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高原淳プロフィール
高原 淳 1961年北海道帯広生まれ 大阪芸術大学写真学科卒 雑誌・広告を中心にフォトグラファーとして活動 2000年帯広にUターン 2001年、ソーゴー印刷(株)代表取締役就任 2004年、雑誌「northern style スロウ」創刊を機に写真活動を再開 主な写真展 1985年「COMME JE SUIS」(6人展、Gallery・DOT) 1988年「再生」以来、Gallery・DOT(京都)にて定期的に個展開催 ・2005年10月「記憶の中の風景」(Gallery・DOT) ・2006年3月「記憶の中の風景」(弘文堂画廊) ・2007年11月「記憶の中の風景」(Gallery・DOT) ・2009年8月「スロウ20号記念展」(ファインアート器野) ◎月刊しゅん http://shun.tv ◎マイステージ北海道 http://www.my-stage.net/hokkaido ◎northern style スロウ http://www.n-slow.com ◎クナマガ日記 http://www.n-slow.com/blog/index.php ◎ソーゴー印刷 http://www.sogo-printing.com 最新のコメント
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午前10時過ぎ出社。クナウマガジン勉強会用の資料を作成。なぜなんだろう? ずいぶん苦労した。形になったのは午後6時頃だった。それから開西小学校での写真教室用資料を準備する。こちらは昨年のものをベースに新しい写真を付け加える。1時間ほどですんなりできあがった。さらにもう一本の講演資料について考える。資料づくりのための資料をファイルから取りだしてから帰宅。8時過ぎ。10時就寝。
昨日はエニアグラムとハーマンモデルについて考えていました。エニアグラムは2000年も前にアフガニスタンで誕生したとされる性格診断。長年、イスラム教スーフィー派の秘伝とされてきましたが、近年ではスタンフォード大学等で研究され、企業の人材育成などに活用されています。一方、ハーマンモデルのほうはセネラル・エレクトリック社(GE)のネッド・ハーマンが生み出した大脳生理学に基づく行動分析手法。ロジャー・スペリーの「右脳・左脳モデル」とポール・マクリーンの「三位一体型脳モデル」をベースに、自分の利き脳を調べるというものです。 エニアグラムとハーマンモデル、さらにエゴグラムを加えると、かなり正確に「自分とはどのような人間か?」を知ることができるのではないかと僕は思っています。 どうしてそのようなことを考えたのかというと、自分のことを知らずに「自分の考えが標準なのだ」と思って生きていくと、いろんな不都合なことが起こってくるからなのです。世の中にはいろんな人がいる。これは誰もが知っていることですが、自分を基準にして「世の中には変わった考えをする人がいるものだ」と思ってしまうと、「自分は正しい、相手は間違っている」「自分は正常、相手は異常」という考えにとらわれやすい。 自分と他人とは何がどのように違っているのか? そして、自分という人間はどのような思いに囚われやすいのか、どんな思考パターンを持っているのか、何に対して反応しやすいのか? こうしたことを知っておく必要があるのではないかと思います。エニアグラムで先天的に持って生まれた性格を知り、エゴグラムで成長歴を知り、ハーマンモデルで今現在の脳の使い方を知る。そうすれば、自分を成長させるために必要な課題に気づいたり、対人関係を改善するための手がかりがつかめるはず。 人間は本当に不思議なものです。僕という人間に対する評価も、人によって180度異なる場合があります。「やさしい、温かい」と言われることもあれば、「冷たい、感情がない」と言われることもある。「頭がいい」といわれることも、「バカじゃないの」と言われることもある。 人間は両面併せ持っていますから、どちらを見るかというだけの話。性格的に合わない人が僕という人間を見ると、当然ながらマイナス面にフォーカスされてしまいます。僕も、性格的に合う人間にはプラス面を発見し、合わない人にはマイナス面を見てしまう傾向があります。 しかし、そうやって自分の価値基準でのみ人を判断してしまうと、チームワークという点で不都合なことが起こってしまうのです。自分という人間も、人によって好かれたり嫌われたりする。低レベルな好き嫌いを超越しなければコラボレーション力は高まりませんから、どのようにして他者理解を深めるのかについて知っておく必要があるのです。他者理解を深めるための第一歩。それは自分を理解すること。自分はいったい他人をどのような目で見ているのか、どんなふうに反応しているのかについて知ることが重要です。 僕はエニアグラムで言うと「タイプ5」(研究者)。自分ではタイプ4の芸術家かなぁと思っていたのですが、実際にテストを行ってみると違っていました。もっともタイプ5と4は隣り合っていますから、つながりはありそうです。そして、タイプ5の成長課題はタイプ8(統率者)なのです。よい状態の時はタイプ8に向かっていき、ストレスがかかるとタイプ7(楽天家)に向かっていく。何だか、ものすごく当たっているような気がします。 性格占いのように気軽に試してもよいのですが、学んでいくと、非常に奥の深いものです。そして、僕は数ヶ月前にビックリするような発見がありました。なぜこの人と一緒になったのか。その理由がわかったような気がしたのです。僕は研究者タイプなので研究対象を求めていたのですね。たぶん。 今日はクナウマガジン勉強会の中で、このあたりの講義を行います。その前に次世代幹部養成塾第15講がありました。いつもより1時間早く出社します。
午前9時半チェックアウト。網走へ向かう。プレ取材的活動を行ってきたら帯広へ。午後5時半頃、いったん帰宅。6時出社、6時半帰宅。11時就寝。
昨日は雨降りの中での長距離ドライブだったため、何だか一日ぼんやりしていました。しかし、Googleカレンダーを見ると、今週から来週にかけては大変な状況になりそうだ。しかも6月はスロウの入稿月。お祭り状態だ。一日たりともぼんやりできない日々が続くはず。集中してひとつずつ完結させていくしかありません。 まず、明日は2つの講座を担当する予定になっています。クナウマガジンの勉強会と開西小学校でのカメラ講座。朝7時から次世代幹部養成塾が行われますが、これはゲスト講師にお任せしてよいでしょう。社内でも社外でも学び合う活動が活発に行われています。僕の感じるところでは、十勝は特に盛んであるような気がします。ずいぶん頻繁に、いろんなところで研修や講座、講演といったものが開かれています。これはよいことです。 ただ、研修・講座・講演に対して、消極的、または一切参加するつもりがないという人も多い。十勝の中で盛んに開催されてはいますが、熱心なのは一部の人たちだけで、全体的に盛り上がっているとはいえない。したがって、社外での研修・講座・講演だけでは情報格差が拡大するという問題が起こります。 社内での研修・勉強会といったものが今ほど必要な時代はありません。この点では、まだまだ僕の力不足を感じています。会社全体、そして全部署に対して研修や勉強会を行っていきたいのですが、行き届いていないというのが現状です。朝礼の場をもっと有効に活用できないか検討中ですが、朝礼を長引かせるわけにはいかないので、もっと別な仕組みが求められます。 社内での情報共有を進めていくこと。そして、それ以上に大事なのは一人ひとりが「自分の頭で考え、行動することができるようになること」。自分の頭で考え、行動することができないと、誰かから指示命令されるまで動くことのできない人になってしまいます。そういう人は高度成長期の大量生産・大量消費の時代であれば活躍の場があったのですが、これからの時代では生き残っていくことはできません。今もそうですが、これからますます生存領域が狭まっていくはずです。 先日、僕はちょっとビックリする光景に出会いました。非常に閑散としたお店で蕎麦を食べたのです。僕が天ぷら蕎麦を注文すると、お店の人は非常に無駄の多い動作で蕎麦を作り始めたんですね。キビキビとした動作であれば、きっと5倍くらいのスピードで蕎麦はできあがったに違いない。しかし、店は非常に閑散としていたので、待たせている客は僕ひとりだったのです。そして、僕が天ぷら蕎麦を食べている間は、なんとマンガを読んでいました。 これはちょっと終わっているな・・・。店がヒマになるということは、人をダメにしてしまうということなのだな。そのとき強く感じました。しかし、少しでも学んでいる人、他店のことを知っている人であれば、たとえ店がヒマであっても自分で仕事を見つけ出し、お客さんが増えるような活動を行っているに違いありません。つまり、ダメなのは店ではなく、やはりそこにいる人のほうなのです。 繁盛しているお店で働いている人は動作に無駄が少ない。たぶん、最小限の動作で最大の働きをするために創意工夫を重ねていることでしょう。その結果、客を待たせることなく、回転率が高まり、売上も上がる。僕がこれまで見た中ですごいなと思ったのは、大阪・阿部野橋の吉野家(約30年前)と東京・品川の立ち食い蕎麦店(昨年)でした。 スピードを上げていかないと質は高まらない。仕事は大量に行わないと、自分の能力は高まらない。注文が少ないときに何ができるのか? 印刷業は季節によって閑散期がありますから、注文の少ない時期に何を行うのかが非常に重要です。我が社の場合は出版活動がやはりひとつの決め手となる。だが、もう2つ、3つ、軸となるものが必要ですね。 先進的な同業他社と異業種の方々からもっと学ぶことが大切です。そして、その情報を社内で共有していかなければなりません。
出社後、講演資料の最終調整。そして出力。忘れ物等がないか入念に確認。11時半頃出発。目指すは北見。普通に走るとたぶん2時間半くらいの距離。途中で撮影したり、仮眠したり。午後3時少し前に到着。宿で一休みし、最終準備。
6時半から中小企業家同友会オホーツク支部例会が始まる。場所は北見メッセ。僕の講演時間は60分。その割には資料のページ数がやけに多い。スピードを上げなければならない。ていねいに話したいところもあったが、スピード優先。資料はていねいに作ってあるから大丈夫はなず。熱心に聴いてくれる方々ばかりだったので話しやすかった。講演後、60分のグループ討議、さらにグループ発表。9時過ぎ例会終了。場所を移動し懇親会。そこでも話が盛り上がった。宿に戻ったのは12時頃だったと思う。 講演テーマは「激変する現状を打開する異質化戦略 ~経営指針で全社一丸体制をつくる~」というものでした。我が社はまだ全社一丸体制にはなっているとはいえません。けれどもその方向へ進んでいる。完全に一丸になる必要はないが、「ほぼ一丸体制」になることが求められます。ちょっと異端児がいてもいいというのが僕の考えです。このあたりについては後日書こうと思います。 今日書き記しておきたいのは「IQとEQの高い社風」についてです。昨日の講演では、時間の関係上、ここをきちんと話すことができませんでした。 ポイントその一は「IQの伴った愛嬌を伝染させる」ということです。僕は10年くらい前から、愛嬌のある人はIQが高いのではないかという仮説を立てているのです。それは今も検証中なのですが、きっと相関関係があるに違いない。なぜなら、愛嬌のある人は相手をよく観察し、その場であるとか相手の人柄に合わせたユーモア力を発揮することができるからです。たぶん、そういう人は「アイデアは愛である」という基本思想を持っているはず。IQの高い人でなければ、それはできにくいのではないかと思います。 本当に頭のいい人は「ご機嫌に過ごす技」を持っています。自分の機嫌は自分でとるということを十分に知っている。そのついでの相手のご機嫌もとれてしまう。ご機嫌な人のまわりにはご機嫌な人が集まりやすい。IQの伴った愛嬌を社内で伝染させれば、社風がよくなっていくことは疑いありません。 ポイントその二は「EQとは、いい食いっぷりのこと」というものです。これは説明するとわかってくれるはずですが、昨日の僕の話ではわからなかったかもしれません。 仲間意識を高める秘訣は、ずばり「一緒に食事をすること」なんですね。だから同友会の例会の後には懇親会があるし、誰かをデートに誘うときは「一緒に食事でも・・・」と言うわけです。「同じ釜の飯」という言葉は昔も今も生きています。だが、近年この言葉が危機に瀕している。まさに、ここに解決すべきテーマがあると僕は考えているのです。 最大の問題は「車通勤」です。道内企業最大の弱点。仕事を終えると、まっすぐ自宅に帰る。飲みニケーションが少ない。その結果、自己開示と共感力が高まらない。そんな傾向が道内企業にあるような気がします。電車通勤の人たちであれば、ガード下で一杯・・・ですね。ここでちょっとした悩みを解消したり、仲間意識を強めたりすることができる。大都市の企業に対抗するには、ここにひと工夫が必要です。 我々にできる有効な方策は何か? それはずばり「炎を見ながらジンギスカンを一緒に食べる」ということです。大昔、家族とか一族は火を囲んで暖をとったり食事をしたわけです。そのときの記憶が脳にはしっかりと刻まれているはず。炎を見ることで心が安らぎ、炎を囲むことで一体感を感じることができる。社内の仲間でそれを行ったならば、どういう現象が起こるでしょう? 「この人は信頼してよいのだ、仲間なのだ」という安心感につながっていくはずです。 炎を見ながらジンギスカン。これは「ガード下で一杯」の5倍くらい効果があるはず。ジンギスカンが心置きなくできるのは北海道の強みといえます。何だか、ジンジンしてきました。
午前9時半芽室取材。続いて新得へ。午後1時帰社。1時半、旭川からお客様。2時半ミーティング。4時個人面談。5時ワシントンホテルへ。組合理事会。5時半から総会。6時から懇親会。8時過ぎ帰社。講演会資料の手直しに取りかかる。約2時間集中したら、形になってきた。大丈夫だ。11時半頃帰宅。
さて、今日は北見で行われる中小企業家同友会オホーツク支部例会の中で講演をさせていただくことになっています。昨日仕上げた資料はそのためのもの。テーマは「激変する現状を打開するための異質化戦略 ~経営指針で全社一丸体制をつくる~」です。 これに近いテーマでの講演は過去何度も行っています。けれども、何度行っても十分に伝え切れていない自分がいます。社外の方々に対してはもちろん、社内の人たちに対しても。もしかしたら、僕自身も十分にわかっていないのかもしれない。そう思うことがよくあります。何が伝え切れていないのかというと、「異質化」ということです。 同質化競争、差別化競争、異質化競争の3つがあるとすれば、僕らは異質化を選ばなければなりません。同質化競争とは同業他社と同じような商品を売っているということですから、必然的に価格競争に陥ります。そこで差別化しようと多くの人は考えるのですが、高度に情報化が進み、しかもグローバル化した世の中では、せっかく差別化を行ったとしてもすぐに真似される可能性が高い。差別化は同質化と大差ないというのが僕の考えです。 そこで異質化という話になります。けれども、僕もつい勘違いしてしまうところがあって、圧倒的差別化=異質化であると思い込みやすいのです。圧倒的に差別化すれば他社は真似しにくいから、これは異質化である。そう考えてよいのだろうか? 昨夜僕が下した結論としてはNOでした。左脳で考えても右脳で考えてもNOでした。 異質化とは他社が真似しようと思っても、「いったい、何を真似すればよいのかわからない」というものでなければならない。さらにもう一段、「そもそも他社が真似したいとは思わない」というレベル。ここに到達したとき、本当に異質化した会社になっているのではなかろうか? その意味では、我が社は半分はいい方向へ向かいつつあります。もう半分は足踏み状態にある。足踏みしているのはいったい何が原因なのだろうかということについて考えていました。 僕の思い至った結論としては、「人は足踏みが好きなのだ」ということ。かくいう僕自身、冷静に思い起こすと足踏みをしていることが多い。一歩前に踏み出さなければいけない。異質化という得体の知れない世界に踏み出す勇気を持たなければ行けないし、そのチャレンジによって成長と報酬を手にしなければなりません。 足踏みをしていたり、のんびり石橋を叩いていてもよかった時代がかつてはありました。今は足踏みをしていると、ずぶずぶと足元が沈んでいくという時代です。絶えず変わり続けなければならない。変わり続けることに違和感を感じない人財、つまり異質化された人財で社内を固めていかなければならないのです。したがって、最大のポイントは「異質化された人財が育つような社風をいかに築くか?」ということになります。 どんなに教育費をかけても、どんなに社内勉強会を開催しても、社風が淀んでいては「異質化した人財」は生まれてこない。我が社の社風はこの10年間で大きく変わりました。ここで足踏みすることなく、次の段階に向かってもっと大胆に変えていくべきだろうな。そんな思いを強くしています。 異質化した人財は最初から異質化しているわけではありません。我が社は「変」という基準で採用活動を行っていますから、我が社に入社する人は誰もが異質化する可能性を秘めています。ところが、人は基本的に足踏みが好きだから、「変」を持っているのに他人に合わせよう、同質化しようとしてしまうのです。わざわざ同質化競争に我が身を置いて、自分という人間を価格競争にさらしてしまうという誤った戦略を選んでしまう傾向があります。 こうした現状を打開するために、僕は人生目的・アイデンティティ・人生ビジョンの3つが重要だという話を社内で繰り返し行っています。さらにこれらに対して深く考えるために、歴史認識をしっかり持つべきではないかと僕は考えています。人類はどのようにして進化してきたのか? 日本の国力が低下してきている一因は貧困な歴史教育にあるような気がします。ある特定の歴史観を植え付けるといったことは避けるべきですが、教育を通じて若い人が歴史観や歴史認識を持つための手助けを行わなければなりません。テストのために過去の事実を覚えることが歴史の勉強になってしまっている。ここに本質的な問題がありそうです。 圧倒的過去に思いを馳せて、圧倒的ビジョンをイメージする。異質化した人財、異質化した企業になるために欠かせないプロセスではないかと思います。 このあたり、どこまで伝えることができるのかチャレンジしてみます。北見方面の方々、お楽しみに!
午前8時出発。目的地は旭川。途中、新得に立ち寄って少しだけ撮影を行う。睡眠不足のためか、やけに眠い。南富良野からは新人のK氏に運転を代わってもらう。若葉マークだが、運転はうまい。熟睡。取材場所に到着したのは昼頃。「ゆったり歩き」の取材なので撮影には力が入る。が、僕の撮影意欲をかき乱す強敵がいた。蚊だ。「蚊に注意」と誰かが言っていた。僕は「カニだったらよかったのに」とのんきに考えていた。数秒後にはそんなのどかさは吹っ飛んだ。目の前の強敵を振り払いながら撮影することとなった。「蚊め」。この場合、「か」と「め」の間に若干の間が必要だ。急いで言うと「亀」と聞こえてしまう。
約2時間、ひたすら撮影。集中力を維持するのに苦労した。3、4ヶ所刺された。虫除けのハッカスプレーを常備する季節がやってきたようだ。カフェでひと休みしてから、帯広へ。途中、予期せぬ形で税金のようなものの振り込み用紙をいただくこととなった。驚くほど安全運転で走っていたのに。不思議だ。6時半頃帰社。個人面談。8時頃帰宅。 昨日はずっと「言葉」について考えていました。言葉の使い方に無頓着なため損をしているという人が世の中には非常に多い。また、言葉を発する量が少なすぎて損をしている人、多すぎて損をしている人、タイミングが悪くて損をしている人、さまざまですね。かくいう僕も言葉ではどうも損をしているような気がしてなりません。損得という感覚とはちょっと違うな・・・。「相手に対して申し訳ないことを言ってしまったな」という感覚です。近年はこれが非常に多い。 こうした感覚は言いたいことをズバズバ言った後にも感じるし、言いたいことを言わなかった後にも感じるものです。ちょどいいという感覚になることは滅多にない。絶えず、自分の発した言葉と発しなかった言葉について反省してしまうのは、僕が元来持っているエゴグラムのACの高さによるものなのか? 世の中にはズバズバ言った後、「ああスッキリした~」という人もいますが、僕はそのような感覚を味わったことはこの50年間で一度もありません。そういうスッキリ感とは無縁な生き方を全うすることになるでしょう。僕の場合は、きっとそれでよいはず。言葉について考えることも仕事の一部ですから、スッキリ感を味わうことができないのは、当然といえば当然です。 いろんなタイプがあってよいのですが、我が社の人たちには、「一時的なスッキリ感」の誘惑にとらわれることなく、慎重な言葉の選び方、発し方を行ってほしいといつも願っています。 第一に考えるべきことは「相手が傷つかない言葉」を選ぶことです。相手のやる気を引き出すためにあえて傷つけるというケースも実はあるのですが、日常の中では徹底して「傷つかない言葉」を厳選するのが基本です。成熟した大人同士の関係では、「相手を傷つけずに伝えるべきことを伝える」ことができなければ、コミュニケーション力があるとはいえません。 ほとんどの人は「自分が成長するための情報」をほしいと思っています。と同時に、「自分を傷つける情報はほしくない」と思っている。両者の情報は非常に近いところに位置しています。このため、「相手にダメージを与えることによってその人の考え方を変えよう」と思ってしまうことがあるのです。この手法もたまには必要ではありますが、たびたび使う方法ではない。また、相手を傷つける際には、事前に麻酔を打つべきだというのが僕の考えです。いきなりメスを入れると、激痛が走り、思考が停止してしまう。 自分本位で言葉を使うのは非常に危険です。自分のスッキリ感を優先させようとすると、相手を傷つける場合が多い。相手のスッキリ感を引き出すにはどうしたらよいのかについて考えながら言葉を選んでいくと、コミュニケーションの質は高まっていくはず。これは相手をおだてればよいという意味ではなく、相手の成長意欲を引き出す、あるいは頭の中の整理を手助けするということですね。お互いにコーチングしあうような関係になっていけば、組織の成長力は高まっていくはずです。 我が社はこのあたりに磨きをかけていけば、きっと素晴らしい組織になっていくに違いない。昨日は蚊に刺されながらも、そのための方策についてあれこれ考えていました。
午前8時出発。目的地は旭川。途中、新得に立ち寄って少しだけ撮影を行う。睡眠不足のためか、やけに眠い。南富良野からは新人のK氏に運転を代わってもらう。若葉マークだが、運転はうまい。熟睡。取材場所に到着したのは昼頃。「ゆったり歩き」の取材なので撮影には力が入る。が、僕の撮影意欲をかき乱す強敵がいた。蚊だ。「蚊に注意」と誰かが言っていた。僕は「カニだったらよかったのに」とのんきに考えていた。数秒後にはそんなのどかさは吹っ飛んだ。目の前の強敵を振り払いながら撮影することとなった。「蚊め」。この場合、「か」と「め」の間に若干の間が必要だ。急いで言うと「亀」と聞こえてしまう。
約2時間、ひたすら撮影。集中力を維持するのに苦労した。3、4ヶ所刺された。虫除けのハッカスプレーを常備する季節がやってきたようだ。カフェでひと休みしてから、帯広へ。途中、予期せぬ形で税金のようなものの振り込み用紙をいただくこととなった。驚くほど安全運転で走っていたのに。不思議だ。6時半頃帰社。個人面談。8時頃帰宅。 昨日はずっと「言葉」について考えていました。言葉の使い方に無頓着なため損をしているという人が世の中には非常に多い。また、言葉を発する量が少なすぎて損をしている人、多すぎて損をしている人、タイミングが悪くて損をしている人、さまざまですね。かくいう僕も言葉ではどうも損をしているような気がしてなりません。損得という感覚とはちょっと違うな・・・。「相手に対して申し訳ないことを言ってしまったな」という感覚です。近年はこれが非常に多い。 こうした感覚は言いたいことをズバズバ言った後にも感じるし、言いたいことを言わなかった後にも感じるものです。ちょどいいという感覚になることは滅多にない。絶えず、自分の発した言葉と発しなかった言葉について反省してしまうのは、僕が元来持っているエゴグラムのACの高さによるものなのか? 世の中にはズバズバ言った後、「ああスッキリした~」という人もいますが、僕はそのような感覚を味わったことはこの50年間で一度もありません。そういうスッキリ感とは無縁な生き方を全うすることになるでしょう。僕の場合は、きっとそれでよいはず。言葉について考えることも仕事の一部ですから、スッキリ感を味わうことができないのは、当然といえば当然です。 いろんなタイプがあってよいのですが、我が社の人たちには、「一時的なスッキリ感」の誘惑にとらわれることなく、慎重な言葉の選び方、発し方を行ってほしいといつも願っています。 第一に考えるべきことは「相手が傷つかない言葉」を選ぶことです。相手のやる気を引き出すためにあえて傷つけるというケースも実はあるのですが、日常の中では徹底して「傷つかない言葉」を厳選するのが基本です。成熟した大人同士の関係では、「相手を傷つけずに伝えるべきことを伝える」ことができなければ、コミュニケーション力があるとはいえません。 ほとんどの人は「自分が成長するための情報」をほしいと思っています。と同時に、「自分を傷つける情報はほしくない」と思っている。両者の情報は非常に近いところに位置しています。このため、「相手にダメージを与えることによってその人の考え方を変えよう」と思ってしまうことがあるのです。この手法もたまには必要ではありますが、たびたび使う方法ではない。また、相手を傷つける際には、事前に麻酔を打つべきだというのが僕の考えです。いきなりメスを入れると、激痛が走り、思考が停止してしまう。 自分本位で言葉を使うのは非常に危険です。自分のスッキリ感を優先させようとすると、相手を傷つける場合が多い。相手のスッキリ感を引き出すにはどうしたらよいのかについて考えながら言葉を選んでいくと、コミュニケーションの質は高まっていくはず。これは相手をおだてればよいという意味ではなく、相手の成長意欲を引き出す、あるいは頭の中の整理を手助けするということですね。お互いにコーチングしあうような関係になっていけば、組織の成長力は高まっていくはずです。 我が社はこのあたりに磨きをかけていけば、きっと素晴らしい組織になっていくに違いない。昨日は蚊に刺されながらも、そのための方策についてあれこれ考えていました。 ![]()
通常通り出社。すると、すでにお客様のS夫妻が到着していた。早い。応接室にご案内。続いてNさんが来社。前日に続いて3名の方々が朝礼見学にいらっしゃった。2日連続朝礼見学というのはたぶん初めてのこと。昨日の朝礼では、M君の結婚をお祝いし紙吹雪が派手に舞った。いつもより若干長めの朝礼となった。
朝礼終了後、情報交換等。だが、すぐに出発せねばならない。9時半頃、M氏、K氏とともに出発。目指すは湧別。3時間半くらいかな? そう思っていたら、本当に3時間半かかって目的地に到着した。午後1時から取材開始。非常に美しい場所。そして青空が広がっている。初夏を思わせる天候。撮影しまくった。もっと時間がほしいところではあったが、3時20分頃取材終了。急いで帯広へ。帰り道は休憩時間を減らした。午後6時半帰社。それからとかち館へ。7時から帯広経営研究会5月例会。景山良康氏講演会「創業の精神 こんな時代だからこそ理念を追え!」が始まる。 会場は経営者から若手まで大勢の参加者でにぎわっていた。我が社からも過去最多ではないかと思われるほど大勢の人がやって来た。話の中身は経営者向きかもしれないが、この講演会の中には必ず学ぶべきものがあるはずだ。そう思っていた。実際、その通りだった。何か揺さぶられるようなものを感じないわけにはいかない講演だった。9時過ぎ例会終了。懇親会。さらに景山氏を囲んで数名で二次会。帰宅は深夜になった。 我が社の出版広告部には「今月の言葉」というものがあって、毎朝部門朝礼の際に唱和しています。5月の今月の言葉はスティーブン・R・コヴィーです。 『人生には中心となる三つの価値があるという。一つは『経験』であり、自分に何が起こるかである。二つめは『創造』であり、自分でつくり出すものである。そして三つめは『態度』であり、大きな困難に直面したときの反応の仕方に代表されるものである。これらの価値のうち、最も大切なものは『態度』である。人生の経験にどう反応するかということが重要なのである」 この中で出てくる「人生態度」というものが、不思議なほど景山氏の講演内容とマッチしていて、僕は揺さぶられるような思いをしながら聴いていました。 過去の自分の人生態度によって現在の自分が創られている。現在の自分の人生態度によってこれからの人生が創られていくに違いありません。人生態度を改めよ。そんなメッセージが僕には聞こえてきました。我が社のみんなにはどのようなメッセージが届いたのだろう? 景山氏のすさまじいばかりの創業の精神。ここからは経営者として学ばねばならないし、人間としても学ばなければなりません。特に仕事観については、ふだん我が社の勉強会等では使われないようなインパクトのあるメッセージが投げかけられました。こういう刺激、ときどき必要だな。このくらいインパクトのある話し方、僕にもほしいところですね。タイプは正反対ですが。 人生態度を正しいものにする。これが人生にとって最も重要なことであることは、コヴィー博士の語っている通りです。僕は今から考えると人生態度を大きく誤った時期があって、その時期に失ったものが非常に大きい。一番大きく失ったのは「時間」ですね。他にもいろいろ失いました。今はだいぶ軌道修正してきていますが、まだまだ僕の目指す人生態度になっていないような気がします。 人生というものに対して真摯な態度で臨もう。まずはそう思うことですね。まだまだできていない自分を発見しますが、まず真剣に思うことから始まる。そして、コヴィー博士の言葉通り、「人生の経験にどう反応するか」が重要です。ひとつひとつの反応の仕方にもっと注意を払おう。本気度を高めていかねばなりません。 昨日はなぜか、講演を聴きながらグサグサ突き刺さるものを感じていました。 ![]()
今朝は朝礼見学の方々が来社された。ふだんお世話になっている市内の医療関係の方々。全体朝礼、出版広告部朝礼、さらにしゅん編集部とクナウマガジンとに分かれての部門朝礼にそれぞれご参加いただいた。朝礼後は久しぶりにデスクワーク。まずは大量の撮影データのコピーとその分類。また、金曜日の講演資料も気になっていた。手直しが必要だ。が、まだアイデアが浮かんでこない。ギリギリ、前日に完成させるパターンになりそうだ。午後は「自費出版文化賞」の一次審査の業務を行う。僕はグラフィック部門の一次審査担当者。驚くほどハイレベルな作品があった。レベルが高いというだけではなく、感銘を受けた。商業出版ではたぶんこのような表現はできないのではないか? 自費出版の存在価値を再認識させられた。夕方、「風邪かも?」と思って早めに帰宅。8時過ぎ就寝。これはちょっと早すぎる就寝。朝3時に目が覚めた。
さて、自費出版と商業出版。著者が自分のお金で出版するのが自費出版。出版社がリスクを負って出版し、販売するのが商業出版。自費出版の場合は、販売を目的にする場合と友人・知人に配ることを目的にする場合があります。一般には商業出版よりも自費出版のほうが格下のように思われているところがあるようです。 しかし、自費出版は独自の進化・発展を見せているんですね。僕が一次審査員を務めるようになってから12年ほどたちますが、この間の変化には目を見張るものがあります。送られてくる作品の中にはキラリと光るものがありました。ただ、商業ベースにはちょっと乗りにくいだろうな・・・。そういう類の作品でした。出版社が出版物を世に送り出す際には、やはり採算性を考えないわけにはいきません。そんな中で我が社は「自分たちの作りたい本を作っている」というスタンスをとっていますが、それにしても採算性は考慮に入れています。 自費出版の素晴らしいところは、「市場のことを考えず、思い通りの本を作ることができる」という点にあると思います。そして、その思いはある特定の読者層に深く伝わっていく。 昨日僕が感銘を受けた作品集はまさにそのような本でした。それは昭和十年代を記録した写真集でした。戦前の軍国主義がピークだった時代。なのに、写真からはどこかしらのどかで明るい雰囲気が伝わってくる。ああ、こういう空気感もあったのだと初めて知りました。そこには僕らの子供時代と変わらない風景が広がっていた。僕は心の一部分ではホッとしたものを感じながらも、別な一部分ではこういう普通の感性を持った人たちが戦争に駆り出されていくことに恐ろしさを感じていました。 他にもグラフィック作品というよりは研究書に分類されるべき労作があったり、独自の世界観を表現したものがあったり、見応え十分でした。自費出版には商業出版に見られない熱いものを感じることがあります。逆にいうと、商業出版の世界がちょっと冷めているのかな? 相変わらず、ベストセラーの二番煎じみたいな本がいっぱいありますし・・・。売れ行きなど度外視し、「作りたいものを作る」という潔さといったものを出版社も持つべきかもしれません。 自費出版物を作るのは基本的に「本づくりの素人」の方々です。一方、出版社の人は「本づくりのプロ」。だが、出版の世界に限らず、ここ10数年の間に両者の関係が大きく変わってきています。素人が単なる素人ではなくなり、プロはプロとしての自信が揺らぎはじめている。1990年代後半くらいからそのような傾向を僕は感じているのですが、皆さんはどう感じておられるでしょうか? 素人がプロを追い越してしまっている・・・なんて現象がいろんなジャンルで起こっている。21世紀に入ってからずいぶん頻繁に見られる現象です。ブロガーがベストセラーを出すようになったり、ユーチューブで歌っていた人が世界的な歌手になったり、主婦ビジネスだったものが急拡大したり・・・。そんな成功例が数多くあります。 僕はこの変化を「超素人の時代」と呼んでいます。素人にも2種類あるんですね。ド素人と超素人。プロを凌駕する素人は、この超素人の人たちなんです。プロとしてはあなどれない人たち。しかも、プロはここ10数年の間に弱体化が進んできていますから、素人はあなどれないと脅威を感じているものの、アドレナリンを分泌させることは滅多にありません。つまり、やられっぱなしになる傾向が顕著なんです。 我が社の基本戦略はこの「超素人力」を活用するというところにあります。超素人とは、超越した感性+未熟な技術を持った人のこと。技術はプロから借りればよいし、それ以前にハイテク機器が技術の不足分をカバーしてくれる時代になったのです。これで80%くらいはカバーできる。あとの20%についてはプロの出番といえます。超素人の素晴らしいところは、自ら発信したいと思っているコンテンツがマグマのように湧き出しているところです。「これ、売れるだろうか?」みたいな中途半端な態度では仕事をしていない。 我が社が目指すべきは「超素人」と「卓越したプロ」が一緒にものづくりをしていく組織ですね。プロはプロとしての存在価値を高めるために、素人では到底到達不可能な卓越した技術を持っていなければならないのです。超素人の時代に存在感を保ち続けるには、プロも超プロである必要があります。 ![]()
朝6時にホテルをチェックアウトしてしまった関係上、午前中が非常に長く感じられた。カフェを梯子。読書、ノートPCでの作業等。午後1時半、日創研札幌研修センターへ。PSV研修第3講2日目に参加。すばらしい修了式だった。受講生のO氏、アドバイザーを務めたM氏と一緒に帰ってきた。帯広到着は9時頃。10時半就寝。
研修というものは、受講中は誰もが一生懸命に取り組むものです。したがって、本当に大事なのは修了した後の取り組み態度。特に、PSVのように60日間にわたる研修が終わった後は、せっかく身につけたよい習慣が無に帰すことのないよう、気をつけて過ごさなければなりません。 研修ばかりではない。仕事における重要なプロジェクトが終わった後にも同じようなことが当てはまります。緊張感の続く毎日から、ちょっと解放された・・・と思ったとき。こんなときこそ、気を引き締めるべきなんですね。我が社においても、ここで何名かの人はつまずいているような気がします。ここでつまずくと研修効果は半減します。また、重要プロジェクトが終わった後に気が抜けると、その後の仕事への取り組み姿勢に若干の問題が生じてしまいます。 何事も最初と最後が肝心ですね。最後とは、何か重要なことが終わった後にどのような態度で物事に臨むかということなのです。この研修を「過去のものとしてしまうか」「これからの人生に生かしていくか」。これからの数週間こそ一番大事な期間です。 研修中という特殊な状況下で作られた習慣。この素晴らしい習慣を自分の生活や仕事の中にしっかりと定着させていかなければなりません。定着させるためには、自分にあった形でカスタマイズすることが重要です。どのような形で定着させていくのか。そこを明らかにしないと、形ばかりになってしまいます。それとともに、「結局、この研修はどういうものだったのか?」について総括する必要があります。意味がわからないと、手に入れた素晴らしい習慣の価値も半減してしまいます。 意味を考え、その価値を知る。最終的にはこの一点に尽きるのかもしれません。僕らが毎日行っている仕事についても、意味と価値を知れば本気になることができるし、意味と価値を知らなければ能力の高い人であっても長続きしない。 この仕事が好きだ、自分に向いている、楽しそう、やりがいがある・・・。そのように思って人はそれぞれの職業に就くのですが、その仕事の意味と価値に気づかなければ、一生の仕事にすることはできません。仮に、一生の仕事として会社に勤め続けたとしても、やらされ感の伴った働き方になってしまいます。 仕事にはここ一番というがんばりどころがありますし、外部研修のようなここ一番の成長の場というものもあります。ここ一番の時期の過ごし方が重要なのはいうまでもありませんが、それ以上に大事なのは「終わった後」のことなのです。 ここ一番→がんばる→成果・結果→意味を考える→価値に気づく→よい習慣を定着させる。このサイクルをしっかりまわすことのできる人は放っておいてもどんどん成長していく。人は自己成長を切望していますが、その成長は意味と価値を知らなければやってきません。意味を知るとは、本質を知るということですね。仕事の本質、研修の本質をとらえるということです。 仕事における重要なプロジェクトが終わった後には反省会が必要です。あ、「反省会」という名称は今イチよくありませんね。別なワクワクする名称に変えるべきでしょう。意味と価値を考える集いを持つことです。同じように、研修が終わった後にはまず自分自身で意味と価値を考える時間を持つことが重要となる。それに加えて上司との面談を通じて頭の中を整理する必要があります。 本質を知れば、感じ方が変わって、自分の感情の湧き起こり方が変わってくるものです。その結果、行動の仕方が変わり、習慣が変わっていく。課題に対するチャレンジの仕方も変わってくるものです。研修であるとか、重要プロジェクトが終わった後というものは、自分を大きく変えるチャンスなんですね。 ※この4日間、携帯電話がつながらず、各方面にご迷惑をおかけしました。大小合わせて数多くの忘れ物をした出張でした。 ![]()
午前8時半から活動開始。9時から函館市内取材。ずいぶん撮影した。12時半取材終了。午後1時過ぎ、おもしろいアイデアについて話し合う。3時頃出発。目指すは札幌。だが、札幌に宿泊するのは僕だけ。千歳で別れたるほうが合理的か。千歳駅まで送ってもらう。快速列車で札幌へ。7時頃到着。7時15分からO氏とミーティング。8時半頃宿にチェックイン。まわりにはおびただしい数の飲み屋があったが、アルコール欲はまったくなく、10時過ぎには就寝していた。函館でたっぷり飲んだためかもしれない。
今朝はなぜか6時過ぎに宿をチェックアウトしてしまいました。なぜなんだろう? 冷静に考えるとあり得ないが、僕の行動としてはあり得るな。朝食の選択肢は非常に限られている。マクドでマフィンというイレギュラーな朝食となりました。この時間帯、夜中まで飲んでいたと思われる学生らしき集団がいっぱいいて驚きました。まあ、僕の20代のときも同じような感じでしたが・・・。 さて、今朝考えていたことは「何かをしっかり学ぶと、いくつかの問題に出会う」ということでした。たとえば、我が社では可能思考研修という少しハードな外部研修を取り入れていますが、しっかり学んだ人はほぼ例外なく研修修了後、その人に見合った問題に直面することとなります。当然の現象といえます。 それはなぜかというと、問題や課題というものは意識するしないに関わらず、誰もが出会っているからなのです。学びの不十分な人の場合、問題・課題と出会っても、「これは私の問題ではない」と思ってしまいます。会社の問題、上司や同僚の問題だと思ってしまうのです。研修等でしっかりと学んだ人は「これは自分に与えられた問題だ」と捉えることができますから、結果的に問題に直面するという状況がやってきます。 人は問題・課題を乗り越えることによって成長することができるわけですから、問題・課題がやってくるということはありがたいことと捉えるべきなんですね。ところが、「問題がやってくるのは困る」というポジションにとらわれている人は、災難に出会ったかのように思い込んでしまいます。僕にもまだまだそのような面があります。一瞬ひるんだり、心理的に参ることもある。しかし、そんなときは「参る、参る、スマイル」と呪文を唱えながら乗り越えるしかありませんね。このセリフ、35年ぶりくらいに思い出しました。 それはともかく、学びの中途半端な人は中途半端な問題によって悩むこととなる。しっかり学んでいる人はハイレベルな問題に悩むこととなる。次第に悩みのレベルが上がっていって、以前悩んだ中途半端な問題では悩まないようになる。 人間から悩みが消えることはありませんから、どちらの悩みを持ちたいですか?という話になるのです。一生レベルの低い問題に悩まされるよりも、自分の人生経験によって悩みのレベルも上がっていくほうが幸せな人生になるはず。僕はそのように信じていますが、いかがでしょう? 人間にはレベルの高い人・低い人、賢い人・愚かな人といった2タイプの人がいるのではありません。自分の目の前に現れた問題を「自分の問題・課題」と捉えるかどうか? 自分の生き方に自分で責任を持つことができるかどうかだけの問題なのではないかと思います。 今日は午後からPSV研修最終日に合流し、受講生と一緒に学んできます。このテーマについて、引き続き考えてみようと思っています。 (投稿が遅くなってしまいました。すでにPSV研修が終わり、帯広に戻ってきました) ![]()
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