、散漫な印象を与えてしまいやすい。緑豊かな枝葉を表現しつつも、全体を束ねている幹があることを伝えていかねばなりません。さらに、自社を木にたとえるならば、その木が豊かな森(地域社会)の中にあることも合わせて伝えていく必要があるでしょう。
今自分が携わっている仕事は、創業から(あるいは業界が誕生した時点から)今日まで脈々と受け継がれてきたからこそ存在している。このことをストーリーで伝えていかねばなりません。また、このストーリーは遠い未来にまでずっと続いていく壮大なものだと気づいてもらうことが大切です。
経営指針発表会という特別な場だからこそ、大切なメッセージが伝わりやすいのです。このチャンスを見逃さないことです。
(「45.経営指針書は手帳サイズがいい」「46.経営発表大会の進め方」は書籍版にのみ掲載します)
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44.経営指針書は「自分の言葉」で伝えること
http://sogopt.exblog.jp/27712195/
2017-04-10T04:57:00+09:00
2017-04-10T04:57:00+09:00
2017-04-10T04:57:00+09:00
sogopt
経営指針2017
それにしても、出るわ出るわ。3回目の校正でしたが、直すべきところがいくつもありました。さすがに入力ミスの類いは2回目までにすべて直しましたが(見落としがあるかも?)、ちょっとした文字のズレをいくつか発見。半角スペースが挿入されていたり、行頭のカギ括弧が1文字沈んでいたりするなど、気になるところが次々見つかりました。きっと印刷された後にも見つかるでしょうね・・・。完璧というわけにはいきません。
文章に完璧はない。話し言葉の場合はさらに完璧からはほど遠い。どんなに理路整然と話していると思っても、それを文字に起こすと「文として成立しない」ことがよくあるものです。話し言葉は話しながら絶えず訂正や軌道修正を試みている。文章でも多少の軌道修正が行われることはありますが、話し言葉ほどではありません。
とはいえ、「正しさ」にこだわりすぎると、「本当に伝えたいこと」が伝わらない可能性があります。多くの場合、読み手が求めているのは「完璧な正しさ」ではなく、「確からしさ」や「信頼に足る何か」なのです。言葉では表しにくい曖昧なものを求めている。
本心から書かれている文章なのかどうか?
話し言葉同様、文章においてもここが最大のポイントなのではないかと思います。正しさに執着すると本心から外れることがある。正論ばかり言う人は何となく信頼できない・・・。そんな気持ちになることはないでしょうか?
経営指針においても「正しさ」にこだわりすぎると伝わりにくいような気がします。正確に言えば、「正しさ」を求めることは大切なのですが、書き手(多くの場合は経営者)の本心が表されていなければならない。文体は理性的であるべきですが、そこには人間的表現を盛り込む必要があるのです。
人間に完全とか完璧というものはありませんから、当然ながら経営計画書も不完全なものとなる。できあがった後に「言い足りない」と思ったり、「説明の仕方が適切ではない」と感じるようなことがあるものです。それを修正するのが、僕の場合は社内報やブログということになる。社内報の文章は経営計画書よりも本心の表現度が高い。つまり、「自分の言葉」で書くようにしています。ちょっと長い文章なので、ちゃんと読んでくれる社員がどのくらいいるかわかりませんが・・・。
44.経営指針書は「自分の言葉」で伝えること
経営指針書には、「社長としての思い」や「大切な考え方」といったものを文章で表現する必要があるでしょう。箇条書きで目標や計画を羅列するだけでは、考え方は伝わりにくいものです。社員の立場からすると、「上から押しつけられた目標や計画」のように感じてしまうかもしれません。
生身の人間である経営者が、生身の人間である社員と一緒に会社組織を形成しているのです。ですから、経営指針書も同様に「人間味のあるもの」であるべきです。必ずしも、きれいにまとめる必要はありません。「自分の言葉」で表現していくことが何より大切です。
自分が経営者としてどんな考えを大切にしているのか? どのような理由から今のような哲学を持つに至ったのか? 経営指針書で表現しきれない場合は、社内報やメール通信等で伝えてもよいでしょう。経営指針の根底に流れている自分の個人的な思いを文面に反映させることです。
僕自身できているかどうかは疑問な面もありますが、企業経営者に求められる資質のひとつは「自己開示力」ではないかと思います。資質というよりも、開示しようとする気持ちがあるかどうかですね。当たり障りのない言葉、自分の安全を確保した上で伝える問題提起、「昔取った杵柄」的な発言……。こうしたものは、社員のやる気を削ぎ、会社から活力を奪い取ってしまうものです。自分の長所も短所も、過去の成功も失敗も包み隠さずオープンにしていく。そうすると、自社の社風も自然にオープンになっていくのではないかと思います。
当社の経営指針書は176ページもあります。70人規模の会社の割にはずいぶんページ数が多い。これは計画そのものよりも、その考え方について説明する文章が長いことが理由のひとつです。
言葉の使い方には人それぞれ癖のようなものがあります。そして、言葉の解釈も人によって違いがあるものです。伝え方にも受け取り方にも癖や個性がある。箇条書きされた文言だけでは意図通り伝わらず、コミュニケーションギャップが生じることも少なくありません。
多少「くどい」と思われたとしても、ギャップを埋めるための文章が必要。人間味を感じさせる言葉で説明されると、納得や共感が生まれやすくなっていくはずです。また、そうした人間的な言葉で表現された経営指針書は、社員の求心力を高める強力なツールとなることでしょう。
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43.たとえ不本意な経営指針であっても公開する
http://sogopt.exblog.jp/27709664/
2017-04-09T09:32:00+09:00
2017-04-09T09:32:30+09:00
2017-04-09T09:32:30+09:00
sogopt
経営指針2017
興味深い取材でした。だが、話が多方面にわたるため、どのような記事にまとめたらよいか、しばらく考えることになりそうです。僕はこれを「熟成期間」と読んでいます。最近は時間に追われているためか、「浅漬け」の状態で書き始めることが多い。今回は2週間後に書き始めることになるでしょう。ちょうどよい熟成期間です。
中には「長期熟成」した結果、味わい深い記事になる場合もあります。取材は自分が興味を持った時点からスタートするわけですが、下調べ、プレ取材、取材、場合によっては追加取材という段階を踏んでいく(取材者によって異なる)。僕にもそうした長期的な取材テーマがいくつかあって、数年越しになることもたまにあります。
企画を数年温めているうちに、中には消えていくもの、発酵が進みすぎて手に負えなくなるもの、ほかの編集者が記事にしてしまうもの・・・など、いろいろ展開していきます。タイミングというべきか、偶然あるいは必然と考えるべきか。ひとつの記事ができるにはいくつかの関門をくぐり抜けなければなりません。
ところが、こと経営指針に関していえば、偶然とかタイミングなどとは言っておられません。タイミングは「今」、誰が決めるかは「経営者である自分」。熟成してから・・・などと先送りしていたら、いつまでも日の目を見ないことになります。
記事の場合は掲載されれば「完成」したことになりますが、経営指針に完成はありません。毎年作り続けることで完成度が高まっていく。つまり、作り始めるのは早ければ早いほどよいのです。
43.たとえ不本意な経営指針であっても公開する
誤解を招く言い方かもしれませんが、最初の経営指針は「乗りと勢い」でつくってもよいのではないかと思うことがあります。あまりにも真面目につくりすぎると、完成前に「難しい」「大変だ」というネガティブ思考にとらわれてしまう人が出てくるからです。
経営指針を成文化すること自体、実はそれほど大変なことではありません。経営指針作成シートの空欄を文字で埋めていけば、自然にできあがっていくもの……。そんなふうに気楽に構えている人のほうが成文化という段階まですんなりたどり着くものです。
悩んでつくるもよし、気楽につくるもよし。問題は成文化した後のことなのだと僕は思っています。
できあがった経営指針は、当然ながら完璧なものではありません。むしろ、ところどころ気に入らない部分が見つかるものです。全面的に作り直したいと思うかもしれません。
しかし、不完全だからといって見直し作業を行っていたら、永遠に経営指針が社内で発表されることはないでしょう。どこかで区切りをつけ、経営指針書としてまとめられ、全社員に配布し、経営指針発表会(経営発表大会)を開催する必要があるのです。
1年間の経営指針研究会を終え、経営指針を成文化させた研究生たちの中にも、社内で発表会を行った人と行っていない人とがいます。
確かに、「まだ発表段階ではない」という会社もあるでしょう。うかつに発表すると社内が動揺するとか、世代交代のタイミングを計らって……という事情もありますから、今すぐとお勧めできないケースも確かにあります。
けれども、できるだけ早い段階で一歩踏み出すことが重要です。
当社が経営発表大会を行ったのは、2002年が最初でした。僕の場合は「乗りと勢い」とは程遠く、「切羽詰まって」または「決死の覚悟で」という状況でした。業績が厳しく、社内の雰囲気が重い時代でしたから、とにかく流れを変えたいという思いから経営発表大会を開催したのです。
時間にすると約2時間。大会というには短い時間ですが、それでも社員の間には「何が起こるのだろう?」という空気が流れていました。最初の経営発表は「何かが変わるかもしれない」というメッセージだけ届けることができれば、一応の成功と考えてよいのではないでしょうか。
自分としては不本意な出来映えであっても、経営指針は社内に公開すべきです。そして、単に経営指針書を渡すだけではなく、発表会を開催することが大切です。
公開して、発表会を開く。そうすると、経営者は「逃げられなくなる」はずです。1年後に新しい経営指針書がなく、発表会もなければ、社員は「なあんだ……」と思うことでしょう。経営指針書をひとたび公開すると、後継者に道を譲る日まで経営指針をつくり続けることになります。大変と思うかもしれませんが、経営者である以上、経営指針を公開して後悔することはありません。
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42.部門計画をどのように立てるか?
http://sogopt.exblog.jp/27706552/
2017-04-08T05:27:00+09:00
2017-04-08T05:27:27+09:00
2017-04-08T05:27:27+09:00
sogopt
経営指針2017
歓迎会では、僕の知らないスロウ創刊当時の秘話が披露されていました。昨日の参加者の中で創刊当時の編集部の内情を知っているのは、僕を含め4名のみ。なるほどと思いましたね。僕はフォトグラファーの立場でスロウに関わっていましたが、デザイナーはこんなところで苦労していたのだ・・・ということがわかりました。デザイナーもフォトグラファーも多くを語らない人種ですから、こういう証言はとても貴重ですね。
歓迎会の場ではなく、実際の研修に使いたいと思うようなプログラムがありました。これはもう一度実施すべきもの。スロウバックナンバーの中には教材として使えるものがたくさんあります。これを使わない手はない。
そういえば、昨日の幹部会議の中でもこれに通じるような意見が出てきました。ひと言で言えば「成功要因を分析しよう」というものでした。
僕らは、何か困ったことが起こると真剣に原因の究明に取り組みますが、うまくいったときには「ああ、よかったね」で終わらせてしまうことが多いものです。大事なのはうまくいった要因を明らかにすること。要因がわかれば、次の行動に生かすことができる。もしかすると、失敗の原因究明よりも重要かもしれません。
会社全体を見渡すと、今現在うまくいっている部署と苦戦している部署とがあります。長い目で見れば当然のことであり、ずっとうまくいき続けるはずはありません。けれども、うまくいったときのパターンを知っていれば、うまくいかない期間を短縮させることができるのです。
会社全体の経営計画はもちろんですが、部門計画においてこそ「要因分析」が必要ですね。
42.部門計画をどのように立てるか?
経営計画づくりで、意外に悩ましいと感じるのが「部門計画の策定」です。
なぜかというと、部門計画はトップダウンでつくるものではないからです。かといって、各部門からそのまま出てきた部門計画は、経営的視点で見ると的外れであることが少なくありません。
経営者がどこまで部門計画に介入すべきか? その会社の企業文化によると考えるべきでしょう。
当社の場合、僕は完全にノータッチです。しかし、完全にそのままというわけではありません。印刷に回す前に専務がチェックするようにしています。したがって、僕は会社全体の経営目標や方針に専念することができます。
経営指針をつくり始めて間もない10数年前はどうだったのかというと、部門計画を見るのが少しだけ怖かったというのが正直なところです。
経営理念→経営ビジョン→中期経営計画→年度経営計画→部門計画という具体に筋道がちゃんとしていればよいのですが、全体の流れとは関係のない部門計画が出てきたらどうしよう……。そんな不安があったのです。
結論から言うと、部下に部門計画の策定を任せなければ、会社組織としての成長は見込めません。そして、部下は自分の部門に関しては経営者よりも現状を正しく把握しているものです。課題を見いだし、自部門を成長させようとして目標・計画を立てる。社長以上にちゃんとした部門計画を立てることができるのです。
部門計画の精度が低いとすれば、それは会社全体の経営計画や方針がきちんと伝わっていないというのが最大の理由でしょう。あるいは、部門計画の立て方がわからないという理由もあるかもしれません。
当社の部門計画もまだまだというところがあるのですが、年々精度が高まってきているように感じています。
大事なことは「完璧な計画を立てる」ことではありません。「目的を共有し、社員がやる気になる計画を立てること」です。そのためには、トップダウンで目標、計画を押しつけるのではなく、自分たちで目標を設定し、それを実現させるための計画を自分たちで考えること。
少しハラハラすることもありますが、「数年待つ」というくらい気長に構えていると、少しずつ波長が合ってくるものです。また逆に、僕のほうがユニークな部門計画に惹かれるものを感じて、会社全体の経営計画を見直すことすらあります。
(「41.計画は5W2Hで立てる」は書籍版にのみ掲載します)
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40.中期経営計画と年度経営計画の策定
http://sogopt.exblog.jp/27703680/
2017-04-07T06:02:00+09:00
2017-04-07T06:02:13+09:00
2017-04-07T06:02:13+09:00
sogopt
経営指針2017
こうした研修に参加すると新入社員たちがいかに高い潜在能力を持っているかがわかります。サポーターとして参加した経営者・上司からは、「自分たちの新入社員時代よりはるかに意識が高い」といった感想が漏れてきました。確かにその通りです。僕も自分の新入社員時代とつい比較してしまいます。
しかし、昔も今もこの年代の人たちには無限大と思えるほどの可能性がある。それを職場で開花させられるかどうか? それは本人たちの努力が重要であることは間違いありませんが、責任の半分は受け入れる企業側にある。ちゃんと育てていかねばなりません。
新入社員たちに求められることは、「好き嫌い、損得を抜きにして会社のすべてを味わってみよ」ということです。つまみ食いみたいな働き方をしないということですね。
仕事というものは、コース料理のようなもの。好き嫌いの激しい人の中には、前菜が好きになれないといってメインディッシュがやってくる前に席を立ってしまう人がいるのです。せっかく席に着いたというのに、料理のすべてを味わう前に別な店(会社)に移ろうとする。そして、次の店でも「前菜が・・・」というパターンに陥る。前菜に文句を言わず、最善を尽くすのが新入社員の務めといえます。皿まで食べろとは言いませんので、ちゃんとデザートまで味わってほしいと思います。
今回の2日間の研修は「仕事観」がテーマでした。社内の新入社員研修でも引き続き仕事観を取り上げます。一部には、我が社独特の仕事観があります。ここになじめるかどうか? なじむことができる人にとっては、我が社は非常に働きやすい職場でしょう。
自分の価値観を組織の価値観と完全に一致させる必要はありません。人には個性があるわけですから、価値観や考え方に違いがあるのは当然のこと。合わせるのではなく、違いがあることを認識し、歩み寄ろうと努力することが大事。「違い」の中から自分の成長課題を見つけることも、一人前の社会人になるために欠かせません。違いがあるということは、自分にはまだまだ成長の余地があるということなのです。
高いビジョンを掲げて、自分の成長課題に取り組んでほしいところです。
40.中期経営計画と年度経営計画の策定
中期経営計画は、3年または5年計画で立てる企業が多いと思います。そういえば、4年計画というのはほとんど聞きませんね。日本の場合、「奇数は割り切れないことから縁起のいい数」と考えられているからでしょうか。
初めて経営指針を成文化される方は、3年で中期経営計画を立てるのがよいと思います。環境変化の激しい時代、5年後の利益計画まで立てるのは容易なことではありません。5年計画は中期ではなく、長期と考える経営者も多いことでしょう。
中期経営計画で最初に決めるべきものは、中期経営目標です。3年後(5年後)に何を実現させるのか? 10年ビジョンに到達するための通過点として、リアリティを感じるような目標を設定しなければなりません。
注意すべき点は、「現状の○%増し」といった目標設定をしないことです。「今期の売上、利益、商品、販路、顧客数がこのくらいだから、3年後はこんな感じだろう……」と安易に数値を設定すると、経営計画はほとんど意味をなさないものとなってしまいます。
計画立案の出発点は、10年ビジョンです。ビジョンが実現したものと想定し、そこから現状との差異を埋めていくような計画を立てていくべきです。計画は現状からの「積み上げ思考」ではなく、「ビジョンアプローチ思考」でつくっていきましょう。中期経営計画だけではなく、年度計画も同じ考え方です。
ひと通り数値を設定することができたら、今度は目標達成までの道筋を考えていきます。
前章で考えた将来ドメインに沿って、ストーリーを描いていくことになります。具体的に、どんな手順で物事を進めていけばよいのか? まず、経営者ひとりで大本のストーリー展開を考えておくことが重要。その上で、意欲的な幹部や社員を巻き込みながら、ストーリーを肉付けしていくとよいでしょう。
やる気のある社員の中には、経営者の想像力を超えるような斬新なアイデアとユニークなプランを持つ人がいます。ときには、ビジョンを書き替える必要があるのではないかと思うような場面も出てくるでしょう。そんなパワフルな社員はまさに「人財」というべき人。当社ではできるだけ積極的にアイデアを取り込むようにしています。
ストーリーがまとまったならば、いよいよ具体的な計画を作成することになります。
(「38.コストに対する考え方」「39.人件費に対する考え方」は書籍版にのみ掲載します)
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37.社員教育計画
http://sogopt.exblog.jp/27700676/
2017-04-06T05:45:00+09:00
2017-04-06T05:45:53+09:00
2017-04-06T05:45:53+09:00
sogopt
経営指針2017
新入社員は期待と不安、好奇心と恐怖などさまざまな気持ちを抱えながら1年間会社に通うものです。自分はちゃんとした社会人になれるのだろうか? そんな気持ちから社会人1年目がスタートする。僕も32年前の話になりますが、今の新入社員たちとまったく同じ心境でした。
日創研には限りませんが、このようにして新入社員が一堂に集まって研修を受けることができるというのは大変ラッキーなことです。僕の32年前も新入社員研修はあったものの、体力測定的なものでした。懸垂が一度もできず、お情けで「1回」とカウントしてもらった。それだけの記憶しか残っていません。
やはり、新入社員に必要な情報は「仕事観」「コミュニケーション」「自己分析」「自己表現力」「目標設定」といったものでしょう。教育熱心な会社であれば、社内でこうした研修を受けることができるかもしれません。けれども、異業種の会社に入社した同じ立場の人たちと語り合うというのも貴重な経験です。
こうしたトレーニングを受けず、いきなり現場に送り出されてしまった場合どんなふうになっていくか? それは先輩社員の影響をダイレクトに受けるということになります。これは大きなリスクが伴うことです。よい影響も受けるでしょうが、同時に悪い影響を受けることもある。たとえ悪気はなくとも、先輩社員はときにマイナスの影響力を及ぼしてしまうことがあるのです。
教育に熱心な会社とそうではない会社。たとえ優れた才能を持った人であっても、教育に不熱心な会社に入社すると、その才能が開花せぬまま組織の中に埋没するか、仕切り直しをすることになってしまう・・・。新入社員に「自分は自分で育てるもの」といっても、ちゃんと伝わるものではありません。最初のうちは指導役の人がちゃんと伝えなければなりません。
新入社員に求められるものは、素直さと熱心さです。この2つがクリアされれば、次は自己開示と自己表現ですね。後半の2つは来週から行われる社内での新入社員研修の中で求められることでしょう。先輩社員である僕らも、素直さ、熱心さ、自己開示、自己表現といったものが必要となります。新入社員が入社してくれるおかげで、僕らも初心を思い出すことができる。ありがたいことです。
37.社員教育計画
当社は「理念好き」な社風なのでしょうか? 経営理念のほかに、部門理念、編集理念、営業理念、教育理念があります。
教育理念は次のように掲げています。
「対等な人間関係のもと、個性・潜在能力の開発と、自己成長・自己実現をバックアップ」
人材育成というと「社員の戦力化」といったイメージが頭に浮かぶかもしれません。まず、社員を「戦力」だと考えることに大きな疑問を感じます。そして、利益を生み出す道具のように考えるのも経営者の重大な思い違いでしょう。
やはり、人は自己成長や自己実現のために仕事をするのであって、会社第一ではいけないのだと思います。ただ、自社の成長・発展と自分の成長・自己実現は切っても切り離せないもの。自分の人生を豊かにするために、自分の勤める会社がよい会社であってほしいと社員は願っているのです。
一方、経営者の立場に戻ると、会社は人材力(この場合は人財力と言うべきかもしれません)がすべて。社員には何が何でも成長してもらわねばならない、利益を生み出す人になってもらわなければならないと考えています。
自己実現のために「成長したい」と考える個人と、自社の発展のために「成長してほしい」と考える経営者。両者のニーズが一致してこそ、人材育成システムが機能するのです。
よく、社外で行われる研修に参加すると、「会社から無理やり派遣された」という人がいるものです。高い受講料をみすみすドブに捨てるようなもの。当社にも過去、そのような残念な研修派遣がありました。教育理念が社内全体に浸透していなかったのでしょう。
せっかく経営指針を成文化するのですから、教育理念や人材育成方針、計画を考えるべきでしょう。
当社はまだまだ教育計画が不十分な会社です。先日、社内でグループ討議を行ったとき、こんな意見が出てきました。
「経験を積めば、何年後にこうなる……といったキャリアアップのイメージや事例を示すべきだ。それによって社員の定着率が高まるのではないか」
まったくその通りだと思いました。自社にビジョンがあるように、個人にもビジョンが必要です。個人の描くビジョンは自由であってよいのですが、目安となるものがなければ描きにくいもの。モデルを示す必要があると気づきました。
(「36.働き方改革と労働生産性」は書籍版にのみ掲載します)
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35.「労使見解」を今日的視点から読み解く
http://sogopt.exblog.jp/27697937/
2017-04-05T05:58:00+09:00
2017-04-05T05:58:35+09:00
2017-04-05T05:58:35+09:00
sogopt
経営指針2017
「人は規則には従わないが、社風には従う」。たぶん、毎年新入社員受け入れ研修の中で出てくる言葉。他の研修の中にも出てくるかもしれません。耳にするたびに、もっとよい社風をつくっていかねばと思わずにはおられません。
ところが、誰もが知っている通り、社風というものは一朝一夕に変わるものではないんですね。「社風を変えるのには10年かかる」とも言われます。確かにそうです。我が社も10年くらいかけて変わっていきました。
ただ、どうしても変わらないものもある。これはどういうことなのだろう・・・と思い続けているわけですが、偶然、僕は発見してしまったのです。
ビジネス書を書いているとき、我が社の29年前の社是が載っている社内報を調べてみたくなった。目的の社内報はすぐに見つかりました。6ページ立ての社内報の4ページ目の下に小さく載っていました。そして、ページの上の方に目をやると、実に興味深い情報が記載されていたのです。
29年前の我が社の社風診断。僕も10数年前に、2、3度社風診断を実施したことがありました。どういういきさつかはわかりませんが、1989年、社是を制定した年にも行われていた・・・。僕が社風診断を行ったのも、経営理念を明文化した年。何となく因縁めいたものを感じます。
29年前の社内報を読んで、妙に納得するものがありました。これは単なる社風ではない。DNAなのかもしれないと思ったのです。このDNAのようなものが好きか嫌いかは別として、我が社は今も将来もずっとこのDNAと付き合っていくことになるのではなかろうか・・・。
人間は、性格や表現方法を変えることはできても、奥底にある本質までは変えようがないのではないか? 同じように会社組織も、一度できあがったDNAは人が入れ替わっても、ずっと変わらずに受け継がれていくのではないか? そんなふうに思ったのでした。原稿執筆が佳境にさしかかった4月2日昼頃のことです。
大事なのは、「肯定的に受け入れる」ことですね。受け入れて、表現の仕方をどんどん変えていく。そうすると、社風はある程度変わる。一人ひとりの人間も、別人と思えるほど大きく変わる可能性がある。いくら変わっても本質までは変わらないわけですから、安心して「変わるためのチャレンジ」を行ってよいのではないかと思います。
我が社の中にある「どうしても変わらない部分」。それがあることに、むしろ安心感のようなものを覚えました。30年近くたっても変わらない、ある意味頑固な部分がある。我が社は人間的な組織だな・・・と再認識することができました。
35.「労使見解」を今日的視点から読み解く
労使見解というのは、中小企業家同友会会員以外にはなじみの薄い言葉でしょう。正式には「中小企業における労使関係の見解」といいます。1975年に発表された文章で、同友会の精神的支柱といってよいもの。
1975年といえば、僕は中学生。正確な記憶はありませんが、当時、当社にも労働組合があったと思われます。日本全国、労働運動が盛んな時期。団交(団体交渉)を終え帰宅した父(創業者)の表情を見て、僕はかなり厳しい交渉だったのだと子供ながらに想像していました。
当時の僕の最大の疑問は、「中小企業経営者は資本家はないのになぜ対立が起こるのか」ということでした。年収は一般社員より高いにせよ、リスクを抱え、資金繰りに苦しみながら何とか自社と社員を守り続けている……。それなのに組合からは責められるという不条理な状況。そんな共通の悩みを持つ多くの中小企業経営者が集まって誕生したのが中小企業家同友会です。
当時について記された資料を読むと、中小企業の労使が対立から信頼関係へと変化していく過程が描かれていました。中小企業経営者に理解を示す社員、そして誠意を持って組合との話し合いに臨んだ経営者。両者の信頼関係が醸成されていく中で、近代的な労使関係づくりを目指し「労使見解」が誕生したといってよいでしょう。
労使見解は7つの文章から構成されています。もっとも重要と思われるのは最初の2つ。「経営者の責任」と「対等な労使関係」です。
「経営者の責任」では、いかに環境が厳しくとも変化に対応して経営を維持、発展させる責任があると述べられており、そのためには「経営全般について明確な指針をつくることがなにより大切」と経営指針の重要性を説いています。
「対等な労使関係」では、雇用契約は双方対等の立場で取り交わされたものなのだから、労働者が契約内容に不満を持ち、改訂を求めることは当然のことと割り切って考えるべきだと書かれています。今の時代であれば当然という感じもしますが、当時としては画期的内容だったことでしょう。
今の時代でも、「経営者と社員は対等ではない」と考える人もいます。しかし、対等な関係を築こうとする誠意や努力がなければ、本当に働きやすい職場環境は実現しないのではないかと思います。
当然のことではありますが、経営者は社員と対等な人間関係を築き、その中で経営者としての責任を果たすために、必要な権限を行使することが大切なのです。
こうした会社組織の仕組みは、昔も今も基本的に変わりはありません。頭ごなしに指示命令するのではなく、言葉と文章によってていねいに説明していけば、ほとんどの人は理解、賛同してくれるに違いありません。
40年以上前に作成された労使見解は、今でも多くの示唆を与えてくれる企業経営者必読の文章といえるでしょう。
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34.労働環境改善計画を立てる
http://sogopt.exblog.jp/27695188/
2017-04-04T06:28:00+09:00
2017-04-04T06:28:15+09:00
2017-04-04T06:28:15+09:00
sogopt
経営指針2017
8時半、2017年度の入社式が始まる。今年の新入社員は1名。同期がおらずプレッシャーを感じる場面もあるだろうが、たくましく生き抜いてほしいと思う。その分、新入社員へのプレゼントは例年よりグレードアップしている(編集者の必需品)。朝礼、入社式後は自宅で仕事を行う。書き上げたばかりのビジネス書に図版を入れる作業。図版や写真を探す作業が大変だ。インデザインで配置しているうちに、M氏から校正が戻ってきた。予想通りというべきか、ずいぶん入力ミスがある。夕食をはさんで9時過ぎまで修正作業。関係者にPDFを送る。その後、さらに修正箇所が見つる。結局、10時半までかかった。11時過ぎ就寝。
「時短だ!」と言いながらも、昨夜は地団駄を踏んでいました。かなりの作業量でした。僕のインデザイン操作能力の問題か? 何しろ、今日から3日間は新入社員受け入れ研修と新入社員研修がありますから、使える時間はあとわずか。札幌でも校正作業を行います。
僕の個人的事情はともかく、新入社員のT氏にはこの4月、たくさんのことを伝えていこうと思っています。
伝えたいメッセージのひとつは、「好きなことを仕事にするには、並外れた努力と忍耐力が必要だ」ということ。好きなことを仕事にするというのは、もちろんラッキーなことです。しかし、仕事となると「好きなはずなのに好きになれない」と思える仕事に出合うことがある。もともと「好きでも嫌いでもない」と思って仕事を始めた人であれば、好きも嫌いもないので、すんなり仕事に打ち込むことができる。一方、「好き」から入った人の場合、心理的葛藤が生じる可能性もある。僕の新入社員時代がそうでした。
したがって、「好き」の領域を拡大するか、「すべて修業」と考え好き嫌いを超越するしかないわけです。そして、好き嫌いを超えたところに、本当の仕事のおもしろみがある。
これからの3日間(新入社員は2日間)は、「仕事観」について考え続けることになります。新入社員のための研修ではありますが、自分の仕事観を見つめ直すいい機会となることでしょう。
34.労働環境改善計画を立てる
僕は北海道中小企業家同友会の経営指針委員会として活動していますが、その上部組織として、中小企業家同友会全国協議会(中同協)に経営労働委員会という組織があります。東京で開催された委員会に参加して、その中身の濃さに驚きました。
一番インパクトを受けたのは、自社の労働環境改善に執念を燃やす経営者たちに対してです。北海道の委員会は経営指針の成文化と実践に特化しています。一方、中同協経営労働委員会では、その名の通り、労働問題が活動の半分を占めているのです。委員会の中ではこんな発言が出てきます。
「経営指針書には売上・利益目標や事業計画が書かれているのに、労働環境改善計画が記載されていないのはいかがなものか?」
ギクリとしました。自社の経営計画書はどうだったっけ……。後で確認してみると、労働環境改善計画というには程遠い抽象的な記載内容でした。働き方改革と職場環境整備について、ほんのわずか触れられている程度だったのです。来期の経営計画書には具体的に記載しよう。そう決意しました。
経営労働委員会では、「経営指針書と就業規則を合冊し、一冊にまとめるとよい」という考えも示されました。「なるほど」と思いましたね。就業規則は入社時にもらったまま、机の奥の方にしまわれるなど、いつの間にか行方不明になってしまうものです。経営指針と一緒にまとめられていれば、いつでも開くことができます。就業規則も経営計画同様、定期的に見直していくべきものですから合冊されてるほうが好都合といえます。
労働環境改善計画を立てるには、できるだけ広く社内から意見を集約する必要があるでしょう。各部署から若手や中堅社員を集めてプロジェクトチームを作ってもよいですし、全社員会議の場を設けることができればベストです。当社では、経営発表大会当日の昼食後に全社員会議を行っています。約70名全員が発言することは時間的に困難であるため、まずグループ討議を行い、最後にグループの代表者が討議内容を発表するという形式をとっています。
このようにして集められた労働環境改善のためのアイデアは、売上・利益計画と同じくらい自社にとって重要なものとなります。
どうすれば、より働きやすい職場環境に変えていけるのか? 人口減少社会の中で能力と意欲を持った人材を確保するには、魅力的な職場づくりが不可欠。採用面からも人材の定着という面からも、労働環境の改善に無関心ではいられません。むしろ、労働環境改善計画に執念を燃やすくらいの意欲が経営者に求められる時代に突入していると認識すべきでしょう。
(「33.売上・利益目標の考え方」は書籍版にのみ掲載します)
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