これがYOSAKOIソーラン祭か・・・。今まではニュースでしか見たことがなくて、今回が初YOSAKOIである。今日は天気もよく、すごい人出だ。すごい熱気だ。腰を落ち着けて見たのは2時間くらいだが、何とも圧倒される迫力でした(ボーッとしていて月並みな言葉しか出てこない)。
札幌からの帰り道は途中で仮眠をとったが、順調に帯広に戻ってきました。燻製機問題は急にひらめいて一挙に解決。ゼビオにあるかも・・・そう思ったのです。ちょうど白樺通りを走っていたので、立ち寄ってみると、ほぼいい感じの燻製機がありました。冴えてるなあ。これで今週末の課題3つクリアです。めでたしめでたし。
それにしても人間には内に秘めたる情熱のようなものがあるなぁ。話は戻ってYOSAKOIのことですが。その情熱を仕事にぶつける人もいるし、趣味に熱中する人もいる。僕はやや強引に(?)写真の情熱を会社の業務に結びつけています。
情熱をぶつける対象があるかどうか。これがいかに大切か。YOSAKOIを見ながらそんなことをボーッと考えていました。もちろん、情熱の表現の仕方はさまざまで、静かに淡々と情熱を持ち続ける人もいるわけです。静的でも動的でもいいのですが、いずれにせよ情熱を傾ける対象を持っている人と持っていない人とでは人生が大きく違ってくるわけで、これをいち早く手に入れる必要があるのではないか? 勘違いでもいいから手に入れることが先決のような気がします。あとで取り替えることもできますし。
リスクを避ける生き方を続けていると情熱をぶつける対象がなくなって、どんどん不完全燃焼を起こして体内が一酸化炭素で充満していくような気がします。完全燃焼、ときどき小爆発という生き方ができれば楽しいのではないか? そんなことを考えた一日でした。ああ、おもしろかった。